第5話 今日はただ歩くだけ(で済んでヨカタ)
三人で街に向かうことにして歩き始めて少し経つと、街道に陽が差してきた。
土の匂いが濃くて、歩くたびに靴の底がじわりと沈む。
前を歩くサリーの金髪が光を受けて、細い糸みたいに揺れていた。
その隣でレニーの鎧が、歩調に合わせて小さく軋む。
音だけ聞いてると、旅というより行軍だ。
「妖精の件を報告って、なにするの?」
サリーが退屈そうに口を開いた。
「昔からの言い伝えらしいよ?」
僕は肩をすくめる。
「私は聞いたことないわよ。召喚に応えるくらいの詠唱が昔あったなんて」
「私も聞いたことはありませんが、おそらくあったのでしょうね」
レニーが淡々と返した。
「どうしてそう思うの?」
レニーが答えなさそうなので、僕が意見することにした。
「じゃなきゃ召喚魔法なんて存在しない、ってこと?」
「その考えで概ね間違いないだろう、と思うがな」
三人の会話が途切れると、風の音だけが残った。
サリーは髪を結い直しながら、空を見上げて言った。
「ねぇ、報告って退屈そう」
「退屈って言うなよ。僕だってめんどくさいんだよ」
「貴様、姫様がめんどくさいだと?」
「レニー?セインツロウはそんな事言ってないわよ?」
ふたりのやり取りを横目に見ながら、僕は苦笑した。
“地に足つけて生きていこう”と思ってたのに、
歩けば歩くほど、地面が遠ざかっていく気がした。
♢
しばらく歩いていると、街道の木々の影が少しずつ長くなってきた。
感覚的には昼を過ぎたあたり。
「そういえば昨日は、呼んでないのに来たよね? どういうこと?」
僕がそう言うと、サリーが得意げに胸を張った。
「あんなとんでもない詠唱よ? 私を詠んでくれたんじゃないの?」
「完全に姫様の暴走だった。すまなかった」
レニーが僕にだけ聞こえるように小声で言った。
僕は小さく息を吐いて肩をすくめる。
「ただの独り言を詠唱と勘違いするのはどうかと思うけど」
「貴様が韻を踏みまくるのがいけないのだ」
「えー…」
口を尖らせたところで、サリーが振り返る。
「ちょっと、なに二人でコソコソ話してるの?」
「いやぁ、ちょっとね、ハハハ……」
乾いた笑いでごまかすしかなかった。
僕は歩きながら手を軽く叩き、話題を変える。
「いい機会だからちょっと試してみたいんだけどさ…」
レニーが訝しげに眉を上げ、サリーが面白そうに目を輝かせる。
「どんなものが妖精の好みか、気になったんだ」
そう言って、僕は軽く息を吸い込んだ。
まずは、前世で覚えた“早口ラップ”。
足を止めず、リズムに合わせて舌を転がす。
が、サリーはきょとんとしたまま首を傾げた。
「…なに、それ?」
「次いくね」
英語、メロディラップ、マンブル、クラウド、トラップ。
いろいろ試してみたけれど、どれもサリーの耳には響かないようだった。
そのたびにレニーが驚いた顔で立ち止まり、口をあんぐりと開ける。
「貴様は一体なんなのだ…?」
「いや、ただの実験だよ」
「実験、ねぇ…」
サリーはつまらなそうにため息をつき、つま先で小石を蹴った。
♢
気がつけば、空が茜色に染まっていた。
木々の間から差す光が、まるで焚き火の前触れみたいに赤い。
「今日はこの辺で野営かな」
僕が言うと、サリーが小さく眉をひそめた。
「まだ着かないのね」
「明日には着くけど、二人は今日はもう帰ったら?」
サリーは少し考えてから、ふっと微笑んだ。
「そうね…さすがに野宿はやめておこうかしら」
レニーの表情に安堵が走る。
サリーは軽く手を振り、風の中に立つ。
「じゃあ、またね、セインツロウ」
「しばらく詠唱しないでくれよ? せめてフツーのやつにしてくれ」
「わかったよ、じゃあね」
淡い光が二人を包み、魔法陣がゆらりと揺れた。
♢
焚き火の火が、ぱちりと弾けた。
森の夜は冷たくて、息が白く揺れる。
ひとりきりの静けさ――それが本来、僕の望んでいたはずの“平穏”だった。
切り株に腰を下ろし、背を丸めながら薪をいじる。
炎の光が掌をなぞって、赤い影を落とした。
(…ひとりサイファーみたいで気恥ずかしかったなぁ)
呟くと、火が少しだけ跳ねた。
この世界に“サイファー”なんて言葉はない。
でも、きっと妖精たちにも伝わる何かはあると思ってた。
(でも、だいたいわかったことがある……)
妖精はメロディでもパンチラインでもなく、
純粋な韻の硬さを“美しさ”と捉えていること。
そして、韻を踏みながら“現象を描く”と、その意志に妖精たちは応えて力を貸してくれること。
けれど、詠唱では範囲や狙いを定めるのがとても難しい。
だからこそ、世に出回る攻撃魔法が少ない――そういうことなんだろう。
そしてもうひとつ。
妖精たちは、自分から韻を踏もうとはしない。
それを“人間の領分”だと思っているのかもしれない。
僕は焚き火に手をかざしながら、ふと考えた。
(僕の詩に、サリーが詠唱を続けたらどうなるのだろう)
それは好奇心とも、恐れともつかない小さな熱を残して、夜の空に溶けていった。
♢
夜明け前の空が、かすかに白んでいく。
冷たい空気の中、羽織ったコートを直して立ち上がった。
ゆっくりと歩き出すと、東の空に朝日がのぞいた。
光の筋が街道を染めていく。
道の向こう、遠くに瓦屋根の群れが見える。
「…村からあんまり出なかったからうろ覚えだけど」
あれが領主様のいる街…のはず。
街の門の前までたどり着いた頃には、日が真上に来ていた。
無事に報告だけでサクッと帰れるといいんだけどなぁ。




