第9話 壊れもの同士、手を取る夜
アタシのレフとの逢瀬がザナにバレたのは、スワリフ公爵の城に戻ってきてから。
アタシとレフがよろしくやっているところに割ってくるとか、そーゆードラマチックな展開じゃないけど。
ザナは正面切ってやってきた。
城の廊下、光の粒が漂うような昼下がり。
始めて出会った時と同じ情景。
違うのは、ザナは涙を浮かべて震えていた。
「嘘つき…信じてたのに! ルー! 酷いよ…」
第一声がそれだった。
知らんぷりもせず。
逃げもせず。
やっぱりいい子、ほんとに。
胸の奥がぎゅっと縮んだ。
ああ、この子、アタシのこと、ほんとに信じてたんだ。
だからアタシはゆっくり、息を整えて言った。
「レフの心はあなたに向いたままよ」
それは本当だ。
レフの不器用さも、優しさも、全部ザナに向いてる。
だからアタシはレフに振られたんじゃないの。
あれ?考えてること、なんかおかしくない?
とか考えてるうちに、ザナは涙を拭いながら叫んだ。
「どうして!? レフの子もできないのに!」
その瞬間、世界がひとつ揺れた気がした。
アタシは苦笑いして、ぽつりと返す。
「あー。そういえば王子も言ってた。エーテル?アストラル体?が違うんだってね」
言いながら、自分でもバカみたいだと思った。
王子に何で知ってるのって聞いたらさ。
「え?転生の時に聞いてない?」
だって。
科学でも魔法でもない、ざっくり“世界の理”みたいなやつ。
人間と妖精が子を成せないっていう絶望は、想像以上に重かった。
でも――ザナはそこじゃなかった。
憎悪すら感じるその瞳は、まっすぐアタシを刺してきていた。
信頼してた友達に、裏切られたと思ってる瞳だ。
「…ザナ」
名前を呼んだだけで、彼女は震えた。
それだけアタシを“友達”と思ってくれていたんだと思った。
でも、その善意を信じるには、アタシはあまりに汚れてて、あまりに器用じゃなかった。
アタシはその場でザナに触れられなかった。
慰める資格が、自分にあると思えなかったから。
噴水の音が遠くで響く。
ザナは最後に小さく息を呑んで、踵を返した。
その背中の細さだけが、胸にずっと残った。
――アタシたち、ほんとに友達だったの?
それすら言えなかった。
ザナは、廊下の向こうへ消え、アタシはそこにひとり立ち尽くした。
胸の奥で、自己嫌悪と空虚だけがゆっくり積もっていった。
♢
ザナが去ったあと、廊下の静けさが一気に重くのしかかった。
あの子の涙が胸に残ったまま、アタシは部屋へ戻る。
扉を閉めた瞬間、息が漏れた。
(…結局アタシは、あの子を傷つけるだけの存在なのよ)
そう思いながらベッドに倒れ込んで、しばらくボーっとしていた時。
レフが、ためらうように扉を開けた。
「レフ?ザナはいないわよ?帰っちゃった」
「…知ってるよ」
そう言いながら、レフは部屋の扉を静かに締めた。
あのアツい、アタシを見る、あの目。
それだけで、もう止まれない。
二人の影が重なる。
アタシは抱かれながら、自分の脚でレフの腰を引きつけた。
そのまま耳に囁く。
「レフぅ?アタシとの子、欲しい?ねえ欲しい?」
その一言でレフは大きく目を見開いた。
「ルー…人と妖精の間では無理なんだ」
わかってる。王子にも聞いた。ザナも知ってた。
でも――レフが興奮してるのは動き方でわかる。
「そう。無理なの。でもね」
レフと繋いでいた手を離す。
そしてアタシはゆっくりと、下腹部に両手を添えた。
「この、状態でっ、詠唱したらっ、どうなるかなぁ?」
レフの喉が、ごくりと鳴った。
「ルー…」
彼の声は抑えているのに震えてる。
罪悪感と欲望のどっちにも傾けないで、ただ私を呼んでる。
私は笑った。
「何興奮してるのよ、いいの?孕んでも?本当にアタシ達、終わっちゃうよ?」
からかうつもりだったけど、言ってみて自分の心の方が揺れていた。
“終わる”
“壊れる”
“全部めちゃくちゃになる”
でも、それが怖くない。
むしろ心のどこかで――それを望んでいる自分がいた。
レフは、選ばなかった。
ああ、優しい男。でもズルい。
ザナに向いてるくせに、私の前ではいつもこうやって迷う。
彼の揺れた瞳と視線があった時、その姿に胸が焼かれそうになって、アタシはゾクゾクした。
♢
それは次の日の夜。
廊下の向こうから、足音。
扉の前で音が止まり、ノックされる。
レフかと思ったら違った。
「ルーちゃん、入るよ?」
エミルナだった。意外。
その顔は、いつもの明るさとはまるで違う。
濁った水が入った瓶みたいな、そんな目をしていた。
私は反射的に言った。
「エミルナ、どうしたの?」
すると彼女は、立ち止まって震える声で叫んだ。
「…エミーって呼んでよ…!」
世界が一瞬、静まった。
「…エミー?どうしたの?」
無表情で、ハイライトの消えた瞳をアタシに向けて、エミルナはゆっくり話し出した。
「レフと契約の話、してたよね?」
「してたよ、ね?」
エミルナがまた一歩ずつ近づいてくる。
「ね?」
胸の奥がぞくりと冷える。
エミルナがなんで知ってるんだろう。
「うん。まだ決めた訳じゃないよ?」
「もう決まってるよ?」
「え?」
「ルーちゃんの、契約する妖精は、決まってるよ」
「エミー?」
彼女は一歩近づき、満面笑みで言い放った。
「私だよっ♪」
♢
空気が割れたみたいだった。
血の気が引くより早く、背筋に冷たいものが走った。
「ちょっとどうしたのエミルナ」
エミルナは顔をくしゃりと歪めて叫んだ。
「エミーって呼んで! トモダチでしょ!」
その瞬間、部屋の温度がガクッと落ちた。
怯えじゃない、違う。
これは、“執着”だ。
妖精は純粋だって誰かが言っていたけど。
きっとあれは、裏返せば“暴走しやすい”って意味なんだ。
エミルナは、たぶんもう――戻れないとこまで来てる。
「…」
私は息を飲み、言い返す言葉を探していた。
コンコン。
扉がノックされる。
アタシはエミルナを横目に、扉の方に声をかける。
「…レフなの?」
ゆっくりと扉が開いて、レフが部屋に入ってくる。
「ルー。…エミルナ?」
「レフもいらっしゃい。ちょどいいわ」
ちょうどいい?なんのこと?
すると――エミルナが語り始めた。
「知ってる?あの夜、レフを嗾けたの、私なの」
「……は?」
理解が追いつかない。
でもエミルナは続ける。
「そうすれば、ザナちゃんはルーちゃんのこと嫌いになるでしょ?」
レフが息を呑んだ。
ザナの名前が出た瞬間、胸が締め付けられる。
そして――
「知ってる?ソコが疼くように魔法かけてたの…」
「私だよっ♪」
「!!!」
全身の血が逆流した気がした。
あの日。
レフに抱かれた夜。
いやそれよりも前から。
胸の奥が妙にざわついて、身体が勝手に火照って、抑えようとしても抑えられなくて。
あれは、アタシの性癖でも欲望でもなく――
エミルナの魔法?
いつ?
まさか、初めて会った時!?
エミルナは軽やかに答える。
「いつ魔法使ったのか、気になるでしょ?」
「あのスゴイ詠唱の時、だよ」
アタシの足が震えた。
分別できない感情が、身体中を駆け巡る。
そして、最低だけど。
どこかで“ああ、そうか”と納得した私もいた。
カラダが元気になって、下腹部が疼いて、レフに断られたところまで。
そこまではアタシの本能だったんだぁ。
ほんと芯の芯まで、アタシ売女じゃないの。
エミルナは、ぐちゃぐちゃに笑っていた。
「ねえルーちゃん、私と契約して」
一歩。
二歩。
エミルナが近づくたびに、壁が迫る。
逃げ場がなくなる。
「…この箱から出して」
その声は泣いているみたいに震えていて、でも目だけが、まるで子供のようにキラキラ光っていた。
「“四大守護”なんてイヤ」
「お父様はね、王子様に見染められなかった私を…他で使おうとしてるんだぁ」
「よくわからない妖精と…結婚なんて、絶対イヤ」
ああ――そういうことか。
この子もまた、親が決めた婚約に押し込まれて、
貴族のルールに縛られて、“箱”に閉じ込められて。
私が箱から出られたように。
エミルナも出口を探していた。
その出口が、“アタシ”?
アタシはゆっくり息を吸って、立ち上がった。
レフの不安そうな視線が刺さる。
「いいわ。エミー、契約しましょ?」
エミルナの呼吸が止まった。
アタシは微笑んで続けた。
「壊れモノ同士、お似合いじゃない」
エミルナの目がひらき、頬がほんの少し赤くなった。
「一緒に旅をして、一緒に男を漁って」
その言葉にレフが「…!」と喉を鳴らした。
「最後は一緒に世界を滅ぼしましょ?」
エミルナは静かに笑った。
「滅ぼさなくてもいいよ?壊せればいいの」
「この城という檻、掟という檻、世界の仕組みという檻。ぜーんぶ」
「一緒じゃねーか」
思わずツッコミを入れてしまった。
「まあいいわ。人生一緒にやり直しましょ」
アタシは、エミルナに手を差し伸べた。
エミルナの顔がもっと赤くなる。
まるで告白が成功したみたいな。
彼女はアタシの手を取った。
♢
次の日の朝。
城の誰もがまだ眠っている時間。
静かな廊下。
開け放たれた窓から差し込む朝の光だけが、部屋を薄く照らしていた。
人影はどこにもなかった。
ルメイラとエミルナの姿は――
公爵の城から、きれいに消えていた。
※ひとまずはここまで
次回から新章が始まります。




