第九話「堕天使の目覚め」
ガルラ城下を城に向かって進んでいくが、まるで人の気配がない。
「どういうこと? ここは列島最大の町なはずなのに、誰もいないなんて……」
(……たしかにサレントの言うとおりだ。少なくとも、ここにはリネクがいたはずだ。なのに、誰一人いないってのは、どういうことだ?)
通りを抜け、ガルラ城の門の前に到着する。
門を開け、城の敷地内へと入る。――静寂の中、門のきしむ音だけが響きわたる。
城の扉の前に、グローニの姿があった。
「――罠を張っての、高見の見物じゃなかったのか?」 一定の距離を保ちつつ、以龍が剣を抜く。
「罠なら張ってありましたよ? ……ただ、ラーンくんの友人の、転送能力を使う時人に全て撤去されてしまいましたがね。――本当、やられましたよ。まさか、こんな大きな町の人間全てをどこかに転送してしまうとは」
「よかった……。この町に人がいないのは、みんな避難したからなんですね」 イリアが安堵の息をもらす。
「……どうやら、あの人があなたの計画をつぶしてくれたようですね?」
「ええ、残念です。せっかく朗報が入ったのに、ラーンくんにも会えないなんて」
以龍を挑発するような目で見て、さらに言葉を続ける。
「――あなたの息子さんを見殺しにした時人が、ここにいますよって伝えてあげたかったですね」
グローニの背後にある、城の扉がゆっくりと開いていく。
そして、グローニがその中に消えていく。
以龍が竜封剣に光の刃を纏わせる。そして、ゆっくりと、扉の方へ。
「待ってください、渚さん。これは明らかに罠です。戻ってください」
今の以龍には、イリアの言葉は聞こえていない。足を止めることなく、以龍は城の中へ。
以龍が中に入った直後、扉は勢いよく閉じてしまった。
「渚さんっ」 以龍の姿が消え、イリアの声だけがむなしく響きわたる。
グローニを追って城に入ったが、その城の中にグローニの姿はない。
二階に続く、大きな階段の踊り場に何かが置かれているのを発見する。
突然、この無人の城の中にサレントが姿を現した。……瞬間移動で以龍を追ってきたのだろう。
「以龍さん、ここは罠です。早く脱出を」
「……それは無理と言うものです。ここは唯一残っていた、私の用意した罠です。そう簡単に抜け出せるようには作っておりません。――まぁ、あなたみたいな能力があれば別ですが」 グローニの声だけが城内に響く。
「……サレント、おまえは逃げろ」 そういいながら、以龍はゆっくりと階段に向かっていく。
「以龍さん?」
階段の踊り場に置かれているものには、時計のような表示盤と針がついており、その針がゆっくりと真上に向かって進んでいる。――時限式の爆弾だ。
「どうやら、あなたはそこにある品がどういったものなのかをご存じのようですね? ――その針が真上を指したとき、それは大爆発を起こしますよ」
「!」 グローニの言葉を聞いて、サレントが階段に向かって走り出した。
サレントは、以龍を追い越し、階段を駆け上がる。
「なにをする気だ、サレント!? 早くここから逃げろっ」
針がもうすぐ真上に到達する。
サレントが時限爆弾を抱え込むと、蒼白い光を纏う。
「やめろっ、サレント」 以龍も階段を駆け上り、サレントに手を伸ばす。
「これしか、方法がないんです」 サレントは、爆弾を抱えて瞬間移動を発動させるつもりのようだ。
「やめろぉぉぉぉぉぉ」
以龍の伸ばした手が、サレントの身体に触れる瞬間に、以龍の視界がまばゆく光輝いた。
そして全ては、白き光の中に消えていく。
ガルラ城の窓の奥に、閃光がはしる。
そして次の瞬間、一瞬にしてガルラ城が炎に包まれた。
「そ、そんな……」 イリアが、その場に崩れ落ちる。
炎上したガルラ城の扉から、グローニが姿を見せる。
「安心してください。目の前で仲間を失ったあなたを手にかけるつもりはありません」
グローニはイリアの横を通り過ぎていく。
「……許さない。あなただけは――」 すれ違うグローニの顔睨みつけ、イリアは怒りを露わにする。
「では、どうするおつもりですか? ――あなたでは、私にダメージを負わせるどころか、触れることさえ出来ないと言うのに」
「――絶対に、許さない」 イリアの身体が、赤黒き光に包まれ始める。
「! なんですか、これは!?」 先ほどまであった、グローニの余裕に満ちた表情が消える。
イリアの背中に、血の色をした翼が生えてきた。
イリアがグローニを睨みつける。
その瞬間、グローニの身体が砕け、飛び散った。
それはさっきのように、グローニの幻が消えただけと言う、生易しいものではなかった。
なぜなら、飛び散ったグローニは、イリアの翼と同じ色をした液体を飛び散らしたのだから。――鮮血という名をした液体を。
男が見つめる水晶には、ガルラ城での光景が映し出されていた。
「……まさか、こんなに早く血の色の堕天使が目覚めてしまうなんて思いもよりませんでしたよ」
水晶を見つめる男の背後に、もう一人男の姿があった。
その男は、以龍のよく知る人物だ。――いや、正確に言えば、二人とも以龍の知る人物なのだが、面識があるという意味では、後者の者のみが知り合いということになる。
「――で、どうするつもりだ、シフラス? イリアが血の色の堕天使として目覚めた以上、終末の時はもう目の前だ」
「……ご友人のガルラ王の方はよろしいのですか、リネクさん? 彼と町の人々を放置してまで私に会いに来てくれたのは嬉しいかぎりなのですが――」
「茶化すなよ。お前にはわかっているんだろ? この後の展開が」
「何度も言いますが、私の能力はそこまで万能ではありません。ぼやけた未来がいくつも映ってしまえば、私の能力なんてないものと同じです」
「なら、質問を変えるぞ。――以龍は戻ってくるのか?」
「渚さん、ですか? 渚さんならすでに戻ってきていますよ? もう、随分も前に」
「その言い回しだと、戻ってはいるが、ガルラに駆けつけられない理由があるってことだな?」
「あいかわらずリネクさんは鋭いですね。ですが、あなたが代わりに血の色の堕天使の相手をされるというのはやめていただきませんか?」
「それはそういう未来が見えたからか? それとも、別の理由か?」
「……本当に鋭いです、あなたは。――あなたはいますぐに、ギルテに飛んでください。そこに、渚さんがいらっしゃいます」
ガルラ城で爆発に飲み込まれた以龍は、気がつくと、草のにおいが鼻につく場所に倒れていた。
少なくともここは、さっきまでいたガルラ城ではない。
恐らく、あの瞬間にサレントの能力が発動し、以龍はどこかに飛ばされたのだろう。
身体の痛みはたいしたことはなかった。だが、今の以龍は起きあがることが出来なかった。
「……サレント。……ラビ」 空を見上げながら、以龍は涙を流していた。
一人になって、堪えていた仲間を失ったという感情が溢れだしてきたのだろう。
だが、いつまでもこうしている訳にはいかない。以龍は意を決し、その場から立ち上がった。
冷静になって辺りを見渡してみる。
その景色に見覚えがあった。
「! ここは、ギルテ山か!?」
最初にここで目覚めた時と、なにかが違っているような気がするが、ここはまぎれもなく以龍がこの世界で初めて目にしたあの光景だった。
近くで人の気配を感じた。しかも、その気配の持ち主は、その場所からいっさい動く気配を見せない。
以龍は草木をかき分け、気配のする場所へと向かっていく。
一本の大木の前に出ると、その大木に十七、八歳くらいの少女が、両手を頭上にあげられて、縄で吊されていた。
「――あなた、『ビジット』の仲間なの?」 少女と目が合うと、少女の方から以龍に話しかけてきた。
「ビジット? 誰だ、それは?」
「関係がないのだったら、どこかに行って」
「こんな状況で放っておけるわけがないだろ? ――縄を切ろう」 そういって剣に手を伸ばすが――
「余計なことしないでっ! ……早くどこかに行ってよ」 少女が大声を上げてそれを制止した。
「あ、ああ」 こうなると、以龍はこの場を離れるほかなかった。
山を下り、ガルラに戻るつもりの以龍だったが、先ほどの少女が気がかりで、以龍は道を引き返した。
そして、草陰から様子を伺うことにした。
しばらくすると、下衆な笑みを浮かべた二人組の男が少女に近づいていく。
「なんでぇ。まだガキじゃねぇか?」
「いいじゃねぇか。女の身体をしてりゃあ、多少未熟でも楽しめるさ」
「……するんだったら、さっさと始めれば?」 少女が冷たい口調で男たちに言葉を投げつける。
「おーおー。今回の生け贄は強気だねぇ。前の村の奴なんて、逃げ出しやがったっていうのに」
「そのおかげで、ビジットの旦那はずいぶんと喜んでいたよなぁ。村を虐殺する理由が出来て」
(……そういうことか。女を差し出せば、村に手を出すのはやめてやるってとこか。――気に食わねぇな)
「それじゃあ、まずはその服でも剥がさせて――」 少女の服に手を伸ばした男が、突然その場に倒れ込む。
「! どうした――ぐぁ」
男の腹部に、以龍の鉄拳がめり込む。
「――下衆どもが。しばらくそうしてろ」
男二人を一瞬で打ちのめし、以龍が竜封剣を抜く。
剣で縄を切ると、少女がその場に落下する。
「あなた……、どうして?」
「俺は『以龍 渚』。あんたの名は?」
「……サーシャ」
「サーシャ、か。事情は大体察した。あんたは戻りな」
「事情を察したのなら、生け贄の私がここからいなくなればどうなるか、想像は出来るでしょ? そんなことしたら――」
「そのビジットって奴も片づければいいだけだ」
「そんなことを、本気で言っているの? ビジットは時人なのよ? いくらあなたが強いっていっても――」
以龍が能力を発動させる。光の刃が竜封剣を包み、蒼白き光が以龍の身体を包み込む。
「それがどうした? 俺も、時人なんだよ」
以龍の能力を見て、納得したのかどうかはわからないが、サーシャはこの場から立ち去っていった。
以龍が竜封剣を鞘に納めようとしたとき、竜封剣の異変に気づいた。
竜封剣の刃にはヒビが入っており、柄の部分にはめ込んであった水晶のような球体は完全に割れていたのだ。
「……あの爆発の衝撃で壊れたのか?」
とにかく、竜封剣を鞘に納める。
そして、うずくまって倒れている男の胸ぐらをつかみあげ、手の甲で男の頬を叩き、男をたたき起こす。
意識を戻した男に対し、以龍が詰め寄る。
「てめぇらの根城はどこだ?」
山小屋の扉を、以龍が乱暴に蹴破る。
「な、なんだ、てめぇは!?」 小屋の中の男たちが一斉に蹴破られた入り口に注目する。
「ビジットって奴は、どいつだ?」
以龍の問いに対し、男たちに内の一人が笑い声を漏らした。
「……あいにくだったな? 旦那なら村の方さ。いまごろはお楽しみの最中じゃないか? 破壊という名の快楽のな」
「なん、だと? じゃあ、生け贄を出そうが出さまいが、最初から――」
小屋の中の男たちが出入り口を塞ぎ、以龍を取り囲む。
「お前も無事にここを出れるとは思うなよ?」
「――どけよ。今の俺はかなりキてるぜ?」
以龍が小屋を後にしたとき、小屋の中で立っている者は一人もいなかった。
視界の先で、煙が上がっているのを発見する。
以龍は煙の上がる場所を目指して駆けだしていた。――そこが、サーシャが戻っていった村の場所ではないことを祈りつつ。
しかし、その場所に着いた以龍の目に映った光景は、目を背けたくなるような光景だった。
火の手の上がる家々。見るも無惨に惨殺された、村の住人と見える人々。そして、生々しい鮮血を流し、地に倒れるサーシャの姿――
「――」 その光景に、以龍の表情が凍り付く。
サーシャが何かを以龍に伝えようとしている。以龍はサーシャに近づき、サーシャの声に耳を傾ける。
満足にしゃべることのできない声で、サーシャは以龍に告げる。ビジットとの口約束を信じた自分が愚かだったと。そして、早くここから逃げるようにと。
「もういい。しゃべるなっ」
以龍の身体に、燃え盛る炎が映し出した人影が重なる。――背後に誰かいる。
「……ほう、まだ村の者がいたか。さしずめお前も、その女のようにいま戻ってきたという口か?」
以龍は振り返らずに男に問う。
「貴様が、ビジットか!?」
「いかにも」
「――ぶっ殺す」 以龍の身体が蒼白き光に包まれた。そして、竜封剣を抜くと、剣は即座に光の刃に包まれる。
振り返りざま、一瞬でビジットの右腕を肩から切り落とす。
そして、竜封剣をビジットの喉元に突きつけ、以龍が言葉を続ける。
「この程度で済まされるとは思うなよ」
「……この程度? わかってるんじゃねぇか、自分でも。こんな攻撃に効果なんてないってことが」 ビジットを見てみると、斬られた肩口から、いっさいの血が垂れない。
「! 血が、出ていない?」
「そういうことだ。お前はただ、作りモノの腕を斬り飛ばしたに過ぎないんだよ」 喉元に突きつけられた竜封剣の刃を左手で掴んでくる。
「くっ」 竜封剣を振り、掴みかかるビジットの左手を腕ごと切り落とす。――だが、その手首からも出血はない。
「この程度か? ――せめて、これくらいの能力は見せてみろよ?」 そういうと、ビジットの身体も蒼白き光に包まれる。
すると、切り落とされたビジットの両腕が地面の中に飲み込まれていく。
次の瞬間、以龍の足下から地面に消えたビジットの両腕が現れて以龍の両足を掴む。
「なっ――」 両足首をがっちりと掴まれ、以龍の足がその場から動かせなくなる。
「ただ斬るだけしか能のないお前の能力とは違うんだよ」 今度はビジットの足下の土が舞い上がり、その土がビジットの肩に次々と付着していく。
土がビジットに新しい腕を作り出した。
「久々の時人なぶりだ。じっくりと楽しませてもらおうか」
ビジットの拳が、以龍の鳩尾に直撃する。以龍は激痛に身を屈め、竜封剣がその手から落ちる。
以龍が身を屈めたため、以龍の顔面が低い位置にくる。その顔面を、ビジットが蹴り上げにいく。
が、以龍は光の刃の能力で光の剣を作り出し、襲いかかるビジットの足を切り捨てる。
「ほう。武器を媒介しなくても、その能力は使えるのか。だが、同じことだ」 斬られたビジットの足からも、やはり血は出ない。
そして、またしても土が舞い上がり、ビジットの足を生成していく。
今度は大振りな蹴りではなく、拳を的確に以龍の顎へと入れる。振り上げられた拳は以龍の顎を打ち抜いた。
本来なら以龍は、この攻撃で上方、あるいは後方へと飛ばされるはずなのだが、足が固定されているため、そうはならなかった。
しかしそれは、むしろ最悪な状況なのである。
吹き飛ばされていれば、距離を取り、体勢を立て直すことも出来る。だが、この状況では一方的に殴られ続けるほかなかった。
以龍の体内の液体が口から吐き出される。
それに攻撃の手を止めたビジットを以龍は鋭く睨みつけた。
「……気に入らないな。まだ目が生きていやがる」
ビジットが周囲を見渡した。
「――喜べ。いいことを思いついた」
「いい、こと?」
「そこの瀕死の女を使って、面白いモノを見せてやろうではないか」
そう言うと、地面の土が舞い上がり、倒れているサーシャの頭上に集まっていく。
「なにを、する気だ?」
「どうせ、放っておいてもくたばる女だ。なら、散り際くらいは派手に演出してやろうじゃないか」
サーシャの頭上の土の塊は、巨大な岩へと姿を変える。
「やめろ……」
「轢死っていうのは、なかなか見物だぞ? 特に頭だけをつぶした時なんか、血に混じって脳味噌やら目ん玉やらが飛び散っていくんだからよぉ」
「やめろぉぉぉぉぉ」
「はぁーはははっ。いい表情になったなぁ、おい?」
以龍は必死になって足の戒めを解こうとするが、その腕ははずれない。
「さぁ、ショータイムだ」 ビジットが指を鳴らす。
指を鳴らすと、ビジットの作り出した岩が重力に任せて落下を開始した。
サーシャの頭部に、その岩は落下し、ビジットの口にした光景が目の前で展開されたのだ。
サーシャの頭蓋骨や脳内部の部位が、落下した岩の合間から散乱した。
「――うわぁぁぁぁぁぁぁ」 以龍の絶叫とともに、以龍の体が赤黒き光に包まれ始める。
赤黒き光は、以龍を拘束していた地面からの手を吹き飛ばす。
「! こいつ、ブチギレやがった」
以龍がビジットに向けて掌を向けた。
「消し飛びやがれっ、外道がっ!」
以龍が掌から放った光線は、想像を絶していた。
地面の土をえぐりながら、村の家屋、山の森林の木々、そして、ビジットの身体をも飲み込んで空の彼方へと消えていく。
光線の通った場所は、すべての物質が消えていた。
ギルテ山の麓で、山の中腹あたりから空へと消えていく巨大な光線を見上げる人物が二人いた。
二人とも、以龍と面識のある人物だ。
一人は、リネク。そして、もう一人。リネクと一緒にいる人物は、着ている服は違えど、その顔は二度に渡って以龍の前に現れた、あの白き鎧の女だった。
「……おい、『ティナ』? まさか、あの光線を放ったのが、これから俺が退治にいくビジットって時人じゃあないよな?」 リネクは一緒にいる女を『ティナ』と呼んだ。
「それはないと思う。――だって、考えてみてリネク? もしビジットって時人があんな能力を持っていたとすれば、山賊程度で手配がかかるわけないでしょう? これは、あの場所にビジット以外にも時人がいると考えた方がよさそうですね?」
「気軽に言ってくれる。――ティナ、悪いがお前はここに残ってくれ」
「また、ですか?」
「悪いな。――だが、あの場所にいる時人は恐らく、俺と互角か、それ以上の能力を持った」
「私では、足手まといになると?」
「そうだ」
「……はっきりと言ってくれますねぇ? まさか、自分の女を守る自信がないとまでは言いませんよね?」
「俺にかぎって、それはない。……だが、俺がお前を傷つけてしまう恐れがある」
「本気を出されるというのですか?」
「本気で戦わなければ、あの能力者には勝ててんだろうな」
「……わかりました。そういうことであれば仕方がありません。私は宿の方に戻ります。――ここで待てと言われても、こんな虫の集まるような場所で立ち尽くしてはいたくありませんから」