第8話 僕と契約して魔法娼女になってよ
夜の王城って、昼とはまるで別世界だ。
静かで、広くて、足音が吸い込まれていくようで。
そんなとき。
――コン、コン。
控えめなのに妙に必死なノック。
(ん?この時間に?)
警戒は一瞬だけ。
次の瞬間には、アタシの口が勝手に軽口を乗せていた。
「あら?夜這いかしら王子?」
扉の向こうで、明らかに変な息の吸い方が聞こえた。
「カンベンしてよぉ」
情けない声。
うん、王子サマだわこれは。
アタシはくすっと笑って、扉を開けた。
「フフ、冗談よ。入ってちょうだい」
王子は肩をすくめて部屋に入ってきた。
完全に“気まずそうな男子大学生”の顔をしてる。
広すぎて落ち着かないこの豪華部屋に、彼の存在だけがちょっと現実味をくれる。
扉が閉まると同時に、王子はこそこそ声で聞いてきた。
「レフ君とザナちゃんは…いないよね?」
(あー、この聞き方、絶対なんか気にしてるな)
アタシはベッドに腰を下ろしながら、
「…よろしくやってるんじゃない?今頃」
と軽く投げた。
王子は「あー…」と遠い目をしたあと、
「やっと進展したかあの二人」
ため息混じりの、どこか嬉しそうな声。
「…そんなにじれったかったの?」
アタシが呆れ半分に言うと、王子はソファにドカっと座りながら語り始めた。
「もともとザナちゃんの父親がレフ君パパの部下なんだよ」
「それでレフ君が、ほら立場的に上でしょ?それを気にしててさ」
なるほどねぇ。
そういう“格差とか関係性の負い目”って、恋愛のストッパーになるよね。
アタシも反対側のソファに座り、王子を横目で見てつぶやいた。
「…アンタいいヤツじゃない」
王子は「やめてよ照れるじゃん」みたいに耳を触りながら、
ほんの少しだけ、昼間の王子ムーブが抜けていた。
王子は、昼間とは違う座り方だった。
玉座ではオラつきムーブだったくせに、今はただの若い男の子の姿。
ちょっとだけ膝をすり寄せながら、ぽつりと言った。
「俺も君のことルーちゃんって呼びたいんだけど…」
アタシは思わず笑ってしまった。
そっち!? そこ!?
「まだダメよ、あの二人に絶対怪しまれるから」
王子は肩を落として、心底残念そうな声を漏らす。
「だよねー…せっかく前世の記憶持ってる人と知り合えたのに、まだ王子ムーブしなきゃなんて…」
♢
ここで空気が変わった。
“前世の記憶を持ってる”――
アタシにとっては突然すぎたワードだけど、王子の目にはいつもの冷たさがなく、むしろ“理解者を見つけた”みたいな色。
だからこそ、つい聞いてしまった。
「もしかして、あのキャラって分かる人のツッコミ待ちだったって事?それで記憶持ちを判断するって?」
王子は、耳が真っ赤になった。
「ってやってたら抜けなくなっちゃって…妖精って人間よりも引っ張られやすいんだと思う」
あー、分かるわ…。
この世界の妖精って、感情とか影響をモロに受けやすいんだろうな。
そういえば――
「あー。それ公爵も言ってた。妖精は純粋なんだって。あ、お茶飲む?」
アタシが席を立とうとすると、
「それはこっちのセリフ。お湯は俺が出せるから」
はい魔法便利。
しかも慣れてる感じが腹立つ。
でも悪くない。
こうやって“普通に話せる”相手って、この世界にほぼいなかった。
アタシは少し間を置いて、ふと気になっていたことを聞いた。
「ねえ、アタシって馴れ馴れしすぎ?」
王子はお湯を注ぎながら、笑いながら言った。
「知り合った後の距離感は近いかもねー。でもいいんじゃない?脈なしってわかるとスッゴイ楽だよ」
なるほど。
“惚れられてるか警戒”じゃなくて、“惚れられてないから安心”って意味ね。
前世持ちって、ここまで距離感が変わるのか。
…いや、アタシが対象外宣言したからか。
アタシはゆっくりカップを取り、ソファにもたれかかった。
「やっぱり王子サマって大変なの?」
王子は一瞬だけ、今までにない“素の弱さ”を見せた。
「いやそれが、逆なんだ。みんな純粋だから」
「俺が勘ぐっちゃうの、なんかあるんじゃないかって」
その言葉に、胸の奥がきゅっとした。
この人も、ただ守られてきたわけじゃないんだ。
純粋さを前に、裏を探してしまう。
前世があるからこその孤独。
アタシはカップを傾けながら呟く。
「前世の記憶が邪魔する、かぁ」
王子はうなずいてから、急に真剣な目をした。
「で、本題、いいかな?」
アタシは一拍置いてからにやりと笑う。
「シないわよ?」
「ちげーよ!」
王子が机を叩く勢いで否定したから、ちょっと笑ってしまった。
「俺がしてあげられることって話」
「ああ、そっちね」
王子は前のめりになってきた。
「王子サマだからって権力とか領地とかないんだよね」
「ほうほう」
「でさ…」
王子はアタシの目をまっすぐ見た。
「なによ?」
少し息を呑んでから、王子は静かに問いかけた。
「契約って…知ってる?」
♢
その一言で、王子のまとう空気が一気に変わった。
さっきまで“同じ前世持ち同士の雑談”って感じだったのに、いまはまるで――。
アタシはカップをソーサーに置き、ゆっくり向き直る。
「契約…ねぇ。愛人って訳じゃなさそうだし」
「妖精の世界だと、なんか重たそうじゃない?」
王子は頷いた。
「重いよ。重いし、危険だし、普通はやらない。
でも――君には必要になると思う」
「アタシに?」
「うん」
王子は組んでいた指をほどき、静かに言葉を続ける。
「君は、妖精界の“規格外”なんだよ。ラップを応用した韻。その詠唱も、影響力も」
アタシは少し笑った。
「アンタ、また遠回しに変なこと言ってない?」
「違うよ。本当に」
王子の言葉は刺さるでもなく、ただ事実として胸に落ちた。
アタシは静かに問い返した。
「で、その“契約”ってのをすると……どうなるの?」
王子は一拍置いて、真剣にアタシを見た。
「まず、魔法の行使に詠唱がいらなくなる」
「チートじゃないの」
王子は声を落として言う。
「レフとザナ」
「二人は、君のことを本気で守る気でいる」
「人間界に帰った時に、遠からず君の特異性はバレる」
「君を誰かが襲う時に、詠唱してる時間あると思う?」
「たしかにねぇ」
アタシは眉を寄せた。
「契約すると…何か変わる?」
「身体的には、どこかに契約紋が現れる。場所はランダムガチャ。正直、ケースが少なすぎてパターンがわからないんだ」
「必要…ねぇ」
その言い方に、なんとなく不穏を感じて身構える。
「実際に四大公爵のカーンさんところの娘さん、サリーちゃんって言うんだけど。人間と契約したらしいし」
「実際すごい詠唱するんだよ。君ほどじゃないけど、俺も感知するくらい」
「…場所と格によって感知するしないが変わるの?」
「変わるけど、君は妖精界でぶちかましたでしょ?あれは全域に響いたはずだよ」
王子は、ほんの少しだけ笑う。
「話を戻すとね?」
「契約すれば安心なんだよ。問題は――」
「問題?」
王子は指を一本立てた。
「誰と契約するか、ってこと」
部屋の空気が、ひゅ、と冷えた気がした。
アタシは思わず口を開く。
「まさかアンタ、アタシに――」
「違う違う違う!!」
王子が両手をぶんぶん振る。
「俺じゃない! 絶対違う! レフ君たちが怒る!!」
アタシは吹き出した。
「じゃあ誰よ!」
王子は少しだけ視線を落とし、言いづらそうに呟いた。
「…本来は、君が選ぶものだよ」
「でも、レフ君かザナちゃん…どちらかになると思う」
アタシはソファに沈み込み、天井を見上げた。
契約。
自分の力を預ける相手。
相手の力を受け入れる関係。
それってつまり――
ただの魔法システムなんかじゃなく。
「…ほぼ“恋人”みたいなもんじゃないのよ、それ」
王子はコホンと咳払いした。
「うん。だからこそ、慎重に選んでね?」
「ほんとは権力かざして俺が契約するのが一番いいんだけど」
「王族が契約するなんて、マズイでしょ?」
アタシは苦笑した。
「はぁー…めんどくさ」
王子は笑った。
「その“めんどくさ”が言えるの、前世持ちだけだよ」
お互い、なんだかちょっと素直になった空気。
深夜の静けさが、距離を縮めてくる。
そしてアタシは、ふと思った。
(…契約、か)
レフの不器用な優しさ。
ザナのまっすぐな好意。
選べるわけない。
選んでいい気もしない。
でも――
誰かを選ばなきゃいけないなら。
胸の奥に、ゆらりと影が揺れた。




