ジャスト・ワンミニット・トリップ
「……お前が『生贄の乙女』か?」
覗きこむ浅黒い男は上半身裸。金の短髪、碧眼でエキゾチックな良い男ではあるが。
……この状況は何だ。
あたしは全身ずぶぬれの状態でその場に呆然と座り込んでいた。
え、何でこんな状況に。
確か普通に通勤中、会社の最寄り駅で近道のため公園を突っ切ってる最中、噴水の真横を通ってたとこだったと思う。公園の噴水が急に普通じゃない勢いで噴出して、あたしを標的にしてるかのように襲ってきて引き込まれたような感覚がしたと思ったら、もうここに座り込んで男に見下ろされていた。
ここはどこ。
あたしは、地球人で日本人でOL三年目でごく一般人の性別女、一人暮らし歴七年目。どっちかっていうと淡白で無気力気味な人間。
うん、記憶は確かだ。
周囲に視線を巡らせば、白い壁に囲まれた広間、って感じ。部屋という表現は似つかわしくない位広く天井も高い。見上げるばかりに高いところについている天窓からはさんさんと日が差し込んで水面がキラキラ輝いている。
高級ホテルのプールって印象かな、水深が浅すぎるけれど。
あたしが浸かっている水溜りと言うには大きすぎる池の中央部だけ青白く光輝き、人の身長の二倍ほどの高さで水がこんこんと湧き上がっていた。
「『生贄の乙女』か?」
いぶかしげに眉をひそめたような表情の男は再度あたしにそう問いかけ、その声で我に返った。
幻想的な雰囲気に現実を忘れていたが、これはひょっとして異世界に召還されちゃったとかいうヤツなのでは。
社会人になって以来疎遠になってしまっていたが、学生時代のあたしはそういったジャンルにどっぷりはまっていた過去がある。
今ではしっかり黒歴史である。
そう、学生時代であれば突然の場面転換、目の前にはイケメン、言葉がなぜか通じてる事なんかに狂喜乱舞してるだろうけど、今のあたしはそうはいかない。
この超不況社会にブラックじゃないそこそこ大きな会社に入れて、たまたま毎日定時で帰れる部署に配属された幸運を逃すわけにはいかないのだ。
ええいままよと覚悟を決めて、あたしは。
「おいっ……」
焦りが含まれた彼の声がし、おそらく彼の手と思われるものが私の肩をかすった。
つかまるわけには行かない。
あたしは無理やり口角を上げて、にやりと笑った。
大体、『生贄の乙女』なんて呼ばれてみすみすこんな場所に留まる人間が居たら見てみたいっつーの。
「じゃーね」
バイバイ、異世界のイケメンくん。
短時間の逢瀬ではあったけど、十分目の保養になりました。感謝。
あたしはぎゅっと目を瞑ると滾々と湧き出る源泉に勢い良く身を投じた。
青白い光と暖かい水に包まれ、深いトンネルを頭を下にしてひたすら潜るような感覚。胸がぎゅっと締め付けられるような不思議な感情が湧き上がる。生まれる時の記憶があればこのような感情だったのではないか。
一瞬のような、それでいて永遠のようなひと時。急に光が近づきトンネルの終わりを感じたあたしが再び目を開けたら、全身びしょぬれで公園の噴水の中で膝をついていた。
「……なんて、信じてもらえるわけ無いよねぇ」
はははと力無く笑うあたしの独り言は壁に解けて消えた。
現在自室にどうにか帰り、シャワーを浴びたところである。
びしょぬれのあたしがそのまま出社できる訳は無く、公園の木々の陰に隠れコソコソ会社に風邪のため欠勤の電話をかけた。さっきからやたらとくしゃみが出る。ある程度髪と服が乾くまで動けなかったから明日から本当に風邪を引くかもしれない。くそー。
多分一分もいなかったよね、異世界。
今思えばあたし、冷静でいるようでいてかなり混乱してたよね。あたしが言ったのって別れの言葉一言だけだったような。
あの青年、好みだったなぁ結構、いやかなり。勿体なかったかなぁ、彼氏居ないし婚活は作られたブームっぽくて乗り切れないしね。
でも生贄は嫌すぎる。
多分入り口になってるであろう泉に飛び込めば帰れるんじゃないかなんて思ったのは完全に賭けだったけど、正解で良かった。
あの公園の噴水、危険だ。
しばらくは近づかないでおこう、遅刻ぎりぎりにならない限りは。
◆◆◆◆◆
「え? 逃げられた、だと」
不機嫌そうにむすっとした様で荒々しく机に肘をついた若き皇太子の様子に、それが真実であると判断した親友は思わず笑いそうになったのを我慢したため奇妙な表情を浮かべた。
「そんな事って……あるのかぁ」
「現状、起こっている」
皇太子はサファイア色の瞳を細め親友を上目遣いに睨み付けた。なかなかの迫力である。
小さな頃からの友人であるため気安さはあるが、上司であることは紛れも無い事実。親友は表情を引き締めた。
「贄の乙女かと問いかけたら肯定も否定もせず、そのまま泉に身を投じた」
「あー、それはどうかな、言葉は通じてた感じ?」
「おそらくは」
うーん、と親友は首をかしげ上司でもある不器用な男を見下ろした。
「そもそも『生贄の乙女』って表現、ボクはどうかと思うんだけど」
「そう呼ぶものだろう、伝統だ」
「泉の女神が王族に下したもう乙女ってことで『贄』って表現なんだろうけどさ、ストレートな表現ってあるでしょ、花嫁とかさぁ。いきなり『生贄』とか言われたらびびっちゃうよ」
「……そういうものか?」
「ってか、逃げられない様にサッサと捕まえちゃえば良かったのに。先代だってその前だって、これまでずっとそうしてきたんでしょーが」
「その暇すら無かった」
ふて腐れたような皇太子の表情に親友は思わず笑みを浮かべる。
「暇って……彼女に見とれてたとか? なーんてな、魔法だってなんだってあるじゃ」
言葉は途中で止まる。
皇太子は浅黒い肌で非常に分かりにくくはあったものの、明らかに赤面していた。
「え、ってお前……、えーー」
思わず親友の声は大きくなった。
堅物で有名な男色疑惑も出るほどの皇太子が。
「えーー、ほんっと何やってるんだよ」
「うるさいっ」
口元を片手で覆いながら怒鳴っても迫力は半減だ。面白いネタが出来たと親友は胸の内でほくそ笑んだ。
「で、今後どうするわけ? 召還失敗したなんて、明らかにしてないだけかもしれないけど前例ないだろ? もーいっそお前が迎えに行っちゃえば、あっちの世界に」
「出来るならそうしたい所だが、泉は向こうからは出入り自由だがこちらからは行くことができないそうだ」
「不便だなそりゃ。で、どーすんの?」
「次の機会を待つ」
「え、別の乙女召還するってこと?」
「いや、違う。一度泉が乙女を選別したら、今のところ例外なくその特定の乙女を呼び出す事が可能らしい。……どうやら非公式には何度か召還失敗に至った前例があったようだ」
「ふーん。……でもさ、その子にしたら結構迷惑な話じゃない? しつこいって言うか……おっとそんな射殺しそうな目で見ないでよ」
「言っていろ」
「じゃ、待つって事は」
「そう、入り口になっている特定の場所に足を踏み入れたら、再度召還術が発動することとなっている」
「へぇ。王族ってそういえば血筋的に愛も執念も深い事で有名だよなぁ。……その子もかわいそうに」
「何か言ったか?」
「イヤイヤ、滅相もない」
「ふん、次は決して逃がしはしない……」
「なんつーか恋するってより悪の魔王みたいな表情な感じですよ」
「うるさいっ」
そのうち続編書くかも。