17回目 その1
昼休み、模擬店の喧騒が廊下まで響くなか、俺達は例によって輪を作っていた。
「「「王様れーじ君♡♡♡」」」
文化祭の真っ最中だろうが、この合図はもう外せない。声を揃えた瞬間、三人の視線が俺に集中する。……いや、ここ廊下の端だから! 人通り少ないけどゼロじゃないんだから!
「ふふっ、じゃあ割り箸ね♡」
杏奈が用意していた束を差し出す。相変わらず準備が良すぎる。三人同時に引き抜いて――
「やった♡」
杏奈が掲げた先っぽに、赤いマーク。今日の“正室”は杏奈だ。
「じゃあ、杏奈ちゃんのターンです。命令を」
鈴音が妙に公式っぽく進行して、ふわりは「おめでと~♡」ってぱちぱち拍手。
杏奈はわざとらしく腰に手を当てて、俺の目の前に立つ。
「れー君。命令♡ “文化祭の裏側デート”、つきあってもらいます!」
「裏側デート?」
「そう♡ 屋台とか教室展示とか、ふわりちゃんとリンちゃんと一緒だと全部“シェア”になっちゃうでしょ? だから今だけは、杏奈の“単独正室タイム”♡」
はいはい、つまり二人きりで文化祭を回るってことか。
「……じゃ、行くか」
「やった~♡」
◇◇◇
連れられてきたのは体育館の裏。まだ人が少なくて、文化祭のざわめきが少し遠い。
「ここ、れー君にだけ見せたいの♡」
杏奈が扉を開けると、中ではクラスの大道具班が作った“パネル迷路”の試作品が並んでいた。
「これ、展示じゃなくて、練習で組んだやつ。……内緒で一回遊んじゃおうって♡」
「おいおい、ずるいな」
「正室の特権だもん♪」
狭い迷路に入ると、壁のすぐ横で杏奈の肩が俺に触れる。髪から漂うシャンプーの匂いが、やけに近い。
「れー君、右! ……あっ、ぶつかる!」
思わず杏奈の手を掴んで引き寄せる。
「きゃっ♡」
狭い通路で、体温ごと密着する。心臓が速すぎる。
「……だ、大丈夫か」
「うん♡ でも、心臓ドキドキしてるの、聞こえちゃった♡」
「お前な……」
顔が熱い。杏奈の頬も、ほんのり赤い。
迷路を抜けた先、小さな窓から射す光が杏奈を照らす。
「れー君。……文化祭ってさ、高校最後でしょ? 正直、人気者の杏奈にとっては、注目されるのちょっと疲れるんだよね」
言葉とは裏腹に、目は笑っている。でも、その奥にほんの少しだけ、本音が見えた。
「でも、れー君が横にいたら……なんか全部“楽しい”に変わるの。不思議でしょ?」
「……不思議じゃないよ。俺も、杏奈がいるから楽しめる」
自然と返した言葉に、杏奈の目がふっと柔らかくなる。
「れー君。……ちょっとだけ、ご褒美」
杏奈が背伸びして、俺の頬にちょん、と唇を触れさせる。
「なっ……お前、ここ学校だぞ!」
「だから“ちょっとだけ”でしょ♡ 正室タイムは、これでおしまい」
くるっと背を向けた杏奈の後ろ姿が、やけに軽やかだった。
俺は頬に残った感触を誤魔化すように深呼吸しながら、心の中でぼやく。
――文化祭って、ただのお祭りじゃないな。心臓の負担が大きすぎる。
◇◇◇
迷路を抜けて、外の空気を吸い込む。昼下がりのざわめきが遠くに聞こえて、ここだけ取り残されたみたいに静かだ。
「ふぅ~。れー君と二人で探検、楽しかった♡」
杏奈が満足げに背伸びをする。体育館裏の光が、黒髪のハーフテールをきらっと揺らした。
「お前なぁ……文化祭って普通は模擬店とか展示とかだろ」
「そういうのはあとでみんなで回るんだもん。正室タイムは“誰にも見せないお宝イベント”にしなきゃ損でしょ♡」
「損って……お前はほんと発想が自由だな」
「自由じゃなくて、れー君専用だから♡」
さらっと言われて、心臓がまた跳ねた。こいつの言葉は、いちいちストレートなんだよ。
ベンチに腰を下ろすと、杏奈が横に座る。
「れー君、覚えてる? 去年の文化祭」
「……あぁ、バスケ部の出し物の時か」
「そうそう♡ その時、杏奈ね、模擬店の呼び込みやってるれー君見て、“あ、人気者すぎて無理”って思ったんだよ」
「無理って……」
「でもさ、帰りに教室で二人きりになった時、れー君が“お疲れ”って水渡してくれたでしょ? あの一言で、“やっぱりこの人なんだな”って」
にやり、と笑う杏奈。でも声は本当にやわらかい。
「……そういうこと、急に言うなよ」
「だって、もう言わないと終わっちゃうもん。最後の文化祭だから♡」
俺は反射的に視線を逸らす。だけど頬は熱い。杏奈はわざと覗き込むように顔を寄せて――
「ね、れー君。今日も“お疲れ”って言って?」
期待でいっぱいの瞳。断れるわけがない。
「……お疲れ。杏奈」
「ん♡ ありがと。……はい、元気チャージされた」
杏奈は小さくガッツポーズ。けどその頬は、俺以上に赤かった。
しばし沈黙。文化祭のざわめきが遠くから重なって聞こえる。
「……なぁ杏奈」
「なに?」
「さっき言ったろ。“終わっちゃうから”って。……俺も同じだ」
「……♡」
杏奈が目を丸くして、それから緩むように笑った。
「そういうとこ。だから、れー君が好き」
その言葉は、文化祭のどんな音よりも大きく胸に響いた。
次の瞬間、廊下の向こうから誰かがこっちに近づいてきて、杏奈が慌てて立ち上がる。
「やばっ、ばれたら怒られる! れー君、行こ♡」
俺の腕をぐいっと引いて走り出す。軽快すぎる足音に、笑い声が混じる。
――結局、杏奈といると心臓は休ませてもらえない。




