第3話 はぢめての魔法
俺とフィノアは向かい合う形で、冷たい石床に腰を下ろしている。
さっき契約は済んだ。
だが、こいつの手足を繋いでいる鎖も、腕輪も、そのまんまだ。
状況だけ見れば——なんも変わってねえ。
(さてさて…魔法ってのがどんなもんか…)
ぼんやりそんなことを考えていたら、隣でフィノアがぽつりと口を開いた。
「だって子供の頃に読んだ絵本と一緒よ?契約で詠唱してもらえるなんて」
やけに嬉しそうな顔でさ。
この地下牢みたいな場所でよく言うぜ。
「状況は最悪だけどな」
思わずそう返すと、フィノアはむっと頬を膨らませた。
「ロマンがたりないなお主」
ロマン、ねぇ。
俺は鎖に繋がれた彼女の腕を一瞥し、それから鎖の根本を睨みつけた。
「水でもいい、火でもいいぜ。極限まで強く細くまとめたい」
「当てるのか? それで切れるのか?」
「やってみないとわかんねぇけどな」
フィノアは鎖をちょん、と指でつついてみせる。
キン、と鈍い音が跳ね返ってきた。
妖精が触るとなんかあるっぽいな。
「ならば水だな。当たっても平気そうだしな」
「いや腕輪には当てないけど。こえーし」
何でわざわざケガさせないといけねーのさ。
「まずは鎖を切る。腕輪はここから出た後で考えよう」
そう宣言すると、フィノアはこくりとうなずいた。
♢
「水が出るように念じてみろ」
「出るように、って言われてもな…」
内心文句を言いながらも、俺は立ち上がり、鎖の少し手前に位置取る。
フィノアの前に掌を突き出した。
深く息を吸う。
(水。細くて、速いやつ。…なんかもっとヤバいやつ)
そうイメージした瞬間——ズドドドと掌から水が出る。
「お、おおおっ!?」
思った以上の勢いで水が吹き出して、危うく自分の顔にかかりそうになった。
冷たい飛沫が頬を打つ。
床の石が一気に濡れて、細かい水飛沫が光を弾いた。
「これをまとめる…こうか?」
俺は水の流れに逆らうように指を少しずつ閉じ、そろえていく。
指先の隙間を絞るたび、水の束はだんだん細くなり、そのぶん圧が増していく。
水が細くまとまり、勢いが増す。
鎖の表面に触れた途端、さっきまでただ濡れていただけの銀色の金属から——いや、ただ水が勢いよく当たってるだけだな。
「なんかダメそうな気がするな…」
見た目はそれらしくなってきたが、まだ“切れる”って感じじゃない。
このままじゃ、ただの強めの水洗いだ。
俺は、まとめた指に反対の手を重ねてさらに絞る。
両手で指の隙間を限界まで狭める。
(糸のように…なんだっけな?ウォーターカッターだっけな…)
物知りなアイツが酒場で延々話していた、“水で鉄を切る道具”の話が頭をよぎる。
そのイメージを、ありったけ引きずり出して水に押しつける。
次の瞬間——金切声を上げながら鎖が削れていく。
ギャリギャリギャリ、と耳障りな音が広間に響き渡った。
銀色の欠片が飛び散り、石床まで削れていく。
フィノアが目を見開き、震える声で言った。
「切れとる…なぜそんなことを知っているのだ?」
「物知りな友達がいてな」
俺は水の流れを維持しながら短く答えた。
フィノアは鎖の向こうで、しばらくぽかんと俺を見つめていた。
その視線を感じながら、俺はただひたすら——
目の前の鎖を、細い水の糸で削り続けた。
少しして、鎖がついに「パキン」と、短い悲鳴を上げて割れた。
鎖の欠片が床に跳ねて転がる。
水の刃はすっと消え、掌から滴る水だけがぽたぽた床を濡らした。
「…よし。切れたな」
息を吐いた俺を、フィノアが驚愕と安堵の混ざった顔で見つめていた。
腕輪はそのままだが、両手両足の重さは消えている。
彼女は鎖の落ちた音を聞きながら、そっと手首を撫でた。
「…すごいな、ジルマド。まさか水で鎖を……」
「本人が一番びっくりしてるっつーの」
掌の感覚はまだジンジンしているが、動けるならそれで十分。
俺は立ち上がり、広間の出口らしき通路に戻る。
「行くか。ここにいてもしょうがねぇだろ」
フィノアはまだ腕輪を見つめていたが、俺が手招きすると小走りでついてきた。
♢
通路の奥へ進むと、すぐに見慣れた“分岐点”が現れた。
さっき入ってきた場所と同じだ。
そこを曲がれば階段…のはずだった。
だが。
通路を抜けた瞬間、俺たちが踏み戻ったのは——
さっきの広間、鎖のあった場所だった。
「…は?」
フィノアが震える声で呟く。
「やはり牢獄なのだ…入ったら一度、もう出られぬのだ…」
絶望の色が声に滲んでいた。
長い封印生活のせいだろう。
“出口はない”という思い込みが根を張っている。
だが、俺は鼻を鳴らすだけで返した。
「あ? 何言ってんだ? ただの空間トラップじゃねえか」
「???」
フィノアは本気でわからない顔をしていた。
そりゃそうだ。
封印されてた奴が、ダンジョンのトラップの話なんて知るわけねぇ。
俺は通路の壁を軽く叩く。
「一瞬でいい。空気をなくすか増やすか、できるか?」
「この腕輪のせいで魔法が使えんのだ」
フィノアは腕輪を握って眉をひそめた。
「じゃあしょうがねえ…これを使うか」
俺は荷袋から一本の筒を取り出した。
フィノアが眉間にしわを寄せる。
「なんだそれは?」
「こいつをな、ここの紐を引っ張ると音が鳴る」
「音?」
「そうだ音だ。人が吹っ飛ぶくらいの音だ」
フィノアは完全にポカン。
まぁ、初見ならそうなる。
「それがなんだというのだ」
「このトラップはな、一定の空間を球状に覆ってるのが相場だ」
俺は床に線を描くように指でなぞった。
「でな? そういうのは内側の圧力の変化に弱いんだ。耳塞いどけ。いくぞ…」
フィノアが慌てて両手で耳を押さえた瞬間——
俺は紐を思い切り引いた。
♢
――爆音。
音というよりも衝撃波が空間内にぶちまけられ、
胸が一瞬つぶれたみたいに息が止まる。
どこからかバギン!と割れる音が響いた。
喉が焼けるほど痛ぇ。
耳もキーンと鳴りっぱなしだ。
「くあぁー…効くぜ…これで通れるはずだ」
フィノアは両手で耳を押さえ、涙目になってる。
「私を閉じ込めていた牢獄を、いとも簡単に…人間とは、とんでもないな」
「俺は詠唱もできねぇし、パーティも組んでねぇからな、こういうのは必須なんだよ」
広間を後にしながら、俺は肩を回す。
その時、フィノアがぽつりと呟いた。
「…寂しくはないのか?」
意外な質問だった。
この鎖部屋から出られた安堵と、外の世界への期待が混じった、震える声。
俺は歩みを止めずに答える。
「もう慣れた」
強がりでも何でもない。
そう生きてきた。
フィノアはしばらく黙って俺を見つめていたが——次の瞬間。
フィノアが俺の手をとってきた。
細い指が、震えながら俺の手を包んだ。
「これからは…私がいるからな?」
その言葉に、思わず胸の奥が一瞬だけ熱くなる。
俺は顔をそむけながら呟いた。
「…殺す気か?」
彼女はただ、嬉しそうに笑っていた。




