第2話 フィノアとジルマド
鎖の音だけが微かに響く広間で、青髪の妖精さんがぽかん、と口を開けて俺を見ていた。
「ろ、ろりばばあ?」
その反応が妙にツボに入って、思わず口の端が上がる。
まあ普通そうなるよな。
「俺の友達がな、色々物知りなんだ。そいつが俺の人生に彩りをくれた」
「ほぁ…」
「あと性癖をオープンにして生きるべしってな」
言いながら、アイツの顔がふっと脳裏に浮かぶ。
目の前の妖精はというと、鎖に繋がれた手を縮こませ、信じられないものを見る目で俺を睨む。
「…契約しないとダメか?」
弱々しい声。
さっきまで偉そうにしてたくせに、急にしおらしくなってやがる。
俺は肩をすくめた。
「なんだ出たくないのか」
「ヘンタイと契約したくないんだよ」
そりゃそうだわ、と思いつつ、この反応がなんか可愛いことに気づいてますます好感度が高まる。
ここで引き下がるつもりはねぇ。
「確かに出なければ変わらない日常だな、ずっと」
俺がぽつりと言った瞬間、妖精の瞳が大きく揺れた。
「!!!」
図星だったらしい。
この空間にどれだけ閉じ込められてたのか知らねぇが、出られる機会を自分の意思で手放す、なんてできるわけがない。
俺は踵を返す。
「じゃあな、俺は出口を探すぜ」
背中を向けた瞬間だった。
「…待て」
その声は、さっきまでの強がりとは違い、
どこか必死で、胸の奥に届くようだった。
俺は足を止め、振り返った。
♢
振り返ると、青髪の妖精は鎖に引かれるように身を縮めていた。
さっきまで俺をヘンタイ呼ばわりしてたくせに、
いまは何かを決断する一歩手前みたいな顔だ。
「私はフィノア。お主は?」
名乗られた瞬間、この空間の空気がほんの少しだけ柔らかくなった気がした。
「俺はジルマド。よろしくってことでいいのか?」
名前を返すと、フィノアはこくりと頷いた。
鎖の金具が小さくカチ、と鳴る。
その表情にはまだ迷いが残っている。
契約したくない。でも出たい。
でも俺はヘンタイ。でも外は自由。でも怖い。
でも一人はもっと怖い。
その全部が、黙ってても表情にあらわれていた。
さっきの「変わらない日常」って言葉が相当効いてるんだろう。
フィノアの視線が泳ぎ、俺を見る目が何度も揺れた。
「……」
言葉が出ないのは、“断りたい” と “縋りたい” が
同時に喉元で詰まってるからだろう。
俺は壁に軽く寄りかかって言ってやる。
「別に、嫌なら無理に契約しなくていいぞ。
ただ俺は出口探して帰るだけだし」
わざと軽く言うと、フィノアの肩がビクッと震えた。
閉じ込められたまま、さらに何百年、何千年か知らねぇ時間を過ごすのか。
その選択と、たった今現れた“ヘンタイに手を引かれる自由”を天秤にかけてるんだろうな。
やがて彼女は小さく、でもはっきりと口を開いた。
「…待て」
その一言には、さっきよりずっと強い意思が宿っていた。
出口なんて見つかる保証はない。
俺が信用できるかも怪しい。
でも、それでも掴みたいものがある。
そんな声だった。
俺はゆっくりと歩み寄りながら、口角を少しだけ上げた。
「ようやくその気になったか?」
フィノアの頬が、わずかに赤く染まっていた。
フィノアは小さく息を吸い、鎖の重さを気にしながら姿勢を整えた。
その動きは不思議と上品で、ここが地下牢みたいな場所だってことを一瞬だけ忘れそうになる。
「ではジルマド。契約だ。私の名を呼び、そして誓うのだ」
契約——その単語が落ちた瞬間、空気がピリッと変わる。
冗談でも軽口でもなく、“核” に触れる儀式なんだって直感した。
俺は眉を一度ひそめる。
「誓い?なんでもいいのか?」
「この際なんでもいいが…」
フィノアはもじもじと指先を寄せ、鎖につながれた手を胸元に持っていき、上目遣いで俺を見上げてきた。
「初めてなんだからな?」
(……殺す気か、この妖精)
頭がクラクラするほど可愛い。
妖精ってもっと気まぐれで、尊大で、ついでに人間なんて虫ケラ扱いするもんだと思ってたんだが。
こいつはどう見ても“弱ってて、怖がってて、必死で、初々しい”。
(ヤバい可愛すぎる)
気づいたら、俺は手を伸ばしていた。
鎖の冷たい金属越しに、細い手首をそっと包む。
フィノアがびくりと身を震わせた。
けれど、逃げない。
むしろ握り返してきそうなほど力が入っていく。
松明の火が揺れ、彼女の青い髪が淡く光った。
見つめ合う。
呼吸が静かに溶けていく。
……なんだよこれ。
儀式っていうか、完全に違う意味で大事な場面じゃねえか。
それでも俺は、ゆっくりと口を開いた。
「永遠に、そばに」
フィノアが大きく目を開いた。
その瞬間——。
カッと光が弾けた。
白い光が床の魔法陣を走り、縦横に走るラインがまるで心臓脈動みたいに明滅する。
俺の足元も、フィノアの鎖も、全部が一瞬で飲み込まれた。
耳鳴りがして、呼吸が奪われるような感覚が走り、視界が真っ白に塗りつぶされる。
……時間にして数秒か。
でも永遠みたいに長かった。
光が薄れていき、やがて広間の輪郭が戻ってくる。
俺は目を細めながら、フィノアを見る。
「…なんか変わった感じしねーけど」
フィノアはというと——
頬を赤く染めたまま、ぽーっと俺を見ていた。
♢
(おいなんだその顔は。大丈夫か?)
「ん?どした?」
フィノアは小さく震えながら、
呆けたように呟いた。
「…できるではないか…」
「何が?」
フィノアは突然、叫ぶように身を乗り出した。
「詠唱!できるではないかぁ!」
声が広間に反響した。
フィノアは震える指で自分の胸元を押さえ、
そのまま床に崩れ落ちるんじゃないかってほど興奮していた。
「さっきの3文字!韻を全踏み!」
まだ頬は赤く、目はうるんで、呼吸は浅い。
さっきの光の余韻で火照ってるのかと思ったが——
違う、これは完全に“キマってるヤツの顔”だ。
俺は頭をかきながら問い返す。
「そーなのか?」
「気づいてなかったのか!?」
フィノアは俺の胸ぐらを掴む勢いで身を寄せた。
「契約の誓いが全踏み…3文字でも全踏み…こんな幸せなことある?」
……幸せなのか、それ。
韻とかよくわかんねえし。
誓いの言葉が韻を踏んでいたからってここまで感動するなんて、妖精という種族の価値観は理解不能すぎる。
それでも嬉しそうにしているフィノアを見て、胸の奥がふっと軽くなる。
「わかんねーけど、喜んでもらえたんなら、それでいいや」
素直にそう言うと、フィノアは口元を押さえ、耳まで赤くした。
なんなんだその反応は。
妖精ってこんな…可愛い生き物だったか?
フィノアは鎖の音を響かせながら、その場にぺたりと座り込み、胸の前で手をぎゅっと握った。
「これでお主は詠唱せずとも魔法が使えるはずだ…あぁ幸せだ…繋がれててよかったぁ」
最後の一言が妙に生々しい。
(繋がれててよかったって…喜ぶ方向完全に間違ってねぇか?)
まぁ、深く考えると頭が痛くなるから置いとく。
俺は松明を持ち直し、フィノアに声をかけた。
「…じゃあ魔法、教えてくれるか?」
フィノアは胸を張って宣言した。
「ああ!時間はいくらでもある!」
声だけは勇ましい。
だが鎖ががっつり地面に刺さってるせいで、ぴくりとも動けてねぇ。
俺は溜息をつき、荷袋を指で弾く。
「…食料がなくなる前に頼むぜ」
フィノアは悔しそうに頬を膨らませながらも、小さくうなずいた。
鎖がかすかに揺れるたび、青い髪に透けた光がちらちら反射する。
地下牢の空気が、少しだけ動き出した気がした。




