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ラウンド4:見た目と自己表現…解放か、新たな呪縛か?

(質問コーナーで一度落ち着いたスタジオに、再び思索的な雰囲気が戻る。あすかが、少し未来に思いを馳せるような表情で語り始める)


あすか:「皆さま、質問コーナーでは、それぞれのお考えの核心に触れる貴重なお話をありがとうございました。さて、最後のラウンドとなりますが、ここでは少し視点を広げてみたいと思います。テーマは【見た目と自己表現-解放か、新たな呪縛か?】です。」

(スタジオ全体を見渡し)

「現代…わたくしたちが生きるこの時代は、誰もがかつてないほど容易に、自身の姿や考えを発信できるようになりました。人々は、服装や髪型、化粧、あるいは自身の写真などを通して、『自分らしさ』を表現しようと試みています。これは、かつての時代には考えられなかった『解放』と言えるのかもしれません。しかし、一方で、常に他者からの『見た目』に関する評価に晒され、より一層、外見に気を配らねばならない…そんな『新たな呪縛』に囚われているようにも見えます。」

「皆さまはこの状況を、どのようにお考えになりますか?見た目を通じた自己表現は、私たちを真に解放するのでしょうか?それとも、ルッキズムの新たな形を生み出しているだけなのでしょうか?…フリーダさん、あなたはこの『自己表現』の現代的なあり方をどう思われますか?」


フリーダ・カーロ:(腕を組み、厳しい表情で)

「解放…?どうかしらね。確かに、誰もが自分の姿を見せられるようになったのかもしれない。でも、私が見る限り、そこで見せられているのは、加工されて、美化されて、本当の姿からは程遠い『虚像』ばかりじゃないかしら。」

(眉間に皺を寄せ)

「みんな、傷や欠点を隠して、社会が求める『いいね!』をもらえるような、都合の良い顔ばかりを作っているように見えるわ。それは本当の『自己表現』なの?それとも、ただ新しい、もっと巧妙な『見た目の牢獄』に、自ら囚われにいっているだけじゃないの?」

(強い口調で)

「本当の解放は、自分の弱さも醜さも痛みも、全て引き受けて、『これが私だ』と胸を張ることからしか始まらないのよ。取り繕った見かけの美しさで安心しているうちは、永遠に解放なんてされないわ。」


オスカー・ワイルド:(フリーダの言葉に、面白そうに耳を傾けていたが、やがて口を開く)

「なるほど、カーロさんの言う『虚像』ね。それは確かに、現代の『自己表現』とやらの、実に厄介な側面でしょうな。誰もが舞台に上がり、主役を演じたがる。しかし、その多くが、実に陳腐で、独創性のない、借り物の仮面を被っているに過ぎない。」

(ため息をつくように)

「かつての社交界にも、見せかけや虚飾はありましたよ。しかし、そこにはまだ、個性的な『スタイル』を競い合う、ある種の洗練された遊戯があった。ところが現代はどうだ?誰もが同じような『理想の姿』を追い求め、没個性的な美しさばかりが溢れている。…実に嘆かわしい。これでは解放どころか、個性の大量生産、魂の均一化ではありませんか。」

(皮肉っぽく笑う)

「まあ、それでも人々が、自分の『見せ方』にこれほどまでに執心するというのは、ある意味、私の唯美主義が、歪んだ形で大衆化したとも言えるのかもしれませんがねぇ。皮肉なものです。」


ソクラテス:(ワイルドの言葉にも、フリーダの言葉にも、満足できない様子で)

「虚像じゃの、仮面じゃの、スタイルじゃのと…おぬしらは、まだそんな表面的なことばかりを論じておるのか!」

(やや苛立ちを隠せない様子で)

「問題は、人々が自分の『見かけ』をどう見せるか、ではない!問題は、人々が、自分の『魂』をいかに磨き、善く生きるか、ということじゃ!その探求を怠り、外からの評価ばかりを気にして、見かけを取り繕うことに腐心するなど…本末転倒ではないか!」

(語気を強める)

「そのような『自己表現』とやらは、解放どころか、むしろ、他者の意見という名の鎖に、自らを縛り付ける行為じゃ!己の魂と向き合うことから逃げ、移ろいやすい世間の評判に一喜一憂する…これほど不自由な生き方があるか!真の解放とは、外見や他者の評価から自由になり、己の理性にのみ従って生きることにあるのじゃ!」


クレオパトラ:(冷静に議論を聞いていたが、ソクラテスに反論するように)

「まあ、哲学者先生。相変わらず理想がお高いことで。ですが、人々が他者の評価を気にするのは、今も昔も変わりませんわ。そして、その評価が、現実の力を持つことも。」

(現代の状況を想像するように)

「誰もが自身の姿を発信できる時代…それは、誰もが自身の『イメージ』を管理し、それを武器として、あるいは盾として使わねばならない時代、とも言えましょう。それは新たな戦場ですわ。かつてわたくしが宮廷で繰り広げたイメージ戦略が、もっと広範に、もっと複雑になっただけのこと。」

(ワイルドに視線を送り)

「ワイルドさんの言う『陳腐さ』は、戦略の未熟さゆえかもしれませぬ。フリーダさんの言う『虚像』も、使い方次第では有効な武器となり得る。問題は、その『自己表現』とやらが、解放か呪縛か、という単純な二元論ではなく、その力をいかに自覚し、賢く、そして…できれば『効果的』に使うか、ということではないかしら。」

(静かに微笑む)

「もちろん、その力に溺れ、自分自身を見失っては元も子もありませんけれど。」


あすか:(それぞれの意見を整理するように)

「現代における見た目を通じた自己表現…。フリーダさんは、それがしばしば『虚像』となり、真の解放には繋がらないと警鐘を鳴らされました。ワイルドさんは、個性の喪失と『凡庸さ』を嘆きつつも、歪んだ形での美意識の普及を皮肉られました。ソクラテス先生は、外見にこだわること自体が『不自由』であり、真の解放は内面にあると断じられました。そしてクレオパトラ様は、それを新たな『イメージ戦略の戦場』と捉え、その力を自覚し、賢く使うことの重要性を説かれましたね。」

(深く頷く)

「解放か、新たな呪縛か…。これもまた、単純な答えは出ないようです。自己を表現する自由を得たはずが、逆に見えない『こうあるべき』というプレッシャーに縛られてしまう…。ルッキズムの問題は、時代と共に形を変えながらも、根強く私たちを問い続けているのかもしれません。」


(スタジオに、これまでの議論の重みと、現代への問いかけが響くような、静かな余韻が広がる)


あすか:「さて…4つのラウンドを通して、本当に多くの視点から『ルッキズム』について考えることができました。いよいよ、この歴史的な対談も、終わりの時が近づいてまいりました。」


(エンディングへと向かう、静かで余韻のある音楽が再び流れ始める)

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