幕間1/5 求められる零士
翌日。
教室に入った瞬間、背筋がピシッと伸びる。昨日のあの大混乱を思い出すと、どうにも顔が熱くなる。
「れー君、おはよ♡」
杏奈がいつも通り、明るい声で机に腰かけてくる。黒髪のハーフテールが跳ねるたび、昨日の「正室争奪戦」がフラッシュバックして、俺は思わず目をそらす。
「れーじくん、昨日はよく眠れた~?」
ふわりはのんびり笑顔で隣の席にどすんと座る。195センチの影がふわっと伸びて、教室の窓際に柔らかく落ちた。……いやいや、昨日あんなに“抱きつき攻撃”してきた人が、それを聞くのかよ。
「レージ君。昨日の“無理やり終了”の件ですが、記録には【王様による強制閉幕】と記しました」
鈴音は律儀にノートを広げている。茶色のポニーテールがきゅっと結ばれて、真面目にペンを走らせているのが逆に可笑しい。
「いや、記録しなくていいからっ!」
思わず突っ込む。
周りのクラスメイトは「またやってるよ」みたいな顔で遠巻きに笑っている。
昼休み。
三人に机を囲まれて弁当を食べていると、ふと杏奈が言った。
「ねぇれー君。文化祭も終わって、次のビッグイベントってさ……もう冬だよね♡」
「クリスマス……ですね」鈴音が即答。
「れーじくん、雪合戦とかも楽しそ~♡」ふわりがほんわかとした声を足す。
俺は唐揚げを一口かじりながら苦笑する。
「お前ら、もう次の“王宮ゲーム”に組み込む気満々だろ」
「当然っ♡」
「もちろん~♡」
「当然です」
三人の声が見事に揃った。
……これじゃあ俺の平穏は、今日も明日も安泰に守られるどころか、甘さとカオスで塗りつぶされる未来しか見えない。
でもまあ――悪くない。
◇◇◇
「――土峰先輩!」
振り返ると、後輩たちが体育館シューズのまま駆け寄ってきた。額には汗、手にはバスケボール。練習の途中で抜け出してきたのが一目で分かる。
「先輩、やっぱまだカッコいいっすよ!」
「今の紅白戦でも話題でしたよ。“土峰先輩いれば10点は違う”って」
……おいおい。
俺は引退したんだ。って、何回も言ってんだろ。
「俺はもう出ない。夏で終わりにしたんだよ」
笑って言うつもりが、声の端にまだ少し苦味が残るのが自分でも分かる。
「でも……やっぱり冬まで一緒にやりたかったです」
後輩の目が真剣で、胸の奥に小さな杭を打たれる感じがした。
(分かってる。俺だって、本当はまだやりたかった。だけど――)
そのとき、背後から低い声。
「土峰」
振り返ると顧問の先生が立っていた。ジャージ姿で、いつもの無愛想な顔。けど目の奥が、今日はやけに刺さる。
「お前がいなくてもチームは強い。……だがな」
一呼吸置いて、ゆっくり言葉を落とす。
「俺はもう一度、お前がコートに立つ姿を見たい」
心臓が一拍、乱れた。
顧問にそう言われるなんて、思ってなかった。
(……反則だろ。そんな直球で言われたら、心揺れるに決まってるじゃねぇか)
「れー君の勇姿、また見たいに決まってるじゃん!」
廊下の向こうから杏奈の声。水色のリボンをひらひらさせながら、全速力で駆けてきた。
「全国のファン100人軍団が泣いてるよぉ~」
ふわりが長い脚でゆるゆる追いかけてきて、にこにこ顔で両手をぶんぶん振る。
「レージ君が立ってこそ“本物の大黒柱”です」
鈴音はきゅっとポニテを揺らしながら、きっぱり言い切る。
ちょっと待て。なんでお前らまで巻き込んでくるんだ。
「ほらほら、“応援団結成~!”」
杏奈がポーズを決める。
「“フレー、フレー、れー君♡”」
「“全国制覇~、れーじくん~♡”」
「“勝利宣言。王様必勝”」
廊下の真ん中で、勝手にチアポーズを決める三人。後輩たちも笑ってるし、顧問すら口元をわずかに緩めている。
(……俺はもう引退したって言っただろ。なのに、なんでこんなふうに囲まれてんだよ)
(でも……悪くない。むしろ、温かい。――こうやって背中を押されると、やっぱり立ちたくなるんだ。あの場所に)
俺は後輩の頭をくしゃっと撫でて、顧問に軽く会釈した。
「……気持ちはありがとな。けど今はまだ、ちょっと考えさせてくれ」
その言葉に、杏奈がにやりと笑う。
「ふふん、考えるってことは……“前向き”ってことだね♡」
ふわりもふわっと微笑んで、鈴音は胸の前で小さくガッツポーズ。
……お前ら、ほんと抜け目ないな。
結局、廊下を歩き出した俺は心の中で呟く。
(……やっぱ逃げ場ねぇな、俺。けど、悪い気はしない)
背後では、三人と後輩たちの声がまだ響いてる。
「れー君、絶対もう一回立つからね!」
……ほんとにそうなるのかもしれない。
◇◇◇
放課後。廊下を歩いていたら、職員室のドアが開いて顧問と目が合った。
「土峰」
短く名前を呼ばれる。思わず足が止まる。
「少し、時間あるか」
……断れない。先生の目は、いつもそうだ。
雑然とした職員室。コピー用紙の匂いと、コーヒーの香り。
先生は自分の机に腰を下ろし、俺には隣の椅子を指さした。
「夏でやめたことは、悪いとは言わん。お前の気持ちも分かる」
「……」
「だがな。正直に言う。俺はまだ“土峰を戦力として見ている”」
ストレート。いつもそう。逃げ場のない直球。
(……俺が欲しかった言葉だ。けど、今聞くと重い。嬉しいのに、苦しい)
「冬の選抜。全国を獲りにいけるチームだ。お前がいれば、もっと確実になる」
「……俺がいなくても、いけるだろ」
反射で返した。だが先生は眉をひとつ動かすだけで否定。
「違う。お前がいると“チームが変わる”んだ。技術の話じゃない。空気が違う。流れが変わる」
胸の奥でざわめきが走る。
(空気を変える……俺に、そんな力があったのか?)
「……先生」
「答えは急がなくていい。だが忘れるな。コートはいつでも、お前を待ってる」
その声は、叱責でも指示でもなく、ただ真っ直ぐな願いみたいで――余計に心を揺さぶられた。
職員室を出たところで、待ち構えていた三人。
杏奈が両腕を組んでにやりと笑う。
「れー君、先生に“口説かれた”でしょ?」
「……なんで分かる」
「顔に出てる♡」
ふわりは横で、ひょいと俺の鞄を代わりに持ち上げる。
「れーじくんの肩、ちょっと軽くしておくねぇ~。心が重くなるときは、物理的に軽くしよ~」
鈴音はまっすぐ俺を見て言う。
「レージ君。悩むのは当然です。でも……鈴音は、どちらを選んでも応援します」
(……ほんと、この三人には敵わない。俺の弱い部分も、迷ってる部分も、ぜんぶ見抜かれる)
(先生の言葉、後輩たちの眼差し、三人の想い……。逃げてた自分を、もう誤魔化せない気がする)
まだ、この手にはボールの感覚が残っている。気がつくと朝の練習に出かけている事さえあった。
(でも、怖いんだよな。もう一度立って、また倒れるのが。だけど――それでも挑戦してみたくなるのは、きっと今日みたいに背中を押してくれる奴らがいるからなんだ)
俺は小さく息を吐いて、三人に向かって言った。
「……もう少しだけ考えさせてくれ。でも、多分――俺は戻る」
杏奈がぱっと笑顔になって、ふわりが「わぁ~♡」と拍手、鈴音は小さく「了解しました」と頷く。
帰り道、三人に囲まれながら歩く。
コートに戻る未来が、少しずつ現実味を帯びていく。
(……やっぱり、戻るしかないな)
翌朝、布団の中で天井を見つめながら、そう腹をくくった。
迷いはある。でも、昨日の先生の言葉と三人の顔を思い出すと、背中が押される。
逃げ続けてた後悔を、ここで終わらせたい。
俺は携帯を取り、バスケ部のグループチャットに「今日から復帰したい。頼む」とだけ打ち込んだ。
返事は一瞬で返ってくる。「待ってた」「よっしゃ」「やっとだな」。
読んだだけで胸が熱くなる。
体育館の床の匂い、バッシュの擦れる音。
久々に腕にまとわりつく汗の重さ。
(ああ……やっぱ、ここだ)
走り出すと、体はすぐ悲鳴を上げる。けど、心臓の奥はむしろ笑ってた。
練習後、膝に手をついて息を整えていると――。
「れー君っ!」
杏奈が入口から駆け込んでくる。
「おかえりっ! やっぱり、ここにいるのが一番格好いい♡」
額にタオルを押し付けてくれる。新体操仕込みの柔らかい動き。
「れーじくん、スポドリ、冷えてるよ~」
ふわりは195センチの長身で、ひょいっとドリンクを渡す。
背後に影を落とすくらい近いのに、不思議と安心しかしない。
「無理しすぎないでねぇ~。でも、無理も少しはしていいよ~」
「レージ君、こちら。補給食です」
鈴音はおにぎりを小さく差し出す。
「カロリー計算済み。練習後の糖質と塩分は必須です」
真面目な顔なのに、耳がほんのり赤いのが可愛い。
杏奈は「ストレッチ係」。
新体操部仕込みで、俺の体を無理なく伸ばしてくれる。
「れー君、ここもう少し柔らかくしよ♡」と軽く背中を押されると、痛いのに心地よい。
ふわりは「癒し係」。
練習後のマッサージはもちろん、でっかい体で壁みたいに寄りかかってくれる。
「ほら、れーじくん、このまま少し休憩~」と頭を預けると、安らぎ度MAX。
鈴音は「参謀係」。
練習メニューを記録し、栄養バランスや休養スケジュールをまとめてくれる。
「データ上では改善が見込めます」とか言いつつ、嬉しそうにノートを書き込んでる。
(俺は一人じゃねぇ。先生も、仲間も、そして……杏奈たちも。みんなが俺の背中を押してくれてる)
(冬の選抜で全国獲る。もう逃げねぇ。その時――この三人の笑顔を、スタンドで見たい)
体育館の窓から差し込む夕日が、床に長い影を落としていた。
その影の真ん中に、俺は立っていた。
きっとここから、もう一度――。




