09 好き嫌い
ヴォルフ家邸宅のリビングルームには、非番のファミリーがソファーに座る遊の元に集まっていた。
セレブの娘より、元ギャングの方が親しみが湧くらしい。噂をしていても遊を遠巻きに見ていたファミリーが質問攻めをしていた。
特に気になるのは、遊の強さ。
「遊さん、遊さん。蹴り技はどこで習ったんですか?」
リキも遊の隣に座って質問した。まるで庭の番犬と同じだ。すっかり遊になついている。
「仲間の一人が格闘技を習ってたの。彼もグレてて喧嘩に参加したのよ。彼の蹴り技の方が強烈」
ニヤリと脅すように笑って遊は答えた。だがすぐに笑みは消えて、目を伏せる。
その格闘技を習っていたという仲間も、元の道に戻ってほしいと思っているのだろう。
決してリキ達に遊はその事を話さず、毅然に質問に答えた。
俺は遊のすぐ後ろに立って、見守る。カルロはこういう油断をついてくるだろう。
「貴方達、ここで油売ってていいの? ギャングというかただの不良達は?」
遊は腕を組んで首を傾げる。
「そりゃ、心配ないさ。警察が目を光らせてるし、アンタがボコしたんだから懲りたさ」
それに答えるのは、無精髭とブロンドの長身、ディカ。メルの兄だ。
警察も奴らの行動に目を光らせている。遊は仲間のために動くのがボスだと言うが、不良同然のそのギャングのボスは違うらしい。動きは見られない。
既に遊に叩きのめされたから、怖じ気づいて逃げた可能性が高いだろう。
「じゃあわたし、外出しても」
「だめだ。今日は中で過ごしてくれ」
「ちっ」
ギャングの報復の心配はないからと言っても、ボスから直々に外出禁止を受けている。
遊はむくれて腕を組んだ。
外出の許可がでなくとも、非番のファミリーが話し相手になるから退屈はしないだろう。
ただ、内容が気掛かりだが……。
危険な内容にならないように、注意しながら見守った。
遊の喧嘩強さ。ディカ達の腕っぷし自慢。まぁまぁ平凡な内容だったため、安堵する。
話を聞いていて、遊の座右の銘がわかった。
自分らしく正直に堂々と自由に傍若無人に至極最高に人生を楽しむ。
ギャングはやりたいことをやった結果。最高に楽しんだ様子だったが、やっぱり仲間の未来が気掛かりのようで時折言葉を濁した。
ファミリー達に囲まれている姿を見ていると、遊は本当に素質があると感じる。
内側に秘めた情熱で惹き付けて、仲間のために決断できる意思もあり、慕われる。
きっと人の上に立つ仕事が遊には合うはずだ。
オレの方でなにかないか考えて、そのうちアドバイスをしてみよう。
考えながら、遊を見つめていて危険を察知する。
リビングルームの窓の向こうから、弾丸が飛んでくると直感して、クッションを投げ付けた。
念のため、遊を庇うように後ろから抱き締める。
ペイント弾はクッションにベタリついて、床に落ちた。四発目もクリアだ。
リキ達が拍手してリビングルームが騒がしくなる中、オレは安堵した。
「ちょっと、ヴォル・テッラ。苦しい」
頭を抱き締める形のせいで、遊は俺の腕を叩く。
「ぁうわっ! す、す、すまないっ!」
すぐに腕を退かして離れる。
何故だろう。遊に触れると過剰な反応をしてしまう。庇うために抱き締めた。ただそれだけなのに、異常なほど動揺してしまう。
「(ヴォル、ウブだなぁ。ハグぐらいでなんだ、情けねぇー)」
ソファーから乗り出してディカがオレを笑った。反論もない。
「(そんなことないわ! ヴォルは素敵よっ!!)」
「おっと」
今まで離れた椅子に座っていたメルが駆け寄ってきたかと思えば、勢い余ったのかオレにぶつかったから受け止める。
「(気を付けろ、メル。怪我をしてしまうぞ)」
「(……はい)」
高いヒールも履いているメルは、いつもこの調子だから気を付けてほしい。
反省の色が見えない微笑みを溢すメルに、首を傾げてしまう。
「(だからウブなんだって)」
ディカの呆れた声を耳にしたから見てみれば、リキ達がオレとメルを見上げていた。オレと目が合うなり、リキ達は目を逸らす。
英語は遮断している遊だけは、オレを見ようとはしない。
立ち上がってクッションを持つとリビングルームを出ようとした。
「遊、どこへ?」
「クッション洗ってもらう。あと今夜の夕飯はなにか、シェフに聞く」
「オレも行く」
「邸宅の中くらい離れててもいいんじゃない? 今日の弾丸は防いだんだし」
「そうはいかない」
メルから離れて遊を追う。一日一発の弾丸が終わっていても、街一安全な邸宅の中でも、遊から離れるつもりはない。
「ムキー!!」
廊下を歩いていくと、リビングルームからそんな奇声が聞こえて振り返る。
確かめようかと思ったが、遊に袖を掴まれて足を止められなかった。
「遊……」
「なに?」
「えっと……」
「なによ」
「……なんでもない」
遊のそれは、どうやら深い意味はないらしい。
オレの袖を摘まんでいる遊の手を見ながら歩く。
何故だろう。摘ままれているだけなのに、胸が擽られる。
口元が緩んでしまいそうになり、もう片方の手で押さえた。
クッションは使用人に頼んだ。遊は以外にも礼儀正しくかつ愛想よく頼んでいた。使用人が年配の女性だったからかもしれない。
そのあと、シェフに今夜は酢豚だと聞いて、遊は上機嫌な足取りで廊下を歩いた。どうやら好物らしい。
そんな遊の後ろ姿を見ていたら、ついつい笑ってしまった。
しかし、その夜。
夕食時に遊は怒ってシェフに詰め寄った。
「パイナップルの入っていない酢豚なんて認めないっ!!」
「(パイナップルなんて入れてたまるかっ!!)」
日本語と英語で自分の主張を怒鳴る。
長年邸宅で腕を振るってくれているシェフは、酢豚にパイナップルは入れないと譲らない。遊はパイナップルが入っていないと食べないと言い張った。
一先ず、落ち着いてくれと言ったのだが、二人はそっぽを向いてしまい、遊はキッチンから飛び出す。
入れ違いにボスが入ってきた。
「材料はあるかい? 私が作るよ」
「えっ。ボスが、ですか?」
「そうだよ。ヴォルは時間稼ぎしてくれないかい? 不機嫌な遊がなにもしないように見張っていてね」
背広を脱ぐとYシャツの袖を捲り始めたボスに、驚いて唖然としてしまう。
幾度かファミリーのために料理を振るっていたけれど、そんなボスが遊のためだけに料理をするのか。
シェフ達が動揺した。
「あ。私が作ることは内緒だよ」
人差し指を立ててウィンクしたボスは、口止めをする。
何故その必要はあるのかと、オレは首を傾げてしまう。一応頷いておいて、オレは遊を追い掛けた。
遊は夕食中で誰もいないリビングルームのソファーに、腰を沈めてふくれっ面をしている。
「……遊。今のはよくない」
「わかってる。でも、謝らないしパイナップルの入っていない酢豚は食べない。食べたくない」
腕を固く組んで拒絶を示す遊は、なかなか頑固だ。
「パイナップルにこだわりが?」
「酢豚とケチャップは、パイナップルが入ってなきゃ認めない」
「そう……」
こだわりがあるのか。
酢豚とケチャップにはパイナップル。ケチャップなんてどれも同じだと思っていた。今度違いを確認してみよう。
「遊は、好き嫌いが激しいと思う。身体によくない」
「口にすると気分悪くなるものは避けてるだけよ」
ぷい、と遊はそっぽを向いてしまう。オレは肩を竦めてソファーの肘掛けに腰を下ろした。
「ロームの好き嫌いは許してあげないつもり? そもそも貴方は知らないわね」
オレに顔を向けたかと思えば、ロームの名前を出す。
ドキッとする。
ロームの、好き嫌いか。確かにオレは知らない。
「あっ。父親が大好きで、泣き虫が嫌いだと言うことは知ってる」
それだけは、はっきり知っている。
遊は顔を歪ませて鼻で笑った。
それはバカにしているのだろうか。ショックを受ける。
「女性は覚えてやらないと怒るわよ。気を付けなさい」
「それは……ボス達からよく助言された」
「……貴方のボスに好き嫌いを覚えるべき女性がいるの?」
女性の扱いに慣れたボスやカルロやダンに助言を受けたと言えば、遊はボスに恋人がいるのかと食い付いた。
「あーいや、違う。同盟ファミリーに女性だけのチャイニーズマフィアがいるんだ」
「女性だけのチャイニーズマフィア? 詳しく教えて」
次は女性だけのチャイニーズマフィアに食い付いて、オレの膝をポンポンと叩く。思わず吹き出してしまう。
「遊は気が合うかもしれない。同性には優しく、異性には厳しい幹部達なんだ」
「ふぅん。……皆美人? チャイナ服?」
「とても美しい人達だ」
遊は本当に美しい女性が好きのようだ。黒い瞳が興味津々に見開くから、ちょっと可笑しくて笑う。
「わたしがギャングに入ったきっかけは、かっこいい女ギャングの喧嘩を目撃したからなの。彼女の強さには目がくらんだわ」
右頬にえくぼを作って微笑む遊が、自分からきっかけを話してくれた。
強い女性も好きなのか。彼女の憧れは、強い女性。
そうすると同盟ファミリーに会わせたいと思えた。きっと魅了されるだろう。
美しく、そして強い女性が、遊の理想。
「その、女ギャングのようになりたくて、ギャングに?」
「一緒に目撃した奴と、意気投合して、ノリと勢いで。……でも目指してたんだと思う。自由に傍若無人に至極最高に楽しんだわ」
理想のために行動をした。素晴らしいと称賛したいくらいの行動力だが、遊は視線を足元に落とす。
「でもいい奴らを、傍若無人に巻き込みすぎた……」
溜め息のように呟くと、背凭れに凭れて背伸びをした。そのまま遊は昼間とは違い、古風なイタリアの家具しかそこにない静かなリビングルームを眺めた。
そんな遊は寂しげに見える。
ああ、きっと。
遊の父親はこんな遊を目にして、寂しくならないように賑わうここに預けたのだろう。
「なんの話だっけ? そうだ。好き嫌いの話。貴方はないの?」
「オレ? オレは……特に思い浮かばないな……」
「いい子ちゃんね」
「遊は嫌いなものがありすぎる」
「ありすぎると言えるほど知らないでしょ」
遊は頬杖をついてバカにしたようにまた鼻で笑った。オレは遊の隣に移動して、ありすぎると言えるほど知っていると証明することにする。
「サラダのドレッシングやマヨネーズが嫌いだろ?」
遊は自分から言っていない嫌いなものを言い当てられて、顔をしかめた。
「今朝もそんな顔をして、サラダにかかったドレッシングを避けてた」
「……ふむ、当たり」
「口に合わなかったのか?」
「ドレッシング全般は口に合わないの。マヨネーズは辛くて嫌い」
「チリソースも避けてたな。辛いものは嫌いか」
遊が嫌いな食べものは、辛いもの。
「カレーも嫌い。匂いを嗅ぐだけでも頭痛を覚えるくらい拒絶反応がでる」
「嫌いなものは、徹底的に嫌うみたいだな……」
遊の嫌いっぷりには、吹き出してしまう。
「そう言えば、オレの師匠は三つの分類に分ける人だった。好きか、嫌いか、どうでもいいか」
「へー。気が合いそう」
「きっと気に入る。美しい女性だから」
「女性?」
師匠を思い出して言えば、遊は目を丸めた。
「元殺し屋って言うくらいだから、年配の男を想像してた。……いいね、かっこよさそう」
今度はスパイ映画に出てくる魅惑な女殺し屋でも想像したのかもしれない。オレの師匠にぴったりのイメージだ。
クスクスとオレは笑う。
「彼女には愛する人がいる。そうでなくても、軟派な言葉はどうでもいい分類に入る」
「軟派な言葉とは失礼な。わたしは綺麗な女性を褒めてるだけよ。会ってみたい。元殺し屋さんは今はなにしてるの?」
「あー……腕を活かしている職業だ」
「……殺し?」
「殺しは4年前からやっていない」
師匠の話はこれ以上できず、オレは遊から顔を背けた。
4年前について思い出して、自分が嫌うものを思い出す。だがそれも遊に話せないため、口を閉じた。
「ねぇ。ロームが好き嫌いの激しい女になってても、愛せる自信ある?」
遊は察したように話題を変えてくれる。
でもまたロームだ。その質問はわからず、首を傾げてしまう。
「小さい頃は可愛い可愛い女の子でも、ぶくぶくに太ってたら? 嫌味な女に育ってたら? この試練をクリアしてロームに会っても、愛する自信はあるの?」
意地悪な笑みを浮かべて、遊はオレのブレスレッドを人差し指でつついた。
色んな姿のロームを想像して、質問の答えを探す。
そして笑う。
首を傾げた遊に目を向けて、答えた。
「きっと再会しても、オレはロームに恋をすると思う」
写真越しに、ビデオ越しに、見つめてきたように。
どんな女性に育ってもきっとオレはロームに恋をするのだと思う。
短所なんて誰にでもある。百年の恋も冷める、なんて言葉があるが、そうなるとは到底思えない。
「……ふぅん」
遊は俯いて、そっぽを向いた。
「再会した時が見物ね」
鼻で笑わない遊は、どことなく怒っているように感じる。
理由を訊こうとしたが、そこにカートを押したリカメンが来た。
ボスの作った酢豚だ。
「なんだ、作れるんじゃん。いただきます!」
リカメンから渡されたそれにパイナップルが入っていると確認すると、遊は喜んで手を合わせて食べ始めた。
リカメンは夕食の途中だったオレにも渡してくれる。ボスはオレの分まで作ってくれたようだ。申し訳ない。
今まではイタリア料理しか作ったところしか見たことがなかったから、ボスの作った酢豚はこれが初めてだ。
遊の隣でオレも食べてみた。
おお……美味しい。
パイナップル入りもいいものだと思った。遊がこだわるのもわかる。
ボスは口止めをしたが、遊には知っておいてほしいと思った。
言いかけると。
「んーっ、美味し」
遊は上機嫌な笑みを浮かべて、食べている。
その満足げの横顔は、無邪気だった。
ロームによく似た笑みだ。
つい、見惚れてしまい、言いそびれてしまった。
20140727




