第8話 青の妖精姫と底辺冒険者
しばらく経ってからのことだ。
いつも通りギルドで今日の仕事を探していたら、妙な噂が流れはじめた。
「向こうの国が、また遠征してくるらしい」
誰かひとりが言っただけの話じゃない。
受付でも、奥の談話室でも冒険者連中の会話でも、その話題ばかりだった。
きな臭くなってきたな。
ってことは、この前ぶっ潰した山賊ども…あれ、斥候だったってことか?
ギルド内の空気は、普段の喧騒じゃなくて、ピリッとした殺気に近い緊張感で満ちていた。
姐さんですら眉間に皺を寄せてるなんて、噂はマジっぽいな。
俺はため息をつきながら外へ出た。
人の流れに任せるまま歩くと、平原が一望できる小高い丘に出た。
そこにはいつもと違う光景が広がっていた。
…んだよ、これ。
兵士、冒険者、傭兵、それから役人までもがぞろぞろと集まってきてやがる。
焚き火の煙が上がり、資材が山積みにされ、馬の嘶きと金属音が混じり合っていた。
「パーティー会場かよ……」
思わず口をつく。
いや、戦の前なんだから、浮かれてるはずはないんだが。
でも、これだけ人数が集まれば、
それはもう“何かが起きる”って空気になる。
見える距離の向こう側には、黒い影が動いていた。向こうの国の軍勢――あれ、多分本物だ。
背筋が妙な汗をかく。
準備は否応なしに進んでいる。
俺も、否応なしに巻き込まれる。
さて……どうすっかね。
♢
フィノアが横から俺の袖をつまんだ。
連れてきてたことも忘れるくらい、俺は内心慌てているらしい。
そりゃそうだろ。もう俺は独りじゃないんだから。
「ジルマド。どうするんだ?」
どうする、ねぇ……。戦が来るってのは分かる。
でも俺にできることなんて、せいぜい雑兵どもを片づけるくらいだ。
「どーするって言ってもなぁ…」
平原の向こう、黒い軍勢の影を眺めながら、俺はポツリと本音を漏らした。
「なあ。地面が割れてりゃ、アイツら来れないんじゃないのか?」
フィノアが眉をひそめる。
「私はできないぞ?」
そう言って、彼女は腕輪をカシャンと鳴らした。
金属の小さな音が、妙に重く聞こえる。
そんなデカい魔法は使えないってことか。
フィノアに頼りたいわけじゃないんだけど、なんかねーかなー。
…あれ?
「そーいえば…」
俺は腰のポーチを探り、くしゃっと折れた紙片を取り出した。
この前、食堂でアイツ——友人が妙な笑みを浮かべながら渡してきたメモだ。
“いざというときに読んでみてよ”
そんな不穏な言葉つきで。
俺は半信半疑で紙を開いた。
「えー…なになに?」
そこには、意味の分からん指示が最初に書いてあった。
『まず、フィノアの方を向く』
「なんだよそれ……」
でも言われた通りに、俺はフィノアの正面へ向き直った。
夕暮れの光が、フィノアの頬を照らしている。
その片目には、不安そうに揺らぐ紋章が刻まれていた。
…俺にもあるんだよな、これ。
フィノアが、少し不安そうにまばたきする。
「…ジルマド?」
呼ばれて、胸の奥が妙にざわつく。
メモはまだ続いている。
どうやらここから先が“本番”らしい。
…マジ?これ言うの?
俺は恥ずかしさを噛み殺しながら、言葉を吐き出す。
《二人の前には全てが無力》
《つまりド派手に勝つ計画力》
その瞬間——
空気が揺れた。
風が止まった。
平原のざわめきが、一度、完全に消えた。
♢
ズドンッ!
大地の奥底から、何か巨大な“拍手”でも起きたみたいに震えた。
世界中が“鳴いて”いるみたいだ。
もしかして、これが妖精の歓喜ってやつか?
視界の端で、フィノアが目を見開いていた。
驚愕というより…信じられないものを見ている顔だ。
「え…な、なんてこと…」
フィノアの声は掠れている。
後ろのほうからも叫び声が飛んだ。
姐さんの声だ。来てたのかよ。
「ウソ……詠唱!?」
続いてアンナちゃんの声まで上がる。お前も来てたんかい。
「しかも…十五文字…! 多分、全踏みよ…!」
やめてくれ、状況が全然追いつかねぇ。
全踏みってなんだよ。訳わからねえ。
俺は慌ててメモの続きに目を走らせる。
“ここで誓いの言葉を”
は? ここでってなんだよ。
でも書いてある以上、やるしかない。
俺はゆっくりひざまずき、フィノアの小さな手をそっと取った。
フィノアが大きく息を呑む。
「ジルマド……?」
あの時と同じ誓いの言葉が、胸の底から湧き上がるみたいに流れ出す。
《永遠に、そばに》
たった六文字。
なのに世界がひっくり返る気配がした。
♢
フィノアが光り出した。
青い髪が淡く輝き、その輝きは一瞬で強烈な光に変わった。
「ま、待てフィノア、これ——」
言い終わる前に。
バキンッ!
甲高い音とともに、フィノアの腕輪が砕けた。
破片が光の粒みたいに宙に散って消える。
同時に、フィノアの存在そのものが“膨張”した。
圧とか、魔力とか、そんな生易しい言葉じゃ足りねぇ。そこに立っているだけで、大地が息をするみたいだった。
フィノアは腕輪の消え去った両腕を見つめ、呆気に取られていた。
そして意を決したように、こちらを見て小さく頷く。
フィノアが敵軍の方へ手を伸ばした。
…次の瞬間。
地鳴り。
足元から全身に突き抜ける低音。
世界が大きく息を吸い込んだあと——
ズドドドドォ!!
大地が割れた。
まるで谷だ。
右から左へ、見渡せる限り全部。
幅は……なんだこれ、どんだけだよ。
数字じゃねぇ、感覚で“とんでもねぇ”と分かる。
向こうの軍勢の半分くらい、叫ぶ暇もなく落っこちたんじゃないか?
砂煙が視界を覆い、俺はその場に立ち尽くした。
フィノアの光だけが、砂煙の中で揺れていた。
♢
砂煙がゆっくり晴れていく。
さっきまで耳を裂いていた地鳴りも、兵士たちの怒号も、全部どこかへ消えたみたいだ。
ただ、ひとつだけ——
青白い光だけが、まだそこにあった。
フィノアだ。
でも背中越しに感じる“圧”がまるで違う。
「これでいい?」
声は…驚くほど落ち着いていた。
まるで、ひと仕事終えたあとみたいなトーンだった。
「ああ…」
フィノアはこちらを見ていたが、すぐにまた谷の方を向いてしまった。
「ん? おいフィノア」
呼びとめると、フィノアは首を傾げて再びこちらを向いた。
「どうした?」
俺は息を呑んだ。やっぱり見間違いじゃねえ。
片方の瞳だけじゃない。
——両目だ。
両方の瞳に、青白く脈打つ紋章が刻まれていた。
光の残滓がゆらめいて、その紋章を強調するように揺れている。
「…お前、その目…」
言葉が途切れた。
胸の奥で、何かが大きく跳ねた。
フィノアは自分の目に手を触れ、不思議そうに瞬きをした。
「ジルマド。どうかしたのか?」
どうしたもこうしたもねぇ。
ってことは俺の両目もバッチリ紋章入ってるってことじゃねえかよ。
でもフィノア自身は、変わったことに気づいていない様子だった。
さっきまでの地割れの轟音と、今の静寂のコントラストがやけに鮮烈で——
俺はただ、彼女を見つめて立ち尽くすしかなかった。




