07
「…怒らないの?」
「怒らないわ。ただ、悲しいだけよ」
「どうして?」
「だって…どんな女性にも、そう言ってるんでしょう?」
むすっとした顔でアイリーンがライナルトを睨んでくる。
それでも、その頬は少し赤く染まっていて…それがたまらなく愛らしかった。
愛らしくて、抱きしめたくなる。
「いや、初めてだよ」
こんな風に思える相手と出会ったのは初めてだ。アイリーンのように反応を知りたいだとか、惹かれてくれていたらと願うのは初めてだ。
「嘘ばっかり」
表情を緩ませることなく、アイリーンが言い放った。
アイリーンからすれば、自分は女遊びの激しい王子様なのだろうか。初めて自分から興味を持った女性にそう思われるのはちょっと心外だ。
「女性なんてね、何もしなくても言い寄ってくるから」
今までライナルトに言い寄ってきたのは、その身分に惹かれる女性ばかりだったからだ。
アイリーンは自分の身分を知っても、その態度を変えなかった。自分よりも、朝食や洗濯の時間を優先させたのは、初めてだ。
アイリーンは自分を一人の人物として見てくれた、初めての女性だ。
「…なら、そういう女性と楽しめば良いじゃない」
女性には困ってないようだから、とアイリーンはそっぽを向いた。相変わらずその頬には赤みが差していて、とても可愛らしい。
「そういう女性は楽しく無いんだよ。興味が持てないから、興奮も出来ない」
ライナルトは未だに赤みを帯びているアイリーンの頬にそっと触れた。
先ほどまでは怒って「触らないで」と言っていたアイリーンだが、今度は何も言わない。触れることを許してくれたのだろうか、アイリーンはされるがままで怒ったり、ライナルトの手から逃れる真似もしなかった。
拒否されていない。そのことに安堵して、ライナルトはアイリーンに顔を近づけた。
「…キスしていい?」
額がくっつく近さで、ライナルトが呟く。
それを聞いたアイリーンは、眉間に皺を寄せ、不満そうな表情へと変わっていった。
「…だめ」
「したい」
「どんな女性にも、そう言って」
「無いよ。初めてだよ。キスしたい女性に出会ったの。だってアイリーンは可愛いし面白い」
「何それ」
面白いなんて、口説き文句にならないわ。
アイリーンが拗ねるのを笑ってライナルトは見た。不満そうな表情も、拗ねるのも、まだ赤いその頬も。全てが愛らしくて、ずっと見ていたいと思う。
ライナルトは更に顔を近づけ、アイリーンの額に自分の額をくっつけた。
「アイリーン、キスしたい」
ライナルトが更に顔を近づけようとした所で、アイリーンがふい、っと顔を背けた。
「だめ」
「どうしたら許してくれる?」
「どうしてもダメよ。あなた、王子様でしょ?私みたいな娘で遊んでる暇無いじゃない」
「遊びじゃないよ」
「遊びよ」
今日会ったばかりの相手に、遊び以外の感情は抱かないだろう。
物珍しい相手に、ただ興味を持っただけ。アイリーンは少し悲しげな表情でライナルトの手から離れるように顔を背けた。
「…じゃあ、毎日通うよ。それで…キスしても良いって思えたら…許してくれる?」
「ダメよ。王子様がこんな田舎まで毎日通う暇無いでしょ」
本当に手ごわい相手だ。
身分が逆に邪魔になる日が来るとは思わなかった。
今となっては父がいきなり約束も取り付けずに、求婚の為に押しかけた愚行の理由が何となく分かる。手に入れたいと思ったのだろう。
ただ、父には敵わない相手がいた。自分はどうだろう…ふとそんなことを思って、ライナルトは緊張した面持ちでアイリーンに尋ねた。
「…心に決めた相手がいるの?」
「…別にいないわ」
「そうか。じゃあ、俺がその相手になれるよう…頑張るよ」
ちゅ、とライナルトはアイリーンの手を取り、その手の甲に唇をつけた。
アイリーンは困った顔で、ライナルトから目を逸らした。気まずい…と思いながら、握られていた手を引っ込めようとするが…ライナルトはその手を離さなかった。
目を合わせようとしないアイリーンの顔を覗き込み、黙ってその手を握り締めた。