第9話 ツンデレは風より速く
通りは、一連の騒ぎの余波でざわついていた。
人々が口々に何かを囁きながら、少しずつ輪になって距離を取る。
商人が店先の看板を引っ込め、屋台の親父が「またかよ」と頭を掻いた。
もうすっかり、見世物扱いだ。
その真ん中で、領主の息子が怒鳴り声を上げていた。
いかにも“貴族です”って感じの出で立ちだが、
声のトーンは完全に駄々っ子。
「魔法には魔法だろうが!」
(こいつ、まだやる気かよ…)
セインツロウはため息をついた。
さっきまでの騒ぎで懲りたかと思いきや、まさかの第二ラウンド。
「戦えって言っただけじゃないか」
「田舎者は様式というものを知らんと見える!」
(うわ、出た。“田舎者”とか言っちゃうやつ。絶対友達いないタイプだ)
どこまでもプライドだけは高い。
人の言葉を聞かない才能、ここまで来ると逆にすごい。
「ならば望み通りぶっ飛ばしてやる!」
護衛の騎士が前に出た。
鎧の金具が打ち鳴らされ、陽光を受けて鈍く光る。
通りに緊張が走り、ざわめきが波のように押し寄せた。
誰かが屋根から身を乗り出して、「おい、また始まるぞ!」と叫ぶ。
次の瞬間、群衆が半歩ずつ後ろへ引いた。
まるで舞台の幕が上がるように。
♢
セインツロウの隣で、サリーが腕を組んだ。
その仕草だけで、空気が少し冷える。
「あら? 助太刀していいの?」
彼女の声には、少しだけ楽しげな響きが混じっていた。
視線だけで、レニーを呼ぶ。
「レニー? 相手してあげなさい」
「姫様の命とあらば」
レニーは静かに前に出た。
その動きに合わせて、銀色の髪が陽に反射してきらりと光る。
群衆の間から、小さな歓声が漏れた。
彼女の歩き方には、どこか凛とした気品があった。
セインツロウは苦笑して、その背を見つめた。
(いやいや、完全に見世物じゃないかこれ)
けれど――
レニーはふと振り返り、目を逸らすように言った。
「べ、べつにセインのためじゃないからなっ」
「……」
ああ、これは。
どこかで聞いたことのあるやつだ。
いや、異世界でも成立するのか“ツンデレ”って。
「…ツンデレって知ってる?」
レニーがきょとんとする。
サリーが首をかしげる。
「なんだそれは?」
「…まあいいや。じゃあ景気付けに――」
風が止まった。
街の喧騒が、急に遠ざかる。
屋根瓦の上で止まっていた猫が、耳をぴくりと動かした。
セインツロウは小さく息を吸い込んだ。
いつもよりゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「有象無象の小僧がどーのこーの言うとるのぉ」
たった二文字の韻。
けれど、それを七回重ねると、空気が揺れた。
足元の砂が、波紋のように震える。
光が屈折し、風が渦を巻く。
観客のざわめきが、驚嘆に変わる。
レニーがこちらを向いた。
その瞳が、瞬く間に熱を帯びる。
「嘘…セイン…私のために詠んでくれたのか…?」
(やばい。なんかスイッチ入ったぞ)
レニーの瞳が燃えるように光を帯びた。
街の光を映したわけじゃない。
まるで詠唱の残滓が、そのまま彼女の中に流れ込んでいくようだった。
銀の鎧がきらめき、背筋が伸びる。
風の向きが変わったのが、肌でわかる。
まるで彼女自身が“風を支配している”みたいだった。
「事情が変わった。詠唱に応え、其元の万難を排除しよう。名を名乗れ」
その声音は澄んでいて、それでいて重い。
周囲の空気がひりつき、誰も息を呑めない。
「いやそこまでやらんでも…」
セインツロウは思わず手を上げて止めようとしたが、レニーが小さく首を振った。
「セインの詠唱に応えちゃ、ダメ?」
その一言。
なんかもう、いろんな意味で反則だった。
(…これ、止められる雰囲気じゃないやつだ)
「やっておしまいなさい、レニー」
サリーがすかさず横から茶化してくる。
腕を組んで、まるで舞台の観客みたいな顔だ。
「あと、お二人ともイチャついてないかしら?」
「そんなことないよ、サリー」
セインツロウが慌てて否定する。
レニーがちらりとこちらを見た。
頬が少しだけ赤い。
でも、その口元には戦士の自信が宿っていた。
♢
「…任せておけ」
風が鳴る。
鎧の金属がわずかに擦れる音。
レニーが一歩、前へ踏み出した瞬間――
領主息子の怒鳴り声が、空気を裂いた。
「さっきからふざけやがって!」
声の調子は怒りよりも焦りに近い。
顔が真っ赤で、唇が震えている。
その後ろでは護衛の騎士が剣を抜き、
群衆のざわめきが高まっていく。
「また始まったぞ……」
「あっちのあいつ、やばいって」
通りのあちこちからそんな声が漏れた。
レニーは静かに一歩踏み出した。
まっすぐに、恐れもなく。
騎士としての気配が全身から溢れ出していた。
「ふざけている? それはお前だ」
その声が響いた瞬間、空気が一段重くなった。
まるで言葉自体が、魔力を帯びているかのように。
護衛の騎士が慌てて前に出る。
「おのれ、騎士風情が――」
その言葉が終わるより早く、何かが空を切る音がした。
いや、“音がしなかった”。
次の瞬間、護衛の体が吹き飛ぶ。
重い鎧が地面にぶつかり、剣が弧を描いて石畳を転がった。
「…え? いつ剣抜いてたん?」
セインツロウが目を瞬かせる。
隣でサリーが口元を押さえて笑っていた。
「もう終わっている」
レニーはそう言って、剣を鞘に戻した。
その動作が、あまりにも静かで美しかった。
誰もが息を飲んで立ち尽くす。
風すら止まったかのような、完璧な静寂。
その中でただ一人、顔面蒼白の領主息子だけが、
小刻みに震えていた。
レニーの目がゆっくりと彼に向く。
冷たくも、どこか慈悲を残した眼差し。
「次は…お前か?」
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃ!!」
情けない悲鳴を上げて、領主息子は踵を返した。
マントを踏んで転びかけながら、そのまま全速力で通りの奥へと逃げていった。
砂煙が残り、誰かの靴が転がった。
一拍置いて――通りが爆笑に包まれた。
「ざまぁみろ!」「やったぞ!」
拍手が鳴り、笑い声が響く。
さっきまでの緊張が嘘のように溶けていく。
セインツロウは額に手を当てて、ぼそりと呟いた。
「…また厄介事を増やした気がするなぁ」
拍手と笑い声がいつまでも鳴り止まなかった。
子どもが「すげぇ!」「あの騎士強ぇ!」と叫び、屋台の親父まで手を叩いている。
通りのど真ん中で、レニーが剣を下ろしたまま立っていた。
陽光を受けて、鎧がきらめく。
その凛とした立ち姿に、誰もが見惚れていた。
サリーがため息をつきながら、口元を緩めた。
「…はぁ、終わったみたいね」
「終わった、っていうか…終わらせた、だね」
セインツロウは肩をすくめる。
レニーの剣筋は見えなかった。
気づいたときには敵が倒れていた。
“魔法”どころか、呼吸の隙すら見えない。
あれはもはや芸術だ。
「もう帰ろう」
呟くと、レニーがこちらを向いた。
戦闘の気配はすっかり消えていて、代わりにほんの少しだけ、照れくさそうな笑顔を浮かべている。
「…セイン、ありがとう。私…嬉しかった」
「いや、ありがとう言うのは僕の方だよ。助かったし」
「…ッ」
レニーが一瞬、言葉を飲み込む。
その仕草が妙に初々しくて、セインツロウは少し目を逸らした。
(まさかこの世界で“ツンデレ”が進行形で見られるとは…)
そんなことを思っていると、サリーがすっと二人の間に入ってきた。
「ねぇ、仲良しなのは結構だけど、通りの真ん中よ?」
「…ハハハ」
見渡せば、群衆がまだ彼らを取り囲んでいた。
拍手してる人もいれば、うっとりしてる人もいる。
屋台のおっさんなんて、すでに“英雄誕生”みたいな顔をしている。
「…とっとと村に帰ろ」
セインツロウが呟くと、サリーが頬をふくらませた。
「もう帰るの? 私、まだ街を散策してないわよ」
「別の街でちゃんと穴埋めするから、ね?」
「ほんとぉ?」
「ほんとほんと」
サリーは渋々納得したように腕を組み、レニーはその横で真顔に戻っていた。
「…セイン、またどこかで詠唱する気だろう?」
「いや、もうこりごりだよ。詠唱=面倒ごとって学んだし」
「いい心がけだ」
レニーが軽く頷く。
でも、その口元は笑っていた。
街の喧騒が少しずつ戻り、屋台の笛の音がどこからか聞こえてくる。
焼きパンの匂い。馬の蹄の音。
風が通りを抜けて、埃と笑い声を運んでいく。
セインツロウはふと、空を見上げた。
雲の隙間から光が降り注いで、街全体が淡い金色に染まる。
「どうしてこう落ち着かないんだろうなぁ」
サリーが笑って言う。
「あなたが落ち着かせないからでしょ?」
「それは…否定できないな」
レニーが横で静かに笑った。
サリーが髪をかきあげ、太陽を見上げる。
三人の影が、ゆっくりと通りに伸びていく。
セインツロウはもう一度、ため息をついた。
「スローライフって、どこに売ってるんだろう…」
そう呟く声を、
街の喧騒と夕暮れの風が、やわらかくさらっていった。




