あなたは私の番だと、私だけが知っている〜でも、それを伝えることは永遠にない〜
あたし、ラティア・スノーフレイク。風の民の村で育った、わりと普通の少女(だと思う)。
今日から番探しの旅に出ることになった。
番っていうのは、運命の相手ってやつで、風の民はみんな人生で一度だけ「風の声」を聞くんだって。
その声を聞いたとき、近くに番がいる証拠なんだとか。
──はいはい、ロマンチック。でも現実にそんな都合よく出会えるもんかね? なんて、出発前はちょっと思ってた。ほんのちょっとだけ。
でもね、三日後。あたしはそれを、ほんとに聞いてしまった。
***
旅の途中、街の市場でうろうろしてたら、突然背後から怒鳴り声。
「おい、そこの子! 危ない、下がれ!」
え? と思って振り向いた瞬間、荷車が猛スピードで突っ込んできて──あたしは思いっきり転んだ。
「だ、大丈夫……?」
うん、怪我はしてない。たぶん。
でも、目の前に立ってたその人を見た瞬間、心臓が変な音立てた。
背が高くて、軍人っぽいマントに、鎧の肩当て。ちょっと無愛想だけど、目がめちゃくちゃ優しい。
髪は銀に近い灰色で、風にふわって揺れた。……うん、かっこいい。
でもそれよりもなによりも。
風が──囁いた。
あの音。あの感覚。
心の奥がふるえて、身体の芯が温かくなる、あれ。
……まじか。
この人、あたしの“番”かもしれない。
「ありがとう……ございます」
精一杯のお礼を言ったけど、彼はそれ以上こっちを見ようともしなくて。
「気をつけろ」
それだけ言って、あっさりと人混みに消えていった。
え、ちょ、待って。
運命の出会いってもっとこう、ドラマチックな……?
そもそも名前も知らないんですけど!?
なのに風は、確かに言ってた。
──この人だよ、って。
あたし、完全に一目惚れした。たぶん、人生で初めて。
でも、そのときのあたしはまだ知らなかった。
この恋が、最初から“叶わない”ものだったってことを──。
***
運命の番っぽい人と出会って、完全に心奪われたあたしだけど──名前も知らないし、どこの誰かもわからない。ていうか街に人多すぎ。
とはいえ、諦めきれずに市場周辺をうろうろしていたら、偶然、酒場の裏手で見つけてしまった。
あの人だ。間違いない。
「……あのっ!」
声をかけたら、彼は驚いた顔をして、それからちょっと困ったように笑った。
「お前……さっきの子か」
うん、そう。さっきの子です。記憶力良いですね。
「お礼、ちゃんと言えてなかったから……助けてくれて、ありがとうございました」
「礼なんていい。怪我がなくて何よりだ」
ねぇ、なんでそんなにサラッとしてるの。
あたしの中では今、運命的な出会いランキング堂々の一位なんですけど。
「……あの、旅のお供とか、探してたりしませんか?」
「え?」
我ながら唐突すぎた。でも、もうこれしかないと思った。旅人同士、道中一緒になるなんて、普通にある話でしょ? ね?
「実は、南に向かってて……目的地も決まってなくて。で、あの……危なくない道がいいなぁって……」
あたしのしどろもどろな言い訳に、彼はしばらく無言だったけど、やがて小さく頷いた。
「……護衛任務で南へ向かうところだ。一緒に来ても構わない。ただし、規律は守れ。無理そうなら置いていく」
「は、はいっ!」
うわ、なにこの展開。夢みたい。
番(仮)と旅スタート!? やばい、心臓ばくばくしてる。
***
旅が始まって三日目。
彼の名前がレオ・ヴァルストーンだと知ったのは、意外にも護衛先の村長さんからだった。
「おや、ヴァルストーン中将。今回もありがとうございます」
──え、中将? え、上司? すごい人だったの?!
驚いてたら、村長さんがあたしのことを「新しい部下さん?」とか聞いてきて、その流れで、さらっとこう言ったのだ。
「奥様には、こちらの旅のことも伝えてあるのですか?」
……え?
え?
……え?
奥様ってなに。
奥様って、誰。
いや、いるの? 奥さん、いるの!?!?!?
レオさん、特に否定しなかった。
うん、ちょっと苦笑いして、何も言わなかった。
──知ってた。
いや、知ってたよ? あの落ち着いた大人感、そりゃ奥さんいるでしょって、うん、思ってた。思ってたけど。
心が、ちょっとだけ、しゅんってなった。
「……奥さん、どんな人なんですか」
気づいたら聞いてた。あたし、なに聞いてんの。
でも、レオさんはちゃんと答えてくれた。
「医師だ。戦地で出会った。……命を救われたことがある」
それ以上は話さなかった。でも、それだけでわかった。
きっと、ものすごく大事にしてるんだろうなって。
──ああ、そっか。
この人にはもう、“共に歩いてる誰か”がいるんだ。
番なんて関係ない。
大切なのは、時間を重ねて、信頼して、想い合って──そうやってできあがる関係なんだ。
風は確かにささやいたけど。
でも、あたしの恋は……きっと、報われないんだ。
***
旅を始めて一週間が経った。
夜はテントで野宿、昼は舗装もされてない山道をひたすら進む。
最初は「レオさんと一緒ならどんな道でも楽しい!」とか思ってたけど、普通に足がパンパンで、虫も出るし、やっぱり自然って容赦ない。
でも、ほんのちょっとだけ──ほんのちょっとだけど、距離が近づいてきた気がする。
***
その日は、久々に晴れた夜だった。
テントを張る前に焚き火を囲んで、ふたりで水筒を回し飲みしながら、無言で星を眺めてた。
無言って、こんなに気まずかったっけ。いや、気まずいっていうか、なんていうか……なんでこんなに胸がドキドキしてんの? あたし。
「……星、綺麗ですね」
頑張って話しかけてみたけど、返ってきたのはいつものあの低い声。
「ああ。山に比べれば霞んでるが、悪くない」
うん、ですよね。そりゃあの天空の村の夜空のほうが圧倒的だったけど、でも……あたしには今のこの時間のほうが、ずっと特別。
レオさんが、何か包みを取り出して、焚き火の端に置いた。
焼いた干し肉と、固くなったパン。それを半分ずつ差し出してくれる。
「……食べるか?」
「えっ……あ、はい! いただきます!」
差し出されたパンを受け取る手が、彼の手と触れそうになった。
……いや、ちょっと触れた。指先が。
あたし、鼓動が跳ねたのを自覚した。うわ、やばい。
平然としてるレオさんの横顔、ずるすぎませんか……?
どうしてこんなに落ち着いてるの。あたしだけ、変に意識してるみたいで、恥ずかしいじゃん……。
「……ラティア」
名前、呼ばれた。
びくっと肩が跳ねるの、止められなかった。
「はひぃっっ!」
「眠る前に、膝の包帯を替えろ。歩き方が変わっていた。無理するな」
え、いつ見てたの。てか、気づいてたの!?
あたし、自分でも気づかれないようにしてたのに……。
「……ありがとうございます。大丈夫です、ちょっと擦れただけなので……」
「その『大丈夫』はあまり信用できん」
静かにそう言って、彼はそっとあたしの脚を見た。
火の揺らぎで見えた、その瞳。ほんの少しだけ、優しさが滲んでた。
その視線に、あたしの胸がまた、ぎゅっとなった。
──ずるい。そんな顔、されたら。
そんな距離で見つめられたら、
あたし、もっと、好きになっちゃうじゃん。
***
その夜、なかなか眠れなかった。
あたしの中で、風がまた、静かに囁いてた。
──この人に、恋してるんだって。
***
「……この道を越えれば、王都までもうすぐだ」
レオさんがそう言ったとき、胸の奥が、きゅうって痛んだ。
ああ──もうすぐ、終わるんだ。
この旅も。この時間も。
レオさんと、並んで歩く日々も。
あたし、最初から分かってたはずなのに。
***
夜。焚き火のそばで、ひとり湯を沸かしてると、村の老婆が話しかけてきた。
「中将様の奥様、ほんとにお綺麗だったわよ。何度かこの村に来てねぇ……」
お茶を差し出されながら、あたしは微笑んで頷いた。
「……そうなんですね」
「若いのにしっかりしてて、孤児院を手伝ってるんだとか。よく似合ってたわ、あの方と並んでる姿」
──うん。分かるよ、それ。
ちゃんと、想像できる。
レオさんが、誰かと並んで笑ってる姿。
あたしじゃない、誰かと。
***
その夜、眠れなくて、星を見に外へ出たら、レオさんがいた。
驚いたけど、彼は振り返らず、ただ空を見上げたまま言った。
「風がよく吹くな、今夜は」
その横顔に、声をかける勇気が持てなくて、しばらく並んで星を見てた。
沈黙が、心に優しく染み込んでくる。
何も言わなくても、なんとなく分かり合えてるような気がして、胸が温かくなって。
──でも、それが一番いけないことだって、あたしは知ってる。
だって、それは、まるで“恋人”みたいな空気で。
レオさんには、もう帰る場所があって、
大事にしてる人がいて、
きっと、今日もその人のことを考えてる。
だから。
本当は、今すぐにでも距離を取るべきだって分かってる。
気持ちを伝えるなんて、絶対ダメ。
自分の心に蓋をして、何もなかったみたいに、終わらせなきゃいけないのに。
「……レオさん」
無意識に呼んでいた。
彼が静かに振り向いた。
焚き火の光に照らされたその瞳が、優しくて、切なくて、痛い。
「……この旅、あとどれくらいですか」
「王都に入るまで、あと三日だ」
三日。あと三日。
それだけだ。たったそれだけ。
「……そっか」
あたしは小さく笑って、言った。
「じゃあ、それまでは……もうちょっとだけ、そばにいてもいいですか」
彼は、少しだけ驚いた顔をして、それから……黙って、頷いてくれた。
その仕草が、優しすぎて。
あたしの心は、またひとつ、壊れてしまいそうだった。
***
王都まで、あと一日。
山道を進んでいたそのとき、空気が変わった。
「止まれ」
レオさんの声が低く鋭くなった瞬間、木立の向こうから“それ”が現れた。
黒い毛並みに覆われた巨大な獣。
狼のような姿で、背中には岩のような棘。
目は赤く光り、口元からは唸るような唾が滴っている。
「……リッガ・ハウンド」
レオさんが呟く。
「高位の魔獣ですか……?」
「いや、単体なら中級だ。だがこれは、瘴気にやられてる。暴走してるぞ」
次の瞬間、魔獣が咆哮を上げて突っ込んできた。
「下がれ、ラティア!」
レオさんが剣を抜き、あたしの前に飛び出す。
金属が鳴る音。火花。
剣と魔獣の爪がぶつかり合うたび、空気が震えた。
「っ、レオさん!」
思わず叫んだ。
彼は圧倒的に不利だった。魔獣の速度、力、瘴気のせいでまともに攻撃が通ってない。
──それでも、あたしの前から、一歩も引かない。
「やめて、無理しないで!」
「……俺が、お前を守る」
その声に、胸がぎゅうっと締め付けられた。
なのに、運命はあまりにも残酷だった。
レオさんの動きが、ほんの一瞬止まった。
魔獣の尻尾が大きく弧を描いて──
「──っ!」
鋭い爪が、彼の背を深く斬り裂いた。
「レオさんっ!!」
叫んで、駆け寄った。
血が、あまりにも鮮やかだった。
彼が膝をつき、剣を杖のようにしてなんとか立っている。
「くっ……まだ、大丈夫……」
「嘘つかないで!」
……レオさんがあたしを庇って、背中に深い傷を負っていた。
「くそっ……思ったより……深いな……」
血が止まらない。
このままでは、王都に着く前に──いや、夜を越せないかもしれない。
「レオさんっ……レオさん、しっかりして!」
彼は笑った。こんなときでも、あの優しい顔で。
「お前に……何も、させたくなかった」
やめてよ、そんな顔。そんな言葉。
今さら、優しさを見せないでよ。
だって、そうされたら──
あたし、止められなくなるから。
***
ラティアは、荷物の奥から一冊の古びた魔道書を取り出した。
それは、風の民に伝わる“命を代価にする魔法”──
一度だけ、大切な人を救うために使える、禁呪だった。
風は言っていた。
この魔法を使えば、しばらく魔力を失い、命の輝きも削れる。
でも、助かるなら、それでいい。
彼が、生きて帰れるなら──
「……風よ。どうか、この人を、生かして」
詠唱とともに、ラティアの身体が淡く光る。
風が渦を巻き、彼の傷口に集まり、静かに癒えていく。
「っ……ラティア、何を……!」
「いいから、黙ってて」
泣きたくなかった。
だけど、涙がぽろぽろ溢れた。
「これで……レオさん、帰れるから。……奥さんのところに」
──それだけで、いい。
***
魔法が終わったとき、あたしはふらついて、その場に座り込んだ。
レオさんは黙って、何かを言いかけて……それでも、何も聞いてこなかった。
そして、そのまま夜が明けた。
翌朝、王都の門が見えたとき。
あたしは、ふと立ち止まって、彼に言った。
「ここで、お別れですね」
彼は少しだけ驚いて、すぐに目を細めた。
「……そうだな」
「今まで、ありがとうございました。旅、とても……楽しかったです」
あたしは微笑んだ。
精一杯の、笑顔だった。
「お前には、礼を言わないとな」
レオさんは、鞄から小さな紙片を取り出して、あたしに手渡した。
「何かあったら、そこに行け。……俺の信頼してる医師だ」
「……奥さん?」
「そうだ」
そうか。やっぱり、彼にとって大切なのは、彼女なんだ。
それでいい。
そのほうが、いい。
「……ありがとう。……きっと、行かないけど、大切にするね」
あたしは背を向けて、風の吹くほうへと歩き出した。
──さようなら、レオさん。
あなたの幸せを、ずっと願っています。
そして、いつかあたしも。
“番”なんて関係なくても、一緒に笑ってくれる誰かと、出会えますように。
***
王都を背にして、ひとりで歩き出した。
風が、やわらかく吹いていた。
涙は出なかった。もう、全部、出し切ったから。
旅の最後、彼に何も伝えなかった。
「番だった」なんて、言えるわけなかった。
でも、今なら言える。
──レオさんが、風の民じゃなくてよかった。
もし彼があたしと同じように、番を感じられる人だったら。
もし、この想いが“共有されるもの”だったら。
あたし、きっと、もっと醜い自分になってたと思う。
奪いたくなってたかもしれない。
甘えたくなってたかもしれない。
傷つけたくなってたかもしれない。
でも、レオさんは違った。
“番”なんて知らないまま、ちゃんと愛を育てて、
誰よりも優しくて、強くて、誠実で。
──だから。
「どうか、これからも、奥さんと一緒に……ずっと幸せでいてください」
空を見上げて、風に向かって祈る。
たったひとりの、運命の人。
けれど、それは“愛されるべき”じゃなく、“愛せたことが幸せ”な人だった。
***
数日かけて、あたしは天空の村に戻ってきた。
祖母は何も聞かなかった。ただ、あたしの手を握ってくれた。
「風は、静かだったかい?」
あたしは頷いた。
「……うん。もう、なにも聞こえない。でも、それでいいと思うの」
「それは、強くなった証拠だよ」
あたしは、あの旅で何かを失って、そして何かを得た気がする。
恋をして、傷ついて、それでもちゃんと“好きだった”と胸を張れる。
今すぐ新しい何かを探す気にはなれない。
番を探したいなんて、もう思わない。
だけど、いつかきっと。
「番じゃなくても、一緒に笑って、時間を重ねていける人に出会いたいな」
空を見上げて、あたしはそう思った。
それまでは、もう少しだけ──ひとりで、風と歩いていく。
おわり
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この作品は、「運命の番」という幻想的な設定を通して、
“愛するってどういうことだろう”という問いを静かに描いてみたくて、書き始めたものです。
ラティアは、自分の感情を押しつけることなく、ただそっと想いを胸にしまいました。
でも、彼女の恋は決して無駄じゃなかった。
報われなかったけれど、確かに彼を大切に思って、生きようとしたその日々は、彼女の心に残り続けます。
恋は「結ばれること」がすべてじゃない。
想って、手を伸ばして、それでも手を引く強さがあること。
そんなラティアの物語が、どこかあなたの心に触れてくれていたら、嬉しいです。
また次の作品でお会いできたら幸いです。