デイジーネックレス
スパイスの香りに包まれて、今日は今日の仕事をする。と改めて思う。
元々賢くもないのに部活ばかりしていた俺はどうにか文系Eランク大学を卒業する程度。
兄貴と仲が悪くて、素直に田舎に帰らなかった俺には当然まともな仕事の口はなく3年くらいはあっちこっちした挙句、小規模なカレー屋チェーンに拾われて今年で32歳になる現在、雇われ店長をやっていた。
「店長、グェン君は風邪みたいッス。ボブに連絡してたみたいだけど」
演劇やってるもうアラサーのウダちゃんがスマホ片手に言ってきた。
俺は店で足す方のベーススープの圧力鍋を見てる。うちのチェーンはカレーのルー本体はセントラルでがーっと濃いペーストが作られて運ばれてくる。
それをコイツで割って煮直す。特に小麦は足さない。濃く少ない方が運搬も管理もし易いのと、フレッシュ感や、別鍋で季節限定メニューも作り易い。まぁ会社によって流儀は全然違うだろうが。
カレーは科学実験みたいな工程だ。たまに腕自慢の調理師が来ても嫌気が差して辞めてしまうことが多い。
「ボブなぁ。確認しとく。あとシフト調整しといて」
「うッス」
オーストラリア人のボブは陽気で外国人従業員の纏め役だが、大雑把なとこもある···
そしてウダちゃんはバイトリーダーで社員候補だ。厨房は湿度があるからパソコン置いてる事務室兼休憩室に素早く引っ込んでいった。
「ヒロシ! 今日、彼女の誕生日じゃないか〜? サプラ〜イズっ。ありますかぁ?」
荷受した食材をどっさり台車で運び入れてくる報連相しないボブ。こういうプライベートネタはやたらきっちり覚えてんだよな。
「祝いはするよ。それよりグェンの欠勤! 言ってね」
「オウ、なんて日だっ!」
「そのネタ古いぜ?」
「なんて日だ! ハッハーっ!!」
ボブは来日した頃に流行ってた芸人のネタがずっとお気に入りだ。
つか、誕生日か。プレゼントは2週間は前に買ってたが今日だって忘れたわ。あっぶね。
ナイス、ボブ!
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昔はチェーン店でも大変だったらしいが、今は昼勤だと店長でも残業2時間くらいで帰れる。
9時前には賃貸マンションの駐車場にめちゃ古い中古のコンパクトSUV車を入れられた。
最近駐車場の壁の落書き増えたな。ここらも警察沙汰多くなったし、引っ越し考えないとな···
しょぼいエントランス、換気悪いエレベーター、隣のマンションしか見えない4階の廊下を抜け、我が家の鍵を開ける。
「ただいま」
「···おかえり。餃子とカニカマのサラダある」
「おお〜。こっちも賄いのカレーピラフの残り買い取ってきた。180円!」
「夜食にする」
4年同棲してるマキは漫画の在宅アシスタントをやってる。
以前はコンビニでバイトしながら自分の持ち込み用原稿を描いたりSNSに4コマ漫画みたいなのを描いてたが、金にならない原稿を描くのに疲れた。とアシスタントに転向していた。
マキの部屋は資料と私物で一杯になったので、ダイニングがマキの作業場になってる。
彼女の自我が段々肥大してゆくようだ。自分の原稿云々はわからないが、漫画以外の世界に接点がなくなってしまったのは大丈夫なのか? と思わないではない。
「風呂入るよ」
「はい」
店長は風邪引けない。衛生も大事。洗面所で手洗いとうがいをきっちり済ませ。シャワーも済ませ。冷蔵庫の発泡酒を開ける。
餃子は冷凍かと思ったら近所のスーパーの惣菜だ。ふにゃふにゃだが和風であっさりしてるヤツ。カニカマはキュウリ和えだった。昼間、もそもそとずっと部屋着のままキュウリを調理しているのを想像するとちょっと面白い。
「頂きます」
これと、冷ご飯と明太子があったからあとはお茶漬けで締めよう。
モニターが見える。背景を描いてる。少女漫画だから線は少なく細いが、要点を抑えた水墨画に通じる物があるような? 独特な描写をするカルチャー。
「···今日、誕生日だろ?」
「またオバになった」
「言い方」
「プレゼント買ってあるから」
「クローゼットのヤツ?」
「なんで見付けてんの??」
「礼服のクリーニングを取りに行ってあげた時、入れたらあったから」
「ああ〜」
この間、大学のサークルのOBで世話になった人が早世してしまって葬式があった。礼服着て葬式出るのは3度目。ちょっと慣れたな、と思っちまった。
夕飯の途中だが席を立って、クローゼットから店の紙袋を取ってダイニングに戻り、箱を取り出し、税別36800円のデイジーの花モチーフのネックレスを取り出し、いきなり首に掛けるのはやり過ぎだから、
「これ」
ペンタブとユンケルの間にそっと置いた。
「ありがと」
「誕生日おめでとう」
「うん」
ずっと漫画描いてるから目が高校生みたいだが、目元はしっかり34歳だった。
「結婚しちまうか?」
「···今、言うの?」
えー? 違った?? 勢いではあったが。
「チャルメラ作ってあげる。関西のヤツ」
マキはネックレスはそのままに席を立ってキッチンに行ってしまった。
マキは昼間何品かおかずを用意してくれたりはするが、基本的に夜はなにも作らない。たぶん具無しの素ラーメンだろうが機嫌がいいサインだ。
OKなのか? OK寄りの保留なのか? NOありきの餞別のチャルメラなのか??
謎は深まるばかりでお湯は沸かされつつあった。
_____
これ見よがし? とデイジーのネックレスをポンチョ風のプルオーバーとブラウスの間に落とし込んで隠した。
早起きして、行きに美容院に2ヶ月ぶりに行ってきた。見映えというより、気合いだ。
IDカードをテーブルに置いて座ってるのは編集部の脇の予備校みたいな仕切りがあるミーティングブース。いくつもある。
そわそわしていると、
「あ! どもども〜っ」
ノータイだけど背広は着ている凝ったパーマを掛けた縁眼鏡の編集者が来た。知り合いのような気でいるけど、面と向かって話すのはたぶん4回目だ。
「ど、どうも」
立ち上がり、もにょもにょしてしまう。ここ数年の在宅ワークで社会性下がったな、と。
「いや久し振りじゃないですか、『伊達巻き』先生! ささ、座って」
同人時代に調子こいて付けたペンネームで呼ぶのやめて···誰だかわかんなくなるからそのまんまだけど。
座り直し、原稿の入った封筒を鞄から出して若干まごつく。なにもかもスッ進まない。すでに泣きそうだよ、三十路で。
「紙ですね〜。データで送ってくれてもよかったんですよー?」
「いや、はい」
一応、ネームのデータ送ってから持ってきてよいと言われて来てる。
だけど実は「半年以内には次の原稿持ってきて下さいね」て言われてからもう2年くらい経っていた。
彼の部屋が安全過ぎたのは全く言い訳にならない。
「これを」
封筒を渡す。
「はい、確かに」
チャラめだが慎重に受け取ってくれるお洒落パーマの編集者の方。ヤバい。心臓がっ。
私は思わずまた席から立ち上がり相手をギョッとさせ、自分は軽く貧血になりかけたが、
「よろしくお願いします!」
誰かの描いたピクトグラムのようにきっちりした角度で頭を下げた。
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今日も今日とて仕込みだ。次の休み、マキとチェーンではないレストランに行くことになったから俺はまだ3日あるがすでに絶好調だ。
本社に殻付きの海老を使った期間メニューを出すのが好きな人がいるらしく、年始にやったばかりなのにまたバナメイエビの仕込み。そんな売れるワケでもないし手間を多いが、絶好調だ!
なんだが、
「···?」
さっきから後ろで作業しているウダちゃんが急に静かだ。なんだ? 10秒どころじゃない。たぶん2分は過ぎてる。
いつの間にか倉庫が事務室に行ったとか??
いや、2分程度で神経質か? だがウダちゃんはピアスだらけだが仕事中にそんなぼんやりするタイプでもない。なんだ?
「店長」
「はぁい」
振り返るか迷ってたから必要以上のボリュームになってしまったっ。
「あたし、今度本社で面接受けることになったッス」
「おお〜〜···」
タイプ的に、もう数年頑張って田舎に帰るんだろうな、と勝手に思っていたが、半年ぶりまともに顔を見たウダちゃんはとっくに鼻も、たくさんあった耳もピアスがなくなっていて穴も消えていて、髪だけブルーなままのうちの主力バイトリーダーだった。
···後日、件の海辺のレストランで、潮の香りもスパイスだなと思いながら他人が仕込んだテナガエビの身をペンネと一緒に食べ、マキにそのことを話すと彼女は、
「いい時代が終わったら、次は闘うだけね」
と発泡の白ワインを飲んで日差しにシルバーの花を反射させていた。




