曼荼羅堂 地球支部
「困った,本当に困った」
悪いことが起こるときは重なって起こるとよく言うが重なりすぎるのは勘弁してほしかった。
事の起こりは一週間前の月曜日だった。朝、通勤電車の中で痴漢に間違われた。その女性が騒ぎまくってとうとう警察沙汰にまでなった挙げ句に俺までが騒ぎまくってしまって会社にまで連絡されてしまった。そしてそのおかげで会社に大遅刻。行くのを止めようかとも思ったがこの日は大事な会議があって行かないわけにはいかなかった。不幸はまだ続く,出社していきなり,
「何してたんだ!!早く何とかしろ!!」
と怒鳴られた。どうやら俺が担当しているシステムにトラブルが発生してサーバが止まり、社内業務に影響して大騒ぎになっていたようだ。俺に,『何度電話をしても出ない』と怒っていたが俺はそれどころではなかったと説明するのも面倒臭かった。一緒に仕事をしている坂田美由紀に話し掛けたが,
「どこにいっていたんですか,なんかもう大変なことになっていますよ」
と言われる始末。結局このお陰で会議にも出られず、対応が終了して開放されたのが翌日(火曜日)の午前3時をまわっていた。
不幸はまだまだ続く,その日タクシーで帰宅すると俺のアパートがトンでもない状態になっていた。居眠り運転をしていたダンプの運転手が勢いよくアパート近くの電柱にぶつかり、その電柱が根元からグニャリと折れ曲がって二階にある俺の部屋のところだけが全壊状態となった。しばらく目が点となってたたずんでいたが小雨が降り出してきてハッとした。とりあえず貴重品と身の回りの物だけ瓦礫の中から取り出して一時カプセルホテルに避難した。
夜が明けて(水曜日),会社に行こうかと外にでると土砂降り,昨日の雨が強くなったらしい。昨日は気が動転してビニールシートなんてしてなかったから家具もびしょ濡れになってしまった。家財保険なんて入ってなかったから大損害だ。
会社に行ったらすぐに社長に呼ばれた。『俺んちが壊されたんで補助してくれるのかな。』と内心期待していたがとんでもない勘違いだった。
「君は昨日,電車内で痴漢をしたのか?」
「してないですよ。そんなこと」
「ま,その事は今後誤解を招くような行動は慎むということで大目に見るとしてだ。君,昨日の損害はいくらでたと思っているんだ?」
「申し訳ありません」
「誤っても済まない金額なのだよ,1千万だ,1千万!今後どうすればいいのか良く考えたまえ」
と言われた。いわゆる解雇通告である。世はリストラ時代といわれているし、今回のトラブルで1千万の損害が出たとすればクビになっても何も言えない,退職金なんてもらえるわけが無いし,結局翌日(木曜日)に辞表を出して何も言われずに受理されてしまった。
そして今日(金曜日)俺は途方にくれていた。昼まで昨日と同じカプセルホテルに居たがこれからどうすればいいのか検討もつかなかった。とりあえず壊されたアパートに行き,びしょ濡れになっていた家具を目の前にしてどうしていいものかと呆然としていると大家さんが声をかけてきた。
「石山さん?」
「あっ、大家さん」
「大変だったわねぇ、でも確かあんた家財保険入って無かったでしょう。私があれだけ勧めたのにねぇ」
「はぁ」
「でねぇ、悪いことを言うようなんだけどね。あの運送会社の社長が逃げちゃったみたいなのよねぇ。警察が捜してはいるようなんだけどねぇ」
「え゛?じゃぁココは・・・いや俺はどうなるのですか?」
「ココはこのままじゃみっともないからねぇ。あなたの部屋だけリフォームするのもなんだから立て直すことにしたんだよ。古すぎるから立て直そうかって思っていたところでねぇちょうどよかったわぁ・・・あ,ごめんなさいね」
「・・・」
「そうそう今日はね,その建て直しのことをココに居る人たちに伝えに来たんだよ、もちろんその間の住むところは確保したのよ。あなたの分もあるのだけどどうする?」
「そうですか,じゃぁとりあえずそこに移ります」
「じゃぁ,住所はコレね」
「はい,じゃぁ」
「がんばってね,いつかいいこともあるわよ」
根拠のない励ましに浮かれる程余裕は無かった。無神経な大家に小さな愛想笑いを返して書かれている住所に向かって,トボトボと歩いて行った。普段なら電車やバスを使うような距離なのだが今の俺にはそれさえも贅沢というものだ。
世間は週末の昼下がり,明日は休みという楽しい時間なのだろうが今の俺にはこの小春日和を思わせるこの太陽の輝きがプレッシャーにすら感じる。だからできるだけ影のある狭い通りを選んで歩いた。いつもなら通らない道だからなのか風景もなにか新鮮に見えてくる。新しい店があったり古くからあるような建物があったりする。そこに偶に人が行き交ったりしていろんな違う風景を発見する。小さな幸せを見つけたみたいで少しだけ楽しい気分になったとき,ふと足が止まった。
「なんだ,あれ?」
狭い道の更に狭くて細い,ひと一人がやっと通れるような路地の奥に看板が見えて,何故か俺の目を引いた。
普段歩かないだけに疲れて休憩もしたいしちょうど咽喉も渇いてきたところだったので,珈琲の一杯くらい飲みたくなってきたところだった。さぁどうぞと言わんばかりにある喫茶店までその細い路地を通り抜けて歩いた。見るとちょっと変な建物で,古い校舎のような木造で2階建てだった。
「あぁ,疲れたぜ。ん?曼荼羅堂?妙な名前だな,なんか変な新興宗教の建物なんじゃねぇのか?」
と独り言を言っているところで自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ。曼荼羅堂へようこそ,石川様」
俺はびっくりした。名前を呼ばれた事と店員と思われるヤツの姿に。そいつは時代錯誤の格好で,そう怪盗ルパンのように左眼だけのメガネと黒いマント,室内なのにシルクハットまで着けてやがった。見るからに怪しい。俺は何故か吸い込まれるようにその喫茶店に入っていった。店の中には5・6人の客が居るがこいつらも妙な格好をしていた。全身毛むくじゃらで狼男のようなやつ,顔は牛で体が人間のようになっているやつ,『ココはコスプレマニアが集まる店なのか?』と思いつつ見まわしていた。
「驚かれたようですな石川様」
「あぁいや,俺,石山だけど?」
「なんですと!?石川様ではなくて石山様ですか?」
「あぁ,ほら」
俺は運転免許証を見せて,石山であることを証明してみせた。
「確かに,石山様ですね」
「あのう,人違いのようなのでこれで失礼します」
何が人違いでココがなんなのか目一杯怪しくなったので俺は席を立ち,店を出ようとした。
「ちょ,ちょっとお待ちください」
左の肘をルパンもどきに捕まれて出損なった。
「少しお時間をいただけませんでしょうか」
俺は向き直ってルパンもどきに言った。
「あのですねぇ,そもそも俺はココに珈琲を飲みに来たのであって,あなたに自己紹介するつもりなんてなかったし,コスプレにも興味がないんですよ」
「コスプレ? あれ?え,いや,ごもっとも,ごもっともですが,そこを敢えてお願いします,少々お待ちいただけませんでしょうか。珈琲ならお持ちしますから,いや御代はいただきませんので」
新手の勧誘か,あるいは久しぶりの客(新人)なんで逃がしたくないのか。
いずれにしても(間違った)名前を呼ばれたり,代金が要らないということへの理由にはならない。しかし今の俺にとってタダで飲める珈琲はありがたかった。
「分かりました。じゃぁアイス珈琲をお願いします,で,何か俺に用があるんですか?」
「決して悪いようにはしませんから。少々お待ちください」
ルパンもどきは店の奥に引っ込んだ。
俺は案内された席に座った。改めて見まわすとどの席も二人連ればかりだった"全身毛むくじゃらで狼男のようなやつ"とルパンもどき。"顔は牛で体が人間のようになっているやつ"とルパンもどき,あのルパンもどきの格好はどうやらこの店の制服らしい。そのルパンもどきの連中は向かい合っている相手になにやら資料を読み上げて言い聞かせているようだ。そんなに遠くに居るわけじゃないが声はよく聞き取れない。
さて,俺に一体何の用があるっていうんだ?失業中だから収入は無いっていうのに。また勧誘か?勧誘といえば自慢じゃないが俺はよく妙な勧誘に会ってきた。絵画,英会話,健康食品,資格取得なんでもだ。断る言い方も慣れたものだ。もちろん被害に全く遭わなかったわけじゃないが,でもそのおかげで断り方はいくらでも知っているし,収入が無いと解かれば直ぐに話は終わるだろうし,只で珈琲は飲めるし,気晴らしくらいにはなるだろうし,そしてなにより今の俺には時間が腐るほどあるしな。
と考えをめぐらしているとバイトらしい女の子がバニーガールの格好で珈琲を持ってきた。
「も待たせいたしまきたぁ」
"も待たせいたしまきたぁ"?聞いたこと無い方言だなぁと思いながら。出てきた珈琲にミルクを入れてかき混ぜていた。
その娘はまだそこに居た。用があるのかと尋ねてみる。
「何か御用ですか?」
「ン何け?」
言葉は良く解からず,何故そこにいるかも謎だったが,笑顔はかわいかった。ついでにバニーの格好も似合っていたので,『ま,いいか。』と思っていたらルパンもどきがやって来た。
「あぁ申し訳ございません。さぁ,こっちに来なさい」
ルパンもどきに連れていかれて店の奥に引っ込んでしまった。別にずっと居ても良かったのにと思いながらその娘を目で追った。代わりにルパンもどきがまたやってきやがった。
「誠に失礼いたしました。あの娘はまだ慣れてないものでして,何か失礼なことを言われたりされたりしませんでしたでしょうか?」
「されたり?いいえ,別に」
「そうですか。いやぁあの娘にはほとほと困っているのですよ」
「あのう,それで私に何か用があるようですが」
「あ,こりゃまた失礼いたしました。只今資料を持って来ますので。すぐに,はい」
こりゃぁ勧誘に間違いないと俺は確信した。頭の中にこれまでの経験や情報がこれからの受け答えのシミュレーションをしている。ルパンもどきは直ぐになにやら両手にイッパイになにやら抱えてさっきの娘もいっしょになって両手になにやら山ほど資料を抱えてやってきた。
「大変お待たせいたしました,どっこいしょっと。えーと,石山様でしたね」
「とりあえず,私の(間違った)名前を何処でお知りになったのですか?」
どうせどこかで名簿を購入したのだろうがとりあえず聞いてみた。
「あ,順番に説明させていただきますので,はい。ちょっとそれ貸して,失礼しますね」
バイトの娘に言って分厚い電話帳のような冊子を受け取ってテーブルの上の珈琲をどかしてその冊子を置いた。
「えぇこれがある人物のライブラリーです。ちょっと中を見てください」
俺は何かのカタログかと思って開いてみたが,そこには文字がびっしりと今まで見たどの文字よりも小さい大きさで書かれていた。目は決して悪くないのに虫眼鏡が要る程だった。
「これはなんですか?」
「えーそうですね,そこにはある人物の一つのパターンが書かれているのです」
「言っていることが良く解からないのですが」
「んんと,つまり石川様はこれまで生きてこられたこと,これから生きていくことの全てが運命であるとお思いですか?」
「石山です」
「あぁ石山様,そうお思いですか?」
「えぇまぁ」
「これまで生きてきたことは全て運命だったと?」
「そう思わないとやっていけないことはたくさんありますよ,現に最近は悪い事だらけだし」
「左様ですか,実はですね石・・・山様だけではなくて全ての方々は色々な運命を持っておられます」
「そうでしょうね。で?」
「動物をお飼いになったことは?」
突然話題を変えるタイプらしい。
こういうヤツにはとりあえずそのときの問いに答えるようにしている。
「まだ幼稚園にも行ってないころに犬を飼っていましたよ」
「今その犬は?」
「俺が4歳くらいの時に病気で死んでしまいました」
「それはお気の毒に,今は何か?」
「いや,アパート暮らしで何も飼えないですよ」
「生まれ変わりは信じてらっしゃいますか?」
また変えやがった。
「そうねぇ,そうだったらいいと思いますけどね」
「石山様の前世をお知りになりたいと思われませんか?」
そらきた。興味を持ったらあっちのペースにはまる。
「別に知りたくないですね」
「あぁそうですか」
ションボリとなった様だがそんなことには誤魔化されない。
「前世が何だと言われてもそれが本当に俺の前世だという証明はできないでしょう」
「なるほど,ごもっともです」
俺は『勝った。』と思ったが,しかし,
「周りをご覧下さい」
まだ言うか。
「見慣れない方々がいらっしゃるでしょう」
「っていうか見た事ない人達なのですが」
「そうでしょうね」
ルパンもどきは微笑みながらそう言った。
「実はですね,ココでは動物から生まれ変わって人間になる方達のレクチャーをしているのですよ」
得意満面の笑顔でルパンもどきは言い放ったが,俺は驚きを通り越して呆れてしまった。
「あぁそうですか、大変ですねぇ。じゃぁこれで失礼します」
怪しさ満点のこの店から出ようと思ったが,
「あなたの未来を知りたくはないですか?」
というルパンもどきの言葉に足を止めた。
不安な今の心境に何か触れるモノがあった。
当たろうが当たるまいが俺がこの後どうなっていくのかちょっと知りたい気持ちは正直あったからだ。
「はなた,ココで働か」
「え?なんですって?」
「あぁすみません,お前はちょっと黙っていなさい」
その娘はシュンとなってしまって可愛そうだったがそうも言ってられない。
「その娘はなんて言ったのです?」
「石山様にはココに来るまでいろいろな不幸な目に会って来たことと思います」
「えぇさっき話しましたからね」
「痴漢に間違えられたり,アパートの部屋が全壊したり,会社をクビになったり」
「な,なんでそんなことまで知っているのですか?」
「私達が仕組んだからですよ。石山様」
「なにぃ?!」
と俺は驚いた。が,直ぐに冷静な自分が己に言い聞かせた。『そんなはずはない』と。
「怒らないでください。実はココの仕事を手伝って頂きたくてですね」
「あのですね,今,仕組んだっていいましたよね」
「はい」
「どうやって仕組んだんです?」
「私達はあなた方の境遇をある程度変えることができるのですよ。だからその悪い境遇も我々が仕組んだのです。いや,常にって訳じゃないですけどね」
「何を言っているのか全然わかんないですよ」
「そうですかぁ?」
「まう見せと?」
「そうそう,この娘の言っていることも解からないよ!」
「あぁこの娘はですね元ウサギでして,言葉を練習がてらウェイトレスをやっているのですがなかなか覚えてくれなくて困っているのですよ」
なんだってぇー?もしかしてそれでバニーかい?
「っとすると,じゃぁこの耳とか尻尾は?」
「えぇ,この娘の体の一部ですよ」
本当かよ?俺の理解を超えている。いやこれは夢だ。きっと俺は歩いている途中で熱射病かなにかで倒れているんだ。きっとそうだ,そうに違いない。
「石山様,ココで働いてもらえませんか?」
「・・・」
「迷ってらっしゃるようですな」
「見せと?」
「そうだな,一通りみてもらいましょうか」
「何を?」
「いえ,石山様がどうするかはさておいてとりあえず何を手伝って欲しいかを説明させてください。それで石山様の疑問は全て解けるはずです」
「はぁ」
俺は踏み込んではいけない領域に足を踏み入れたのかもしれなかった。
「え,いいです。説明もいらないですから。もう帰ります」
「もう無理ですよ」
「は?」
「ココはもう先ほどのあなたが入ってこられた場所にはありません,常に移動しているのです。まぁお掛けください,ゆっくり説明しますから,でないとあなたパニックをおこしますよ」
すでにパニックを起こしかけていたが必死に冷静さを取り戻そうとした。これはいままでの勧誘どころの騒ぎじゃないことは本能が言っていた。
「それでもいいです,帰ります」
席を立ち,立ち去ろうとしたら今度はバイトの娘が肩に手を置いた。
「もう少し,聞くて」
"聞くて"?妙な言葉だったが,そのキラキラした純粋な瞳で俺の足は止められた。いや,すでに思考能力が麻痺していたに違いない。また椅子に腰掛けた。
「いろいろ話さないといけないのですが,あなたはセッカチでいらっしゃる。仕方がないので実物をお見せしましょう。さ,こちらへ」
俺はルパンもどきとバイトの娘に両脇を抱えられてなかば無理やり二人が出入りしていたドアの前まで連れていかれた。
「いいですか石か・・・石山様,ココから先はこちら側と次元が違います。我々には影響はありませんが私達から決して離れないでくださいね。そうしないと命の保証はしませんから」
命の保証ぉ?行ってはいけない,三途の川のような感じだった。
「待て,待ってくれ。止めてくれ,頼む」
俺はもがいた,もがくしかなかった。でも。
「まぁ,そう言わずにどうぞご覧下さい」
ドアが開かれて強制的に俺は中に連れていかれた。
「あぁ?!」
そこには小さな部屋が無数にしかも縦横に綺麗にならんでいた。
「これは,いやココは何処なのです?」
「ココは"セル"。人々の多種多様な思いが生活する場所。この一つ一つが"ルーム"。一つの思いが生む生活の場。こちらへどうぞ」
俺は始めて見る世界に思考能力を奪われ,洗脳されているのかどうかさえ認識できずにいた。
「この"ルーム"は痴漢に間違えられず,アパートも壊れず,会社もクビにならないときのあなたです。ココから見てください」
三角形のレンガ枠の窓からのぞくと俺がいつもの会社のオフィスで働いていた。
「声は聞こえないのですか?」
「窓に見える方の声でしたらこういう風に触れてください。その方の声だけ聞けますよ」
タッチパネルのように俺に触れた,すると声が聞こえてきた。
「あぁ疲れたぁ〜昼飯時間はまだかなぁ,ねぇ美由紀ちゃん」
坂田美由紀にも触れた。
「うるさいですよ,さっきからぁ。もう少しですから我慢してください,もう。あっそういえば聞きました?」
「何を?」
「情報監査課の石川さんってなんかしくじってクビになったそうですよ。それになんか住んでいたマンションで火事があってどうも石川さんの部屋から出火したみたいだっていうんですよ」
「へぇ,踏んだりけったりっていうか,泣きっ面に蜂っていうんかな。おっ昼飯時間じゃん,行こうか美由紀ちゃん」
「どうぞ御勝手に,私は亮子達といきますから」
「いつもつれないねぇ〜」
自然と涙が出てきた。涙につられて悲しさも沸いてきた。ん,石山?
「もしかして,あなたたち俺とあの石山って人と間違えたのじゃないよね」
「・・・」
「そうなのか?じゃぁアレが俺にとっては本当の現在ってことじゃないか。あんた達は運命を決められるって言っていたよなじゃぁあの元の運命に戻してくれよ」
「残念なことですが決めることはできても変えることはできないのです」
「あぁもう,訳がわからん。どうしてくれるんだよ」
俺は狂ったように叫んだ。
「石川様は限界のようだ,お休みいただきましょう」
ルパンもどきが俺の額に手をやると途端に睡魔に襲われて気を失うように眠りに就いた。
目が覚めると見た事がない天井が見えた。
「お目らま?」
俺は飛び起きた。夢と思いたい出来事中の登場人物の一人がそこにいた事にガッカリした。
「おや,御目覚めですか」
ルパンもどきも登場だ。
「ココは?」
聞くだけ無駄のような気がしたが一応聞いてみようとしたが,ルパンもどきに邪魔された。
「曼荼羅堂ですよ,石山様。さぁまだ説明は終っていませんよ。珈琲をお持ちしましたから目を覚ましてください」
やっぱり,あれの続きなのだな,畜生。ん珈琲?そういえば俺はあのときも珈琲を飲んだ。
もしかしてあの中に?
「いや,もう帰りますので珈琲はいりません」
「何をおっしゃいます,もう逃がしませんよ。アハハハ」
"アハハハ"じゃねぇ!犯罪だ!誘拐だ!警・・・警察を呼べばいいんだ!
「ちょっとトイレに行かせてもらっていいですか?」
「どうぞ,この廊下の突き当たりですよ」
トイレで携帯電話を使えば助けを呼べる,俺は助かる。喜び勇んでトイレに駆け込んで電話をかけようとすると『圏外』の表示。どの壁に近づけても『圏外』となる。おまけにココのトイレには窓が無い上にどういうわけか換気扇口も無い。ガッカリしたついでに用を足し,もう一度携帯電話を見た。『え゛?』愕然とした。日付も時間も俺がココに入った時のままだ。『どういうことだ?奴らの言っていることは本当なのか?』難しい顔のままトイレから出た。
「ずいぶん長いおトイレでしたね。出が悪かったのですか?ハハハ」
明るい笑いがムカツク。
「さ,諦めてください」
「時間が」
「え,時間が?」
「変わってない」
「そうでしょうね,ココには時間がありませんから」
なんだとぉ!そんなこと聞いてねぇぞ。
「さ,どうぞ全部説明しますから」
『納得の行くまで説明してもらおうかい。』という気持ちと顔で例の二人と喫茶店のある部屋まで行った。
「さてと,まずお名前の事ですが“人”はあなたで間違いございません。が,」
“が”なんだよ,が!
「お名前を石川様と間違えたのはどうやら私のミスのようでして,余計な誤解をなさったようで申し訳ありませんでした」
「じゃぁ昨日寝る前に見たあの映像は?」
「ですから一つのきっかけが違うだけのパラレルワールドです。それがあの"セル"の中にたくさんの人達に其々またたくさんのパラレルワールドがあの中にあるのです」
「地球人全員分の?」
「いえいえ,とてもその数はこの店だけでは管理しきれませんから,ココを地球支部の第1支店として今は1千万店くらいありまして“人”が増えていきますと随時店を増やしているのです」
「そこでレクチャーをしていると」
「はい,我々の本職は石山様が眠られる前に言いましたように人間に生まれ変わりたい動物を人間として生きていけるようにレクチャーをする事ですのでそれをお手伝い頂きたいと」
「どうやって?」
「えぇっと,始めにお見せしたあの本を朗読して『人間とこうして生きる』と聞かせたり,"セル"の中の一つの"ルーム"を実際に見せて学習させたり,後,言葉は生まれた場所でどうにかなりますがあまりにもこの娘のようにおかしいとなるとこれも教育対象となります」
「まう,マステ!」
"マスター"だろう!と突っ込みたくなるような言葉には確かに教育は必要だと思うわな。
「時間は?」
「ココには時間という概念があるのですがないのです」
「へ?」
「つまりですね,ココの建物内の時間は止まっています,しかし外は通常の時間が流れています。彼ら生まれ変わりたい方々には現在と過去を選ぶことができる用になっているというわけです」
「???現在が選べるってことはココの時間も流れるってことじゃないですか?」
「ええ,難しい話になってしまうので細かいことは省きますがそうなっているのです。現に石山様の時計も止まっていたのが何よりの証拠ではありませんか。
まぁ確かに日付や時間が止まっていたのは事実だ。
「この建物が時空間を跳んでいますのでまぁ一種のタイムマシンみたいなモノですね」
「じゃぁ恐竜とか戦国時代とかも行けるとか?」
「それがですね,あくまでも主体は生まれ変わりたいと思う彼らなので彼らが望めばその時代,その場所に跳んでいくので,戦国時代は行きましたけど,白亜紀とかは人がおりませんので無理ですねぇ」
すっかり染まって(洗脳されて)いた自分がそこに居た。
少し眠って落ち着いたからかもしれないが『なんかいいかな』と思えるような気がした。
「で,石山様にお願いしたいのは実はこの娘でして」
「そうそう,どうして俺がレクチャーするのですか?」
"人間になりたい元ウサギ"のバニーちゃんが嬉しそうにこっちを見ていた。悪い気はしないがやはり気になる。
「この娘はウサギになる前はカピパラだったのですけど,いや動物から動物への転生は伽藍堂ってところが担当なのですけどね,そこからのお願いでして,この娘はそのとき人間になりたいということだったのですけど動物数のバランスでウサギになっちゃったのですよねぇ。それで,今度人間になるときのレクチャーはお好みの人にってことで承諾してくれたのです」
「で,俺?」
「本人はたいそう気に入っていまして,ココに誘うのに苦労しましたよ,はい」
俺はバニーちゃんの目を見た。向こうも俺を見た。
「分かりました。引き受けましょう」
「そうですか,引き受けていただけますか。ありがとうございます」
どうもまだ騙されたようでしっくり来ないが考えてみれば現世には何の未練もない。
ここでこんなかわいいバニーと一緒にいるのも悪くない。でも・・・
「あの,この娘のレクチャーが終わるとどうなるのですか?」
「石山様は元の世界に帰って頂きますよ」
「ここに来る前のってことですよね」
「はぁ,嫌かもしれませんがそうなります」
「わかりました,いいですよ引き受けましょう」
「じゃぁこれを着けてください」
あのルパンもどきグッズだった。やっぱり辞めようかと思ったがあの娘の笑顔がそうさせなかった。
俺はルパンもどきに着替える為に俺が寝た部屋に行った。
シルクハットにタキシード,マントにルーペグラス,革靴に至るまで色は全部黒。あ,ルーペグラスはチェーンが黒。
姿身の鏡に自分を写して出た感想が『怪しさ満点』だった。
恥ずかしいと思う気持ちを押し殺し,喫茶店に向かった。
「おぉよくお似合いですぞ」
何処が似合うってんだよ,参ったなぁ〜。
「さぁどうぞ,たった今私は伽藍堂からまた要請がありまして,失礼させていただかないといけません」
「え?居なくなるのですか?」
「えぇそうなのです。でも大丈夫ですよ,石山様が思ったようにして頂ければ何とかなりますって」
「そうですかねぇ」
「ま,そういうことですので急ぎで行かないといけないようなのでこれで,失礼します。では,石山様,宜しくお願いします。お前も余り面倒かけるんじゃないよ」
そう言い残してルパンもどきは去っていった。あっ今の俺もルパンもどきか。
かくして俺と"元ウサギ"のマンツウマンのレクチャーが始まった。
椅子に座って,しばらく見詰め合った。何せ初めてなので,取り敢えずこの娘を見ていたら何か浮かぶだろうと思っていたがなかなか目のやり場に困る服だ。外見は,そう姿形は申し分ないんだ。じゃぁ,中身だな。そう思ってライブラリーがたくさんある部屋からいくつか引っ張り出してきた。女性に関する有名どころで戦国武将織田信長の妹,市。春日局。アドルフ・ヒトラーの愛人エヴァ・ブラウン。ラジウム発見のキュリー婦人。などなど。それに歴史には出てこないが何処かの何某の女性などのライブラリーを読み上げた。
そんな中で,一番の問題の言葉をライブラリーを読ませることで覚えさせようとした。始めはゆっくりで棒読みだったが段々と感情や抑揚をつけて読むようになってきていた。ゆっくりとではあったが確実に上達していた。俺自身も結構勉強になったりして,面白かった。そして彼女には,人としての生き方は様々なので目標を持ってあきらめないことを指導した。
そして,偶に"セル"の中の"ルーム"は俺の"ルーム"を選んで見せた。ほとんど反面教師になってしまったが彼女は喜んで見てくれたようだ。
俺を呼ぶ時も最初は,
「いてかまたん」
だった。なるほど,“石川”間違えるのも無理はない。その一ヶ月後には
「いしかまたん」
へ,更に一ヶ月後には
「いしやまてん」
へと変わっていった。そして更にもう一ヶ月後にルパンもどきが帰ってきた。
「お久しぶりです,石山様」
"元ウサギ"も出迎える。
「マスター,久しぶり」
「おぉ,すごい上達振りですな。びっくりしましたぞ」
「なんとか普通の言葉を話してくれるようになりましたよ」
「そうですか,それはありがとうございます。ちょっと私のほうでも確認いたしますのでそこでお待ちください」
二人は別のテーブルに座って何やら話をしているようだ。
思えば長かった,でもこの後は不幸の続きが待っているのかと思うと気が重い。
「お待たせしました。石山様」
「どうですか?彼女は」
「申し分ありません,レクチャー終了となっても良いでしょう」
「では」
「はい,お別れですね」
レクチャー終了はお別れの合図でもあった。
"元ウサギ"の目に涙があふれていた。俺もひさしぶりに泣いた。
「時間をおいては未練が残るだけです,残酷なようですがこのまま石山様は元の世界に帰った方がいいようですな」
「分かっています」
ココに来たときの服に着替えて二人にお別れを言った。
「お世話になりました」
「何をおっしゃいます,お世話になったのはこちらですよ,なぁ」
"元ウサギ"は泣きじゃくって言葉にならない。
「さぁさ,そのドアは1分間だけ石山様が来られたときの世界と同じになっていますのでどうぞ行ってください」
"元ウサギ"は何かを言おうとしているのだが旨く言えないでいる。元祖ルパンもどきの右腕にしがみ付いて右の瞳だけで俺を見ている。
「さぁ早く,行ってください」
「じゃぁ」
「もう,会うことはないでしょうがどうかお元気で」
その声とともにドアを開け,外に出た。すぐにドアが閉まった。
振り返ると建物は同じでも看板が『貸しビル』になっていた。
思えば滅多にできない体験だったけど心残りがあるとすれば,あの娘が人間になった時の名前を聞き忘れた事ことだ。
俺は歩き出した,20分ほど歩いたところで転居先に到着。レンガ色のマンションで俺の部屋は2階のようだ,カギを開けて中に入ったが当然家具類は何もない。とりあえず,蒲団とTVを買おうと再び玄関を出ると,隣の部屋のドアも開いた。俺は取り敢えず挨拶をしようと人が出てくるのを待った。するとそこから出て着たのは,あの"元ウサギ"と瓜二つの女性だった。
俺はうっかり叫んでしまった。
「君は?!」
「え?あの何処かでお会いしましたかしら?」
「いえ,すみません人違いでした。今日からココに越してきました石山と申します,しばらくの間ですが宜しくお願いします」
「はい,こちらこそ」
言葉はちゃんと話せているようだ,あの"元ウサギ"ではないのかもしれないが一安心だ。
「それじゃぁ」
と言って,買い物に出かけようとしたときだった。
「また会えたね」
と後ろから声がした。ニッコリ笑ったあの笑顔がそこにあった。
俺たちは再会を喜びあった。
これは嘘のような本当の話。