生霊
夜、そろそろ風呂に入ろうかと思った、そのときだった。床に置いていたスマホが震え、画面に見覚えのある名前が浮かび上がった。高校時代の友人だ。珍しいなと思いながら、おれは寝間着を床に置き、通話ボタンを押した。
「はい」
『うおっ』
「ははっ、“うおっ”てなんだよ」
『いや、おー……えー?』
「なんだよ、何の用? これから風呂入るとこなんだが」
『いや、お前……生きてるよな?』
「は?」
『え、やっぱり死んでるのか……?』
「お前、それはさすがに失礼すぎるだろ……」
『いや……じゃあ生きてるんだな?』
「当然だろうが」
『じゃあ、今ここにいるのはなんなんだ……』
「はあ?」
妙な沈黙の後、堰を切ったように、友人は早口で状況を話し始めた。なんでも、突然、部屋の中に“おれ”が現れたらしい。虚ろな目で、ただ突っ立っているという。
「……で、幽霊だと思ったわけか」
『そう、なんか存在感薄くてさ。まあ、そこはお前も変わらないけど』
「おい」
『とにかく、一応確認しようと思って電話したら、お前は普通に出るし、生きてるって言うし……じゃあ、これは生霊ってやつか? いや、ドッペルゲンガー?』
「知らんよ。もう切るぞ。明日も忙しいんだ」
『待てって! 嘘じゃないんだって! 本当にここにいるんだよ……。なあ、何か喋ってみ……お? おお、うん……なあ、お前の口座の暗証番号って1172か?』
「えっ! は、なんで?」
おれは思わず声を上げた。ぴったり数字が合っていたのだ。
『当たったらしいな。今、生霊のお前に聞いたんだよ』
「何聞いてんだよ……」
『まあいいじゃん。暗証番号だけじゃ、別に何もできないだろ』
「それはそうだが……てか、喋るのかよ、そいつ」
『へえ、高校の頃、――って子のことが好きだったのか。俺はその子知らないけど。ああ、後輩ね』
「え!」
『えっ、現国の授業中に屁こいたの、あれお前だったのかよ! 只野の寝屁ってことになってたじゃん。うわー』
「ちょ、何聞き出してんだよ! やめろよ!」
『いや、生霊のお前が勝手に喋るんだよ。え? マジ? はははは!』
「そっちで盛り上がってんじゃねえよ。返せよ、そいつ」
『いや、返せって言われても、どうすりゃいいのかわかんねえよ。そもそも、なんで俺のとこに来たんだろうな』
「まあ、それは確かに……」
『ああ、家を知ってる知り合いが俺くらいだからか。ふーん、専門学校の友達は? え? 一年で辞めたのか。じゃあ今は? バイト? え? それも辞めたの? はははは!』
「おい、笑うなよ。その辺はちょっと触れてほしくない話なんだよ……」
『悪い、悪い。じゃ、そろそろ切るな。明日も忙しいんだろ? ふっ』
「あ、おい!」
通話はぷつりと途切れた。すぐにかけ直したが、向こうは出なかった。
気にはなったものの、あいつの家の場所を正確には覚えておらず、今から向かう気にもなれず、結局おれは風呂に入り、そのまま布団で眠りについた。
それから少し経った、ある日。街を歩いていると、前方から、友人とおれの生霊が並んで歩いてくるのが見えた。二人の周りには女の子たちがいて、楽しげに笑っていた。
おれは咄嗟に物陰へ身を滑り込ませ、息を潜めた。生霊のおれは髪を染め、きちんとセットし、服も妙に垢抜けていた。
おれはアパートの部屋へ帰ると、さっきの光景を思い返しながら、部屋を見回した。
目に入るのはコンビニ弁当の空き容器、ペットボトル、菓子パンの袋――それだけだ。これといって大事なものは何もない。何も。
……おれは、本当に生きているのだろうか。




