第4話 人は立ち上がるが、進むことはない
数日後、城の庭園はまるで絵本みたいだった。
花が一面に咲き誇ってて、噴水の音が静かに響いてる。
その真ん中で、私たちは丸いテーブルを囲んでお茶をしていた。
レフとエミルナとザナ。そして、私。
まさかこんな日が来るなんて思ってもみなかった。
カップを両手で包みながら、私は小さく息を吸った。
言わなきゃ。今、ちゃんと。
「みんな今までありがとう」
声が思ったよりも震えてた。
だけど、エミルナがすぐ笑顔で返してくれる。
「すっかり元気になってよかったー!」
その隣で、ザナが両手を胸の前で組んで、泣きそうな顔で言った。
「こんなに立派に育って…ううう…」
「いや嫁に行くんちゃうし」
思わずツッコむと、レフが少し苦笑しながらお茶を置いた。
「ザナ? 君はルメイラの母親ではないぞ?」
「…もしかしてレフってバカ真面目?」
「そうなの、そこがいいところでもあるのよ」
ザナが優しく微笑む。
レフは少し頬をかいて、照れたように目を逸らしていた。
その光景がやけに暖かくて、胸がじんわりした。
“ああ、この人たち、本当にいい関係なんだな”って。
「…まぁ二人が幸せならそれでいいや」
そう言って、私はカップを置く。
それから小さく咳払いした。
「コホン。あのね?できればお礼をしたいのだけど、聞いてくれるかな?」
三人が同時にきょとんとした顔をする。
後ろの侍女たちも、「なにが始まるの?」みたいに視線を寄せてくる。
私はふっと息を吐いて、もう一度吸い込んだ。
――いくぞ、アタシ。
♢
空気の中に、ほんの少しだけ緊張が走る。
風が止まり、庭園の花々までも息を潜めた気がした。
「唄い伝い暗いスカイつらい住まい」
「無駄にフラリ沼に埋まり砂に詰まり」
「救い現れ震い朝まで罪に挟まれ」
「主治医あなたでついに垢向けスリー仲間ね」
――空気が、弾けた。
音が広がって、世界の輪郭が震えた。
テーブルクロスがひらりと舞い上がり、花びらが光に包まれる。
妖精たちの視線が、一斉にこちらへ集まっている。私は息を切らして、口元を押さえた。
「…さ、3文字を11回と7文字を5回…全部踏んでみたんだけど…」
「で、デリバリーで誤魔化したから、ビミョーだよね、ハハハ…」
乾いた笑いが漏れたその瞬間――
城全体が、ざわめきで揺れた。
「詠唱だ!誰の詠唱だ!?」
叫び声があちこちから上がる中、エミルナが私に飛びついた。
「スゴイスゴイスゴイ!今まで聞いたこともない!」
ザナの顔は紅潮して、息をのむ。
「こんな詠唱…なんてこと…」
レフは固まったまま、開いた口が塞がらない。
あの冷静な彼が、まるで別人のようだった。
私は少しだけ笑って言った。
「お礼、できたかな?」
「充分だよ!私達に詠んでくれたのね!嬉しい!」
エミルナが涙目で笑ってくれる。
それが嬉しくて、胸の奥が熱くなる。
でも、レフはまだどこか現実に戻ってこない。
目だけが真っすぐ、私を見ている。
「ルーちゃん!ほんとスゴイ!これが人間なのね!」
「ルー…?」
「そう!ルメイラだからルーちゃん!私のこともエミーって呼んでね!」
思わず笑ってしまった。
この子、本当に太陽みたい。
そこへザナが小さくため息をつく。
「人間だからこんな韻の固い詠唱ができるんだったら苦労しないわ!ルメイラ、あなた実は大魔法使いなの!?」
「いやー大したことじゃないでしょ」
「いや大事だろ!」
ようやくレフが声を上げた。
エミルナが肩を揺らして笑う。
「あ、レフが復活した」
「そりゃあ我々妖精さ!人間が詠むものをたくさん聞いてきた!でも!」
「…あれ?レフ?」
「だいたいが3文字か4文字踏むのが背一杯!それも2回踏むのがやっとだ!それを!」
「れ、レフ?」
「3文字を11回!? 7文字を5回!? ありえないを通り越してる!」
「レフの口調が戻ってるー!」
「レフ、落ち着いてキャラ崩壊してるわ」
「キャラじゃない!」
そのやり取りに、みんな笑い出した。
緊張がほどけていくのを感じる。
でも、笑い声の向こうで――
城の外壁が、かすかに震えた。
♢
「公爵様がこちらへ向かわれます!」
――うそでしょ!?
空気が一段と張りつめていくのが分かる。
視線を上げると、石畳の向こうから一行がこちらに歩いてくるのが見えた。
重厚な衣をまとった男と、優雅なドレスの女。
その後ろに控えるのは、執事や衛兵たち――
明らかに“只者じゃない”雰囲気だった。
ザナがすぐに立ち上がり、小声で言う。
「…あれは公爵と夫人…向かってくる…?」
息を飲んだ。
エミルナが小さく手を合わせる。
レフは背筋を正し、すぐに頭を下げた。
公爵の声は低く、それでいてよく通った。
「挨拶ができていなかったな。私はこのスワリフ家当主だ。妖精界の“四大守護”のひとつを担っている。」
その眼差しが、私にまっすぐ向けられる。
視線の圧が強すぎて、息が止まりそうになった。
「あ、えっと、る、ルメイラと申します。その…申し訳ないのですが作法を知らず…」
言葉が勝手に震えた。
けれど、公爵夫人が優しい声で笑ってくれた。
「いいのよ、公式の場ではないから気にしないでちょうだい」
「そう言ってもらえると助かります…」
少しだけ肩の力が抜ける。
でも、すぐに公爵が続けた。
「先程の詠唱は、そなたのもので間違いないかな?」
レフが慌てて口を挟む。
「父上!ルメイラは客人で、療養中の身でござ――」
公爵が手を上げ、レフの言葉を制した。
その一動作に、空気が一段重くなる。
「……」
私は喉の奥を鳴らして、ゆっくり頷いた。
「たしかに私が詠みました。三人へのお礼として」
公爵夫人が目を丸くした。
「それだけであんな凄まじい詠唱をしたの?」
「…ただ喜んでほしい、その一心でした」
言葉にしてから、少し恥ずかしくなった。
だって本当に、ただそれだけの気持ちだったから。
公爵は深く息を吐いた。
「なんということだ」
「お父様?」とエミルナが首を傾げる。
「先程の詠唱は、この妖精界すべてに響き渡っただろう…」
「え、全土に!?」思わず声が出た。
まさか、そんなスケールだなんて。
公爵夫人が夫に顔を向ける。
「そうね、王家からの呼び出しがあるはずよ。ここが震源だなんて、すぐ分かるわ」
背筋が冷たくなった。
(なにそれどゆこと!?)
「帰してあげたいところは山々なのだが…沙汰を待ってはくれぬか?」
「えーあー、はい。他に行くところもないので、いさせて下さい」
思わず敬語がグダグダになった。
でも、公爵は穏やかに笑った。
「ウチは一向に構わんよ。子どもたちも仲良くしているようだし、な?」
「そーよ!ルーちゃんはいてもいいのよ!」
エミルナがぱっと手を上げて笑った。
「ありがとうございます」
(アタシどーなっちゃうのー…)
その場の空気がやっと和らいだ。
――人間がここまでの詠唱を放てる。
その事実自体が、この世界の均衡を崩してしまうのかもしれない。
この時のアタシは、そんなことちっぽけも考えていなかった。
♢
噴水の音がやけに遠く感じた。
空は夕方の色に変わり始め、光の粒が少しずつ淡くなっていく。
そんな中、ザナがそっと私の腕を掴んだ。
「ルメイラ、一つだけ教えてくれる?」
「なぁに?」
彼女の瞳は、真っ直ぐだった。
まるで自分自身の奥まで覗き込まれているような感覚。
「レフのこと、どう思ってるの…?」
私は一瞬だけ迷って、でも目を逸らさずに言った。
「振られちゃった」
「そう…」
ザナの唇がかすかに震えた。
「もしかして不安だった?」
その問いに、彼女が小さく頷いた。
「さっきの詠唱を聞いた時、取られちゃうって思っちゃったの。ごめんなさい」
私は笑った。
少しだけ、泣きそうな声で。
「そんな泥棒猫みたいなことしないわよ」
「ルメイラ…」
次の瞬間、ザナがそっと抱き寄せてきた。
温かい体温が、少しだけ滲んだ涙を吸い取ってくれるようだった。
「私達、友達でいられるのね」
「ありがとう、ザナ」
そうしてしんみりした後、ザナは帰って行った。
――その夜、私は自分の部屋で、
窓の外に浮かぶ月をじっと見つめていた。
夜は、誰のものでもない静けさに包まれていた。
廊下の灯りが消え、外では虫の音すら止んでいる。
この城の中で起きているのは、きっとアタシだけだ。
ふと、ドアの向こうで、誰かの足音が止まる。
コン、コン――二度だけノック。
「……レフ?」
返事の代わりに、扉が静かに開く。
月明かりが差し込んで、レフの姿を浮かび上がらせた。
無言のまま、こちらを見つめている。
アタシも息が荒くなる。
レフの目が、昼間よりもずっと熱を帯びていた。
気づいたときには、彼の手が頬に触れていた。
その指先が、震えている。
怒りでも、理性でもない――ただ、抑えきれない衝動。
「ルー……」
名前を呼ばれただけで、身体がびくっと震えた。
唇が触れる。呼吸が溶け合う。
次の瞬間には、もうベッドに押し倒されていた。
「あ、ああっ…レフ…!…」
言葉にならない声が、勝手にこぼれる。
彼の動きは乱暴でも優しくもなく、ただ必死だった。
確かめるように、何度も、何度も。
淫靡な音が部屋に響く。
身体の奥で熱が弾ける。
理性なんて、とうにどこかへ消えていた。
「ルー! ああっルー!」
「レフ、ぎもぢいいいよおおおおお……!」
やがて、レフがアタシの中で、果てた。
重なる体温の中で、彼の息がゆっくりと落ち着いていく。
私はその背中に腕を回し、抱きしめた。
静寂の中で、月明かりが白く揺れる。
天井の陰が、まるで波みたいに揺れていた。
(やっぱアタシって、サイテーだな…)
心の奥でつぶやく。涙は出るはずもない。
ただ、胸の奥がじんわりと痛かった。




