第7話 呼んだのはサリー。来たのは親父。
朝の光が、宿の木枠を四角く切り取っていた。
草の匂いが残る寝台から体を起こして伸びをひとつ。
今日は“待機”。
できれば何も起きない日。
そう決めたところで、扉がコンコン、と鳴らされる。
「セインツロウ殿。領主様の御使者である」
低い声。やめてくれ、心の準備がゼロだ。
扉を開けると、濃紺の外套に紋章。
真面目そうな青年が直立していた。
背後には二人の護衛。
窓から聴こえる通りのざわめきが、急に遠くなる。
「昨日の件、冒険者ギルドより報せ届き候」
「――領主様が直に問われたいとの御意向。これより御館まで御同行願いたい」
丁寧で、逃げ道ゼロの言い方。
(ギルマス、仕事が早いのはいいけどさ…)
「支度、すぐ済みます」
荷物といっても、替えの服と水袋くらい。
肩に掛けながら深呼吸。
廊下を抜けると、女将さんが心配そうに目で「大丈夫?」と聞いてくる。
苦笑いで親指を立てておいた。大丈夫ではない。
通りに出ると、街はもう働いていた。
パンの香り、鍛冶の金槌、子どもの笑い声。
なんか僕だけ逆走してるみたいだ。
(報告して、確認して、帰る。サクッと。頼むからサクッと)
♢
領主の館は街の中心、小高い丘の上にあった。
白い石壁、磨かれた鋼の門、紋章旗が風を切る。
昨日のギルドの清潔さが“街の顔”なら、ここは“街の牙”だ。近づくほど、背筋が勝手に伸びる。
門番が使者の紋章を確認し、重い扉が左右に滑った。
中庭の砂利が、靴底でしゃりしゃり鳴る。
噴水の水音。
よく手入れされた植え込み。
働く人々の動きに無駄がない。
(場違いの上塗りだな、これは)
玄関口で外套を預け、石畳の廊下を進む。
壁に掛けられた古い武具と肖像画。
視線の端で、鎧の衛兵が一斉にこちらを見る。
僕は視線を床に落とした。
どこに目をやればいいかわかんないし。
「広間にてお待ちくだされ」と使者。
大扉の前で一呼吸。掌が少し汗ばむ。
(深呼吸して、話して、終わらせる。大丈夫。詠唱はしない。しなくていいはず)
扉が開く。光が広がり、ひやりとした空気が頬を撫でた。
僕は一歩、足を踏み入れた。
広間の奥には、深紅の絨毯がまっすぐ伸びていた。
天井は高く、柱には獣の彫刻。
その先――玉座のような椅子に、初老の男が腰を下ろしている。
背筋がまっすぐで、年齢よりもずっと大きく見えた。
隣には若い男。
あの眼差し、もうすでに“次期領主”の顔してる。
僕が歩み出ると、足音がやけに響いた。
空気が重く、胸の奥にまで沈んでくるようだ。
「聞いたぞ」
領主の声は低く、抑えた迫力があった。
「妖精を呼び出したというのは、そなたか」
「はい。セインツロウと申します。村の言い伝えに従って、報告を――」
「では、やってみせよ」
「…え?」
思考が一瞬止まった。
今ここで? 確認とか報告とか、そういう流れをすっ飛ばして、いきなり本番?
「詠唱を。実際に呼べるのだろう?」
周囲にいた使用人や衛兵たちがざわめく。
(ちょっと待って、ここ、領主の家だよね?)
「え、あの…いきなりですか?」
領主は動じない。むしろ当然のように顎を引く。
「嘘を申しておらぬなら、証を見せよ。妖精とは形のあるものだろう」
隣の息子が、鼻で笑った。
「本当にできるならの話だがな。――下賤な者が、妖精を呼ぶ? 聞いたこともない」
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
蔑むようなその声。
まるで“最初から失敗するのを期待している”顔だった。
(…あーあ、ダメだ。この感じ、苦手だわ)
その視線を無視して、頭を下げた。
「承知しました」
息子の口元がさらに歪む。
「まさか本気でやるつもりか?」
「指示されたので」
彼の表情が、汚物を見るような軽蔑に変わった。
空気が、ぴりっと張り詰める。
見下ろされて、見透かされて、笑われて――
(…ああ、なんかムカつくな)
唇が動いた。
誰にも聞こえないくらいの小さな声で。
「…くらいやがれ」
息を吐く。
「愉快な仲間と仲良く登場」
空気が、ひとつ脈動した。
「揺らいだ頭に響かす咆哮」
微細な振動が、床石を伝って足裏に触れる。
「不埒さ輝き渦巻く煩悩」
天井の燭台が、ゆらりと揺れた。
「静かにあんたらに見せつけ消去」
四つ。
頭韻八文字、脚韻四文字を四回――まるで心臓の鼓動みたいに打ち込む。
一瞬の静寂。
そのあと、世界が鳴った。
――ゴッ。
目に見えない風が渦を巻き、壁掛けのタペストリーがばさばさと舞い上がる。
燭台の火が逆さに伸び、光が波打った。
「な、なんだ!?」
「結界を!」
「退避しろ!」
悲鳴と怒号が混ざり、使用人たちが慌てて下がる。
領主が椅子の肘掛けを握りしめ、息子は青ざめたまま一歩も動けない。
足元で魔力の流れが暴れ出し、光が床を這う。
――魔法陣。
(うわ、これ…もしかしてやっちゃいました?)
胸がドクンと跳ねる。
想定外だ。完全に。
でも、詠唱はとっくに終わっている。
光の紋が重なり合い、音が消えた。
世界が、息を止めたみたいに。
そして次の瞬間、轟音とともに光が弾けた。
♢
「――っ!」
僕は思わず腕で顔を覆った。
床全体がうなりを上げ、熱風が頬を打つ。
(またサリー呼んじゃった? いやでも、まさかね?)
光の中、誰かの足音がした。
重く、ゆっくりと。
その音が、すべての喧騒を飲み込んでいった。
光が収まると、そこに立っていたのは――
屈強な男だった。
背丈は僕の倍近く。黒曜石のような鎧をまとい、肩からは白銀のマントが流れている。
その姿から放たれる“圧”に、空気がびりびりと震えた。
「…サリーじゃない!?」
思わず声が出た。
いや、声が勝手に出た。
「…とんでもない詠唱に応えてやってきては見たが…」
低く響く声が、胸の奥まで突き刺さる。
男はゆっくりとこちらを向いた。
「君が、もしかして――セインツロウ君かな?」
「そ、そうですけど…?」
この落ち着き。威圧感。
なのに、どこか親しげ。
あまりに想定外すぎて、脳が処理を諦めた。
「これはどういった状況か、教えてもらえるかな?」
彼の金の瞳が、まっすぐ僕を射抜く。
その瞬間、広間の誰もが動けなくなった。
領主は玉座の上で口を開けたまま、息を呑んでいる。
衛兵は腰を抜かし、息子は…完全に意識を失っていた。
(おいおい…全滅やんけ)
「えっと…妖精を呼べる者は申告が必要で、
申告したら“証拠を見せろ”って言われたので、呼びました」
「すいません…ちょっとガチめで」
「ふむ…なるほど」
男は短く息を吐いた。
軽く顎に手を当て、考え込むように目を細める。
次の瞬間、視線が領主へ向いた。
「私は妖精界の“四大守護”のひとつ――カーン家の当主である」
広間全体の空気が凍った。
誰かが短く悲鳴を上げる。
「証拠が必要なら見せよう。…ただし、この地が消し飛ぶが、よいか?」
領主の顔が一瞬で青ざめ、玉座から転げ落ちる。
「め、めめめっ滅相もございません!!
その者は力を示しました!どうぞお帰りくださいいぃ!!」
(なんだこの圧倒的カリスマ…サリーのテンションとは別ベクトルだぞ)
男――カーン家当主は、満足げに頷いた。
「なんだ、つまらん。…まぁよいか」
背を向けると、足元に新たな魔法陣が展開する。
光が再び、彼の輪郭を包み始めた。
「では、また会おう、セインツロウ君」
「あ、はい…」
唐突に名前を呼ばれて、返事が反射的に出る。
光が強まり、姿が薄れていく。
その直前――
「サリーを、よろしく頼むよ」
「え?」
当主の口元が、楽しそうに笑った。
「あれは我が娘ながら、おてんばさんでね」
「えええ!?」
「ははははは!」
高らかな笑い声が広間に響き渡る。
そのまま、光の中に消えていった。
…沈黙。
残されたのは、腰を抜かした領主と倒れた息子、
そして、呆然と立ち尽くす僕ひとり。
「サリーを呼んだつもりが、親父が来た件について…」
乾いた声で呟く。
誰も返事をしなかった。




