15回目 その1
秋の風って、なんでこう、胸のネジを一段ゆるめてくるんだろう。冷たいのに柔らかくて、吸い込むと肺の奥がじんわり膨らむ。太鼓の「ドン」という音が、鼓膜より先に腹に響いてきて、胸の奥まで震わせる。乾いた白線の粉の匂いが鼻の奥に刺さって、記憶のどこか遠くをかき回していく。
列の前後を、自然といつもの三色が囲んでくれる。水色のリボンをきゅっと結んで風に揺らす杏奈。ピンクのリストバンドを締めながら、すでに体を弾ませているふわり。黄色いシュシュで髪をまとめ、落ち着いた瞳で全体を見ている鈴音。三人が立つだけで、空気の温度が安定する。俺が真ん中に立っていられるのは、実力なんかじゃない。この“配置”が与えてくれる安心感だ。
「れー君、見ててね♡」
はい出た。開会式の第一声でそれ言うか? マイク越しでさらっと言うな。観客席がざわつく。俺は慌てて空を仰いで、青に意識を逃がす。心臓が鼓動を一拍飛ばす。
「レージ君、本日は“護衛任務:最優先”です」
横で小さく敬礼する鈴音。その姿は可愛いのに、不思議と背中を押されるように頼もしい。
「れーじくん、深呼吸ね~。いち、に、さん~」
ふわりの掌が肩にぽすっと乗る。軽いはずなのに、なぜか体の重心が安定する。吸って、吐いて、はい、もう落ち着いた。
宣誓が終わった瞬間、三人が口の形だけでそろえてささやく。
「「「王様れーじ君♡♡♡」」」
声は小さいのに、鼓動は大きく跳ねる。いや、完全に跳ねた。内臓が浮いたみたいな感覚に思わず笑いそうになる。
人知れず、十五回目のゲームが始まった。
最初の種目は“借り物(人)競走”。
俺が引いた札は――『好きな人』。
おい、こういうのほんとに存在するんだな。笑うしかない。しかもだ。
同じ時刻、別レーンの三人もまったく同じ札を引いたらしく、目が合った瞬間に砂煙を上げて一直線に俺へ突進してくる。やめろ、これは審判が一番困るやつ。
「れー君、こっち!」
「れーじくん、わたしだよぉ~!」
「レージ君、鈴音です!」
三方向から腕を掴まれ、俺は独楽みたいにその場でぐるぐる回転。視界が流れるたびにリボン、リストバンド、シュシュが交互に目に飛び込み、めまいと笑いが一緒に込み上げる。審判が慌てて走ってきて「き、規定で“ひとりまで”!」って。はい、その通りです。
ただ、この三人、目配せだけで作戦会議が成立する。しかも早い。
「今日はれー君、リレーで仕事があるから、ここは代表:杏奈で!」
「交代要員はふわりが控え~」
「鈴音は伴走で“安全確保”です!」
譲り合っている風なのに、ぜんぜん譲ってない。それが可笑しくて、でも胸の奥は熱くなる。
結局、俺は杏奈と手を繋いでダッシュ。左右をふわりと鈴音が固めるから、結局二度目の注意をもらった。ごめんなさい。でも――楽しい。ゴールしたあと、杏奈が凍らせたゼリーを俺の口元にすっと差し出してきて、
「れー君、おつかれ、“あーん”♡」
はい、さっぱりした甘さが喉にすっと落ちていく。笑いも一緒に溶けていく。美味しい、というより気持ちが潤う。
午前の見せ場は“障害物+スラローム+3Pデモ”。こういうのは得意分野だ。
コーンの隙間を抜けるたび、ボールが吸い込まれるみたいに進んでいく。最後は一拍遅らせてリリース。ネットを「シャラッ」と撫でる音に、歓声が弾けた。気持ちいい。鳥肌が立つ。
「実況、鈴音です。今のは“遅延リリースで角度を甘く取る”高度テクニック――」
説明が授業みたいに正確で的確。
「レージ君すごーい! つまり“れー君は最高”ってことだよ♡」
杏奈のまとめは早くて甘い。
「れーじくん、はい、おしぼり~。親指の付け根から、こう、くるくる~」
ふわりの“王宮スパ(出張版)”が手の熱も心の熱も、いい温度に落ち着かせてくれる。ああ、ほぐれる。緊張がほどけて、余韻だけが心に残る。
騎馬戦。正直、このメンツで負ける未来が見えない。俺は上騎で軽い。下の三人が鉄壁になれるのは分かっている。相手が突っ込んできても――
「右へ二歩、今!」(杏奈の判断は速い)
「軸、固定~」(ふわりの体幹はブレない)
「レージ君、帽子を下げて!」(鈴音の視野は広い)
俺はただ、信じて掴まるだけ。次の瞬間には、相手の鉢巻きが風に舞い、こっちは無傷で残っていた。うん、知ってた。
「れー君、勝利のハイタッチ!」
三人同時にパン! と叩かれ、手のひらにじーんとした痛みが残る。
「……痛いけど、気持ちいい」
「勝利の副作用です」って真顔で返す鈴音。思わず吹き出す。
大玉転がしは要注意だ。ふわりが本気を出すと“抱っこ運搬”になりかねない。だから俺が前に出てブレーキ役。
「れーじくん、持ち上げちゃダメ~?」
「転がす競技!」
鈴音は低姿勢で、まるで掃除でもするようにコースの砂を先に払う。杏奈の号令はなぜか隣のクラスまで届いて、隊列がそろってしまう。ほんと、お前の声質は司令塔。
「れー君の声でカウントして♡」
「いち、に、さん――」
声を張ってみたら、ほんとに全員が合わせてくれる。一瞬、グラウンド全体の拍がひとつに揃った。背筋がぞわっとする。あの感じ、クセになる。
空はほどよく高くて、雲がゆっくり流れている。額から落ちた汗が頬を伝い、顎で弾けて消えた。タオルで拭いながら思う。俺が真ん中に立てているのは奇跡なんかじゃない。三人が“場所”を作ってくれているからだ。
だから、ちゃんと見て、ちゃんと応える。午前は上々。ここから先も、三色の旗印を見失わずに――走っていこう。




