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〜第一章 アルバイト〜

ガタン……ガタン……


ガタン……ガタン……



もう朝か。


毎朝この音に起こされる。


アパートの隣を走る電車の音。


いつも通りの朝だ。


メールの着信は……あれ、ない。


メールするって言われたのにな。


夢……だったのか……


まあいい、とりあえず起きよう。

起きて、顔を洗って、朝食を摂ろう。

それから考えよう。




僕の名前はユメノアキラ。

しがない大学生だ。

趣味は人間観察とネットサーフィン。

今まで生きてきて、大きく目立ったことや賞を貰ったりしたことは無い。

だいたい人前で何かするなんて、もってのほか。

人見知りだからすぐあがるし、とてもじゃないけど喋れない。

しかしこんな僕でもきちんと職に就いてお金を稼いで結婚して、普通の人生を歩みたいと思っているのだ。

そして、そろそろ本格始動しなければならない。

それはわかっている。

わかってはいるが、なかなかうまくいかない。

僕は不安と焦りを感じながら毎日を過ごしていた。

そんな時、ある事件が起こったのだ。




…………僕は焦っていた。

アルバイト先が決まらない。

また面接に落ちたのだ。昨日の夕方のことだ。

途方に暮れた僕は、高校生の時からコツコツ貯金して貯めたお金で購入したボロいアパートの一室を抜け出し、近くの公園へと足を運んだ。


そこは、僕にとってはこの上ない楽しい場所だ。

たくさんの人で賑わうこの公園は、人間観察ができる絶好の場所だからだ。


僕はベンチに腰をおろし、被写体を見る。


日傘をさして、犬と散歩をしている40~45歳の女性。なかなか上品な顔立ちをしている。連れてる犬はブルドックだ。僕の研究では、ブルドックを飼っている中年女性は金持ちが多い。よく見ると日傘も高級な物のようだ。黒いレースで、小さめの日傘。彼女はおそらく既婚だろう。指輪はしていないが、僕ぐらいになるとだいたいわかる。それと、履いている靴が…………………



あの少年、前にも見たことがあるな。確か前回は友達と一緒に来てたと思うけど、今日は一人だな。一人だけで何をするんだろう。ポケットからガムを取り出した。この辺には駄菓子屋はなかったはずだから、少し遠いところから来てるんだな。今日は結構暑いのに、帽子をかぶってないな。親とうまくいってないのかな。あっ、段差でつまずいてこけそうになったぞ。まったくあの時期の子どもは…………………




ふと自分のしている時計を見た。

時計は18時をさしていた。

やばい。晩ご飯、家に何もないぞ。

近くのスーパーに買いに行こう。

……財布を家に忘れてきた。

しょうがない、一旦帰るか。

立ち上がったその時だった。

「ちょっと待ってください!」

甲高い声が、人の少なくなった公園に響き渡った。

声のした方を見ると、16か17の少女がこちらに向かって走ってきた。

「えーと、こんにちわ!」

「こ、こんにちわ」

「あれ、“こんばんわ”が正解だったかな?

こんばんわ!」


なんだこの子は……

見た目は可愛いらしいが、どこかミステリアスな雰囲気を醸し出している。服装もその理由の一つだ。大声を出して大暴れしそうな女性の服装ではない。いかにもおしとやかで、流暢な喋りをしそうな、お嬢様のような制服を着ていた。まあ最近の若者の考えていることはわからない。自分も昔は………………………


「あのー、

だいじょうぶですか? 」


僕はハッと我に帰った。

「大丈夫です、ごめんなさい……

それで、僕に何か用ですか」

「うん!用って程の事でもないんだけど、ちょっと質問があるんだ!」

「……質問?」

「そう!質問!チャチャチャン!

あなたは、夢を見ますか?」


夢。それは僕にとっては生活の大切な一部だ。

僕は毎日必ず夢を見る。たとえ高熱が出ている時でも、テスト前で焦っている時も、夜寝れば必ず夢を見る。

そして、夢の登場人物の法則も決まっている。

それは、その日に観察した人間達だ。

面白いことに、観察した人は“全員”夢に現れる。

しかしその人間たちは、100%同一人物では無い。姿形以外、つまり性格や口調は僕が勝手に想像して作った設定が反映されるからだ。

夢で僕はその人たちとの会話を楽しむ。

だから僕はなるべく多くの人を観察し、夢に登場させ、会話の相手の選択肢を増やす。

これが僕の“人間観察”の流れだ。

このことは今まで生きてきて誰にも話したことはない。言ってもどうせ信じてくれないし、信じてくれたところでその先は何もない。

しかし、今回は夢を見るか否かという事なので、目の前の彼女の質問に僕はイエスと答えた。


「なるほど……」

彼女は僕をまじまじと見つめた。

「……何か仕事はしてるの?」

彼女は急におとなしい声で質問した。

僕は首を横に振った。

すると彼女はさっきまでの笑顔に戻った。

「やっぱり! わたしの見込んだ通り!

君にぴったりのアルバイトがあるんだ!

“あくとくしょーほー”とかじゃないよ?

ちゃんとした、人を助ける仕事!

じゃあ、あなたのケータイアドレス教えて!明日の朝、メールするから!」


僕は言われるがまま、彼女とアドレスを交換した。


「へえ、ユメノ君って言うんだ。

すっごい良い名前だね!

わたしはサツキ!よろしくね!

じゃ、また明日!

バイバイ!」


そう言って彼女は走り去って行った。





…………とまあ、こんなことがあったわけだが、メールは来ない。

時刻は午前11時をまわっている。

幸い、今日は日曜日だ。アルバイトのために使うなら別に構わないとは思っていたが……

だまされた……

メールアドレスを悪用されなければいいけど……


それにしても、今日の夢はよかった。

……まず最初に見た光景は、大木の下に滑り台。たったそれだけの空間。

しかしいつもこんな感じなのだ。

いつもこのような空間に、人がやってくる。


僕は滑り台に行った。

誰かがやってきた。公園で見た女性だ。ブルドックはいない。人間以外のものは夢に反映されないからだろう。

女性は僕の前を通り過ぎ、フワリと消えた。

僕が声をかけない限り、こちらに気づきさえせずに消えていく。

また誰かきた。70前後のおじいさんだ。

僕はキラリと目を光らせ、おじいさんを呼び止めた。

おじいさんはこちらに気づき、滑り台に近づいてくる。

お話の始まりだ。


そのおじいさんは昔、ピンのお笑い芸人を目指していたということで、たくさんのネタや漫才を披露してくれた。それがあまりに面白く、僕はずっと笑っていた。

珍しく、そのおじいさん一人のトークだけで夢は終わった。



……おじいさんの変顔ショー、面白かったな。

思い出し笑いをしそうになった時、ケータイが激しく鳴った。

メールだ。

サツキからだ。


件名

公園に来て!

本文

公園に来て!


僕はホッとして、しっかりスーツを着、財布とハンカチだけカバンに入れ、公園へ向かった。


夢で会ったおじいさんいないかな。たしかこの辺りで見たんだよなぁ。

キョロキョロすると不審者と間違われるので、目を正面に向けたまま、辺りを見る。僕は歩きながらでも人間観察ができる。

自慢ではないが通報されたことは一度もない。


すぐに公園に到着した。

昨日僕が座っていたベンチに、彼女が座っていた。ずっと遠くを見つめていた。

「あのー」

おそるおそる声をかける。

彼女はハッとこちらを向き、にぱっと笑顔になった。

「来てくれたんだね!返信がないから、こないかと思っていたよ」

……しまった、返信するのを忘れていた

「おはようございます!ユメノさん!

今日はずいぶんおしゃれですね!

早速なんですが、わたしについてきてください!」

僕に口を開く隙を与えず、彼女はサッサと歩き出した。

これから僕が働く会社へ……

会社…なのか…?

そういえば、アルバイトがあると言われただけで、具体的な内容がまったく知らされていないじゃないか。僕はこれからどこへ連れていかれるのだろうか。

急に不安になった僕は彼女を呼び止めた。

「今からどこへ行くんだ。どんな会社なんだ」

ちょうど公園の出口付近だった。

彼女は立ち止まり、くるっとこちらを向いた。

「そんな怯えた声を出さなくても、悪いようにはしないって!」

……どうやら、僕の声は震えていたようだようだ。

「すぐそこだから、怪しいところじゃないし、嫌だったらすぐ帰っていいよ!

でも支配人に会ってから考えてみて!」

それでは少し手遅れにならないか。僕はまた心が曇ったが、言い返すことができなかった。


連れてこられたのは公園を出てすぐの道路の向かい側にある小さなオフィスビルだった。大きな窓がついている3階建ての建物だが、看板も張り紙もなく、とても中で人が働いているとは思えない外観だった。

「ここです!」

デデーンと得意げに両手をその建物に向ける彼女。

すると建物のドアが開き、一人のやせ細った老人が出てきた。

「お待ちしておりました。どうぞ中へ」

そう言ってドアを開けたまま、老人は建物の中へ消えて行った。

「今のが支配人だよ! とっても優しい人だから、大丈夫だよ!」


とりあえず入ってみよう。

こんな 人が大勢集まる場所の近くに悪い会社があるはずない。

仕事内容を聞いて、無理なら帰る。

でも、もしかするとこれは働けるチャンスかもしれない。

真面目に一生懸命やろう。

心を決めた僕は彼女と共に建物に入った。


目に入ったのは……特に何もない。

何もないせいで少し広く感じる部屋の真ん中に、丸い机と、その周りに4つの丸椅子。部屋の奥に、2階へと続いているであろう階段があるだけの部屋だった。


先ほどの老人……支配人が、椅子に座って手招きをしていた。

僕はそこへ行き、どうぞという声に合わせて、一礼をし、椅子に腰掛けた。

「ようこそおいでくださいました、ユメノさん。私がここの支配人でございます。

あなたのことはうちのサツキからよく聞いております。

人間観察をよくしていらっしゃるということで、こちらにお招きした所存でございます」


……ばれていたのか………恥ずかしい…


「し、仕事内容はどのようで」

「そう慌てなさるな。

……私は、昔から“夢”についての研究をしていたのですが、ついに夢を操作することができる可能性を見出したのです。

しかしながら協力者が見つからず、実験するのも危険極まりないと非難された結果、ここに追いやられたのです。

しかし私は諦めきれませんでした……

私の理論は完璧なのです……!

ある波長とある波長が合わされば確実に…………!!」


そこまで言ったところで、隣に座っていたサツキが大声で支配人、と叫んだ。

すると支配人はハッと我にかえったような顔をした。そして小さな咳払いをしてサツキの方を見た。


「支配人、あんまり話が長くなると、ユメノさん帰っちゃうよ?

ユメノさんは、アルバイトしにきたんだから」


支配人は目を僕に向けた。

「大変失礼いたしました」

支配人は深々と頭を下げた。

「では端的に話をいたします。

あなたをお招きしたのは、あなたの波長が、赤色……つまり、私の理論を証明するために必要な色をしていたからです。あなたは、何か人とは違う能力をお持ちでないでしょうか」


ぼくは唾を飲み込んでから、説明した。もちろん、夢のことだ。


僕は毎日夢を見る。

夢の登場人物は、その人観察した人間。

そして彼らとは会話ができる。


話をするに連れ支配人は、おお、おお、おお、と嬉しさと驚きと感動とその他諸々の感情が入り混じったような声をだした。


説明が終わると支配人はブラボーブラボーと手をたたき、まさに探していた人だ、とつぶやいた。すぐ隣からもすごいね、と声がした。

ただ毎日夢を見るだけですごいとも何とも思っていなかった僕は少し得意げになった。

もしかして、寝るだけでお金がもらえたりするのではないだろうか。

そんな甘い期待も持ち始めた。


「いやあ、素晴らしい能力の持ち主だ。是非、私に協力して欲しい。」

「……具体的に、僕は何をすればいいんでしょうか」

「まずは、実験をしなければなりません。話はそれからです」

「わかりました。

波長がどう……とかでしたよね」

「そうです。2種類の奇跡の波長が合わさった時、夢にはいるための扉が開かれるのです」

「夢に……入る?

僕が入るんですか? 」

「その通りでございます。

しかし、あなただけではありません。

夢に入るのは、おそらく、もう一つの波長の持ち主と一緒です」

「もう一つの波長の持ち主は誰なんです」

それは、と言いかけたところで隣にいるサツキが僕の視線に入った。

「それはサツキです」

「そうだよ!

私も一緒にいくから、安心してね! 」

相変わらず満面の笑みだ。まだ少し慣れない。


支配人は椅子から立ちあがり、僕とサツキを2階へ上がるよう指示した。


2階には赤い絨毯が敷かれており、その上に病院でよく見るベットが1つ、その横に丸椅子が2つあるだけの部屋だった。

こんな部屋で夢に入るなんていう馬鹿げたことができるのだろうか。

何か別の目的で連れてこられたのではないのだろうか。

そんな不安を抱えつつ、僕とサツキは丸椅子に座り、支配人の少し待てという指示に従った。

すると間も無く、1階から見知らぬ青年が上がってきた。

彼はこちらに向かって一礼して、ベッドの上で仰向けになった。

どうやら入るのは彼の夢らしい。


部屋の真ん中におかれたベッドの上に仰向けになって寝ている青年。そしてその隣に座っている僕とサツキ。

これではまるで、入院している患者の見舞いにきているようなシチュエーションだ。

ここからどんな実験が始まるのだろう。


少しすると、青年は眠りに落ちた。

支配人が心拍計のようなものを持ちながら、ベットの向かい側に新しく持ってきた物であろう丸椅子を置き、それに座った。

「さて、条件は整いました。あとはお二方の出番です」

「うわー、ドキドキするね」

サツキが小さな声でつぶやく。


「まずはサツキ。

右手を青年の額に置きなさい」

こう?とサツキが右手で青年の額を抑えた。

「次はユメノさん、あなたです。

左手を、サツキの手の上に置いてください」

「……置いたら夢に入れるんですか」

「その通りでございます。夢に入れた場合、中での要領は事前にサツキに把握させてあるので、どうかご安心を」

……なるほど、それは安心だな。


ではいきますか、と心の中でつぶやき、自分の左手を、真っ白で小さな手の上に置いた。

すると突然手が青年の額に吸い込まれるような感じがして目の前が暗くなってだんだんと意識が遠ざかっていった……







ガタン……ガタン……


ガタン……ガタン……



……もう朝か。


毎朝この音に起こされる。


アパートの隣を走る、電車の音。


いつも通りの朝だ。


メールの着信は……あれ、ない。


メールするって言われたのにな。


夢……だったのか……


……夢……?……


……そうだ!

僕は確か、サツキという少女と共に夢の中に入って……

……ここは夢……?


僕は自分の部屋にいた。

いつも通りの部屋。

腕時計を見る。

午前7時を指している。

曜日は“日曜日”だった。


僕は頭を掻きむしり、ベッドから立ち上がった。

顔を洗い、朝食を摂り、スーツに着替えた。

8時半。

この世界が“今日”なら、この時間にサツキから公園に来いというメールがくる。

……メールは来ない。

とりあえず公園に行ってみよう。

そこに彼女がいるはずだ。

彼女に会えば、何かわかる。

そう思って僕は少し早いペースで公園へと向かった。


……いない。

彼女もいないが、人が一人もいなかった。

この時間はいつもサラリーマンや学生たちで賑わっているはずなのに、誰もいない。

公園は不気味に静まり返っていた。

僕はベンチに腰掛けた。

僕の心境は穏やかではなかった。

実験とやらは失敗したのだろうか。

仮にここが本当に青年の夢の中だとして、どうすれば現実の世界に戻れるのだろうか。

……だめだ、じっとしていられない。

もしかすると、あの部屋に戻れば何かわかるかもしれない。

僕は立ち上がり、例の建物へと歩き出した。

すると目の前に、人影が通った。

あの青年だった。

年齢は23~25、何かスポーツをしているのか、体は鍛えられている。そして持っているカバンは……

……とにかくどこからどう見ても同一人物だ。

僕は慌てて彼の後を追った。

するとまた向こうから人影が現れた。

……支配人だ。

僕は支配人に手を上げて合図した。

しかしまったく気づいていない様子で、支配人は青年に話しかけた。

「すみません、今少しお時間ありますでしょうか」

支配人は頭を低くして何か青年に説明をしているようだった。

青年は、かまいませんよ、と言って、支配人から一万円札を受け取った。

そしてそれを左ポケットにつっこみ、支配人とともに、例の建物に入って行った。

僕はずっと近くで二人を見ていたのに、一度も目が合わなかった。まるで僕がここにいないかのように。


僕が道路を渡ろうとした時、遠くに制服を着た少女がいるのを見つけた。

サツキだ。

……いや、少し違う。

彼女はあんな冷たい目をしていない。

サツキじゃないのか……?


目があったまま10秒ほど経過しただろうか、まだお互い一歩も動いていない。

次の瞬間、目の前がスッと暗くなって、同時に意識も消えていった……






外はすっかり暗くなっていた。

まだ3人の話し合いは続いている。

「だから! わたしは夢の中に入ってないんだって! 何にも覚えてないもん! 」

「わかったわかった、少し待ってくれ」

サツキの訴えに支配人が頭を悩ましている。

僕は、あの青年の夢の中と思われる世界での出来事をだいたい覚えていたが、サツキは何も覚えていなかったのだ。

それによって、夢の中に入れたという確証が生まれないらしい。

支配人は日本語ではない文字の書かれた書類を何度も何度もめくっては唸っている。


意識を取り戻してから1時間経った今、僕は始めて欠けていた記憶を思い出した。

「……いた」

「えっ、何?」

僕の虫のような声にサツキが即座に返答した。

「いたんだ、夢に君が」

仰天する二人を余所に僕は続けた。

「意識がなくなるほんの少し前、道路を挟んだ向こう側にサツキがいたんだ。

……ただ、本人じゃない気がして声はかけれなかったけど」

「本人じゃない、とはどういうことですか」

今度は支配人が返答した。

僕は夢で会ったサツキの容姿を細かく説明した。

と言っても、ほとんどが今隣にいるサツキと同じだった。“目”以外は。


すると一瞬、支配人の目が光ったように見えたが、それを隠すように口を開いた。

「ありがとう、よくわかりました。

今日はもう遅いですので、来週の日曜日、またここへきてください」


支配人は立ち上がり、サッとドアを開け、僕を外へ出した。


支配人の目には涙が溜まっているように見えた。





その日の夜、夢を見た。

公園のベンチがある。今回はそれだけ。周りは真っ白で、何もない世界がずっと広がっている。人が現れては消え、現れては消える。

僕は二人が来るのを待っていた。

夢でもいい、嘘でもいい、とにかく話がしたい。

今日の不思議な別れ方がずっと心に残っている。このモヤモヤをとってくれるかもしれない。


……先に現れたのは、支配人だった。

僕は急いで支配人を呼び止め、ベンチへ招いた……


……目が覚めた。

電車の音。

月曜日の朝。




〜一週間後〜



僕は今 例の建物の前にきている……だが前回と少し違っていた。

ドアに『夢の館』と書かれた貼り紙があった。

サツキの仕業だろうか、可愛らしいシールも貼られていた。


実をいうと、今自分はここにいるはずではなかった。いや、いたくなかった。

この一週間で、きちんとしたアルバイトを見つけて働きたいと思っていた。

しかし何も変わらなかった。


もうここしかないと思った。

僕を必要としてくれるかもしれないこの会社しか。


僕はドアを開けた。


すると支配人が僕を待ち構えていたかのようにドアの近くに立っていた。


「おはようございます。ようこそ『夢の館』へ」


「おはようございます。

『夢の館』っていうのはここの名前ですか」

「そうだよ!

支配人と考えたんだ!」

サツキは丸椅子に座ってぐるぐる回って遊んでいた。

ふと支配人と目があった。

支配人は僕をまっすぐ見て口を開いた。

「ユメノさん、先週は大変申し訳ございませんでした」


……これだ。

先週の日曜の夜に見た夢で支配人と話をしていた時、彼は

『今日は大変失礼しました。来週来ていただいた時には一番に謝罪をします』

『来週には建物に名前をつけておきます。そうすれば会社らしくなるでしょうし、これからのためにも重要になります』

と言った。

ふつう、夢での会話で未来の予定の話は決してしない。会話はすべて過去の話なのだ。その時支配人は確かに未来の予定の話をした。

しかも彼の予言は当たっている。

一番に謝罪をされたし、名前も決まっている。

これがどういうことか一週間考えたが、結局人の夢に入れるのだからそれぐらいどうということはない、という結論に至った。

正直、考えるのが面倒になっただけである。


「今日僕は何をすればいいんでしょうか」

「まずは、先週の実験は成功だったということをご報告致します」

そういえば青年の夢から戻った直後、僕と支配人は成功だ、と喜んでいたが、サツキの記憶がなかったせいですぐに冷めてしまった。

実験が成功か失敗かはわからないままだった。


「説明をしていきましょう。 まずあなたが先週見たもの、それは人の“夢の中の世界”です。しかし、寝ている人間が見ている“夢”とは違い、ユメノさんが見るのはいわば“記憶”なのです。記憶の中に入っていく、というのが正しい表現になるのでしょうか。

記憶の中は現実の世界と似たような世界が広がっており、その人の記憶が存在する部分だけ色付けされています。その人が忘れている記憶でも、あなたなら探し出し、またあなたが夢での出来事を記憶することができるのです」

僕は小さく頷く。

「そしてここからがお仕事の話でございます。ユメノさん、今度は、失われた記憶を見つけてきて欲しいのです」

「……失われた記憶……ですか」

「はい。最近では、記憶に欠損があって、それを思い出せずに苦しんでいる人がたくさんおります。

……私の家内もそのうちの一人でした。

家内は数十年前、交通事故で頭を強く打ち、手足が動かなくなり、そして記憶もすべて失ってしまったのです。

家内は治療を受けていましたが、ストレスのせいで亡くなりました。

記憶を失ってしまったことがそれほどど辛く、不安だったのでしょう。

私は、家内のように記憶を失って辛い目に遭う人がいなくなるように、この研究を始めたのです。

元々、リエゾン精神医学を学んでおりましたので、脳の研究をすることは難しいことではありませんでした。

しかも、他人の夢の入り方が書かれた論文を見つけまして、それが実に参考になりまして、私の研究も大変捗りました。

しかしながら、いつか言ったとおり、誰も協力してくれるものはおりませんでしたので、一人でするしかなかったのです。

いつしか私の夢は、人の思い出したい記憶を思い出させる仕事をすることになっておりました。

そしてついに完成したこの『夢の館』こそが、まさしく私の理想の会社なのです……

引き受けてくださいますか、ユメノさん」


……そんな話をされたら断ろうにも断れない。

しかし断る必要はない。

ようやくアルバイトができる。

「もちろんです。 こちらこそよろしくお願いします」


「……ああ、ありがとうございます」


支配人は祈るような格好で、ありがとう、ありがとう、と呟いた。

隣に座っているサツキは、しんみりと寂しい表情をしていた。


「それでは、始めての依頼を紹介します」

そういって支配人が資料を僕に手渡した。


《コンドウ イサム (32)

警備員

職務中、花瓶で頭部を強打し気絶、部分健忘に陥る。

花瓶がどのようにして当たった、又は当てられたのかは不明。

コンドウ氏が気絶した時刻は15:10


もし解決できた場合は謝礼金100万円を贈呈する》




……100万円!?

驚きのあまり声に出た。

初めての仕事にしては荷が重すぎるのではないか。

はたして僕にできるのであろうか。


空いた口が塞がっていない僕に支配人はつづけた。

「ユメノさんの仕事は、コンドウ氏の夢に入り、15時10分に警備員の仕事をしている彼を確認し、花瓶がどのように当たったのかを記憶する“だけ”です」


……選択の余地はなさそうだ。

「……やります」

「ありがとうございます。 では、コンドウ氏をこちらに呼びますので、しばらくお待ちを」

そう言って支配人はそそくさと出て行ってしまった。

「……ユメノさん大丈夫?」

サツキが心配そうに尋ねる。

「大丈夫。きっとできるさ」

「そうじゃなくて、この仕事、無理やりやろうとしてない?

無理矢理やって辛い思いしてたら、わたしに責任があるから……」

サツキはポツポツと話す。

「大丈夫。おかげで仕事ができたわけだし、お金ももらえるし、僕にとっても有難いことだから。

心配してくれてありがとう」

「……うん、それにね、また私が夢の世界にいないかもしれないけど、その時は一人で頑張ってね 」

僕が小さく頷くと彼女は安堵の笑みを浮かべた。

少しして支配人が帰ってきた。

道路に救急車が止まっていて、そこから一人の男性が担架で運び込まれてきた。

おそらく彼がコンドウ氏だろう。

コンドウ氏はすでに眠っていた。

救急車の乗組員二人を一階で待たせておいて、僕らは二階へと上がった。

初仕事の始まりだ。

コンドウ氏をそっとベッドに移し、サツキと僕は彼の額に手を当てた。










ガタン……ガタン……


ガタン……ガタン……



僕は電車の音で目を覚ました。

ここは確実にコンドウ氏の夢の中の世界だ。

見ると、周りの色が少し薄い気がする。おそらくコンドウ氏の記憶にはない部分なのでそうなっているのだろう。

時刻は7時をさしていた。

僕は素早くスーツに着替え、コンドウ氏の働くビルへと向かった。



支配人から聞かされた場所についたのは11時頃だった。

なにしろ聞いたことのない地名だったので、道中様々な店に立ち寄ってようやく地図を探し出し、戸惑いながら盗んだ自転車で長い距離を走ってきたのだ。

大きな交差点の周りに7階建てのビルが4棟。

この場所で合っているようだ。

道の一部で工事を行っていて、作業員が3人ほどその周りにいた。

そして、その中にコンドウ氏の姿があった。

僕は工事をしている道路のちょうど反対側の歩道に座ってまつことにした。

後は15時10分にどのビルから花瓶が投げられるかを見るだけだ。


…それだけのはずだった。

気づいた時には時計が15時10分をさしていた。

夢の中で眠ってしまっていたのだ。

僕は慌てて飛び起き、コンドウ氏の方を見た。

彼は……いた。

まだ工事現場の近くに立っている。

その時だった。

彼のすぐ後ろのビルの2階から、金色の髪の男が何かをコンドウ氏に向かって投げた。

そしてそれは彼の頭に直撃し、ガラスの割れる音と共に彼は倒れた。





「お疲れ様でした」

支配人が茶色い封筒を僕に渡した。今回の給料だ。

「こんなにもらっていいんでしょうか。 結局僕は犯人の顔は見ていませんでしたし」

封筒は見ただけで大金が入っているようだった。

「警察の方が調べた結果、あのビルの2階にいた人は1人しかおらず、しかもその人は髪を金に染めておりました故、すぐに逮捕することができたそうです。 本人は花瓶を投げたことを自供し、動機も述べたそうです。 ストレス発散のために投げた、という何とも不愉快なもののようでしたが。 そういうわけで、コンドウ氏の記憶喪失もこれからの生活に支障を来さない程度のものでしたし、すべて貴方のおかげで解決したのです。 十分な御活躍をなされましたよ」

「そうでしたか。 それは良かったです」

「それでサツキの件ですが、今回は見かけませんでしたか」

「それが、花瓶がコンドウさんに当たった後、集まった野次馬の中にいたような気がするんですけど、正直自信がないです」

「それは……」

支配人がそう言ったところで、支配人の腕時計のアラームが鳴った。

「おっと、もうこんな時間ですか。すみません、今日はこの辺で。 また来週、お待ちしております」

そう言って支配人は館から出て行ってしまった。



その日の夜、夢を見た。

周りはどこも真っ白。

その中で一箇所だけ、少し黒い影になっている部分があった。

僕はそこへ行き、腰をおろした。


ずっと奥の方から誰かが歩いてくる。

コンドウ氏だった。

「やあ、今日僕の夢に入ったのは君だそうだな。

「ええ、そうです。 お体は大丈夫なんですか」

「もう平気さ。明日には退院できると言われたよ。それにしてもすごいな、記憶に入るだけじゃなくて、現実の世界に持って帰れるとは。 こんな治療方法聞いたことがない。 本当にありがとう」

そう言うと、コンドウ氏は静かに涙を流した。

「コンドウさん、大丈夫ですか」

「ああ、いや実は、不安だったんだよ。記憶が無くなって、思い出せないことが本当に不安だったんだ。もしかしたら自分は騙されているのではないか、何かを隠されてるのではないか、僕は意図的に殺されかけたのではないだろうか、とか勝手な想像をしてしまって。でももうなくなった。君がすべて解決してくれたからだ。本当に感謝してる。

ありがとう」

コンドウ氏は深く頭を下げた。

人から感謝されることがこんなにも嬉しいことなのか。

僕の目からも自然と涙が溢れていた。



こうして僕のアルバイト探しは幕を閉じた。

ようやく見つけた仕事。

それは人の記憶を取り戻す仕事、人の不安を取り除く仕事だった。

普通の仕事では無い。

しかし僕にしかできない仕事だ。

この世界には記憶を失って苦しんでいる人が少なくともいる。

僕がしなければならない。

僕は彼らを癒すことができる。

また来週、

『夢の館』で。
















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