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幕間

 放課後のチャイムって、どうしてこうも胸の中のネジをひとつ緩めるんだろう。明日は体育祭。グラウンドの白線は引かれたばかりで、まだ粉の匂いが鼻に残っている。

 帰り支度をしていると、俺の机が三方向から影で埋まった。信号機トリオ――水色のハーフテールの杏奈、桃色のリストバンドのふわり、黄色いシュシュの鈴音。


「れー君、作戦会議いこっ♡」

「れーじくん、荷物はわたしが持つねぇ~♡」

「レージ君、会議場所を“王宮会議室・土峰邸”に指定します」

 会議室=俺の部屋、の言い換えが自然すぎて反論の余地がない。俺は笑ってうなずいた。



 四人で円になって座るだけで、部屋の空気がいつもの“王宮仕様”になる。窓の外、夕焼けは水色から桃色を経て、少しだけ黄色を含んだ灰へ。信号機カラーが、今日もちゃんと隣り合ってるのが可笑しい。


「まずは開会式ね。れー君は隊列の真ん中。私とふわりちゃんとリンちゃんで“信号機フォーメーション”組んで、王様の姿勢をキープさせますっ」

「うんうん~。わたし、転ばないマットみたいに支える~♡」

「レージ君、深呼吸の合図は鈴音が担当。『いち・に・さん』で吸って、『いち・に・さん』で吐きます」

 三人の役割宣言はいつも無駄がなくて、聞いてるうちに肩の力が落ちる。俺は真ん中で頷きながら、少し反省していた。頼りすぎてるんじゃないか、って。


「借り物競走、『好きな人』が出たら?」

 と杏奈。

「れーじくんはわたしで~……じゃなくて、作戦的にはだれでも勝ちだよねぇ~」

「むむっ。公平に“代表ローテーション制”にしましょう。明日は杏奈ちゃん先鋒、次回はふわわん、その次は鈴音、で」


「了解♡ でもさ、“好きな人”ってお題が出る前提で話すの、ウケるよね」

 俺は喉の奥で笑う。前提が甘い。けど、その甘さにいつも救われてる。


「障害物ドリブルは、れー君が見せ場ね。かっこいいの、ちゃんと見せて」

「れーじくん、手のひらケアは任せてね。親指の付け根から、くるくるって~」

「レージ君、終わった後に水分補給。ストローの角度も決めてあります」

「角度まで?」

「はい。45度。最適解です」

 細かい。だけど“気にしてくれてる”って事実が、体温を一度上げる。


「騎馬戦は“王様防衛作戦”。落とさない。絶対」

 杏奈の目が、水色の芯でキリッと光る。

「れーじくん、わたしが真ん中を支えるね。どんって来ても、ぐらってさせない~」

「レージ君、相手の進行角度は鈴音が見ます。『右へ二歩』の合図を出します」

 俺は――信じて掴まるだけ。

 小さく息を吸って、吐く。真ん中に立てるのは、俺の力じゃない。三人の“支え方”が上手すぎるからだ。



「大玉転がしは、れー君の合図で行く。『いち・に・さん』、はいっ!」

「わたし、持ち上げそうになったら止めてぇ~」

「レージ君、コース取りは鈴音が誘導します」

 甘い雑談みたいな作戦会議は、気づけば一時間を過ぎていた。気が緩むと、胸の奥の不安――「全国準優勝で止まった俺」が顔を出す時がある。

 けれど、この三人の前だと、いつも不安は言葉になる前に溶ける。


「れー君」

 杏奈が、急に真顔で腰を浮かせ、俺の真正面で膝をついた。

「明日は『見ててね♡』じゃなくて――見守ってて。私達、やるから」

 “見守る”。その言葉の優しさに、息が少しだけ詰まる。


「れーじくん、深呼吸しよ。せーの、すー……はー……」

 ふわりの手のひらが、背中をやわらかく撫でる。

「レージ君、護衛任務、完了させます」

 鈴音の敬語は、誓いの響きだ。


 俺は頷いた。

 ――頼らせてくれ。明日も、真ん中で。


◇◇◇


 夜風は思ったより冷たくて、街灯が水色→桃色→黄色の順に並んでいるのが、今日に限ってやたら象徴的に見えた。


「れー君、これ、当日のアナウンス草案ね」

 杏奈が折りたたみの紙を渡してくる。手書きのメモに、やたら丸の多い字。

「うちのクラスの入場で“れー君、見ててね♡”って言ってもいい?」

「……さらっと言え。さらっと、な」

「任せて♡」


「れーじくんのタオル、柔軟剤“いつもの”で洗っておいたよ~」

 ふわりが布袋を差し出す。ほわっと、安心する匂い。

「ありがとな。……これ持ってるだけで、もう半分勝った気がする」

「うんうん~。残り半分は、れーじくんの笑顔~」


「レージ君、チェックリストです」

 鈴音のメモには、持ち物、集合時刻、集合場所、そして一番下に小さく――

《大事なこと:無理をしない》

 目が合うと、鈴音は照れて、でも視線を外さない。

「指令です。守ってください」

「了解。絶対守る」


 それぞれの家の前で立ち止まり、順番に“前夜の合図”。

 杏奈は右手でピースして、軽くウィンク。

「れー君、また明日。だいすき」

 ふわりは両手を広げて、ゆるゆる“空気ぎゅー”。

「おやすみ~。あしたも、となり~」

 鈴音は小さく一礼して、まっすぐな目。

「おやすみなさい。明日、護ります」


 俺は胸を軽く叩いて返した。

「ありがとう。三人とも。――明日、真ん中で待ってる」



 布団に潜っても、グラウンドの白線が瞼の裏に残っている。

 俺は昔を思い出す。

 天井に届かない背丈。届かないリング。届かない優勝。

 それでも――“届かない”の先へ、何度も跳ぶ俺を見ていてくれた三人がいる。

 もう一度、息を整える。

 いち・に・さんで吸って、いち・に・さんで吐く。

 明日は、勝ち負けより大切なものを、ちゃんと見つめられる気がする。

 真ん中に立つ、ってのはきっと、俺だけの旗じゃなくて、三色の旗がひとつに合わさる地点のことだ。


 目を閉じる前に、スマホに短いメッセージを打つ。

《明日、よろしく。真ん中に“ありがとう”を置く》

 送信。

 既読が三つ並んで、心臓が落ち着いた。




◇◇◇


 空気はひんやり、雲ひとつない。集合場所の角で待っていると、最初に駆けてきたのは水色――杏奈だ。


「おはよ、れー君! 見ててね♡、は本番まで温存するけど、練習で言っとく♡」

「朝から飛ばすな。……おはよう」

 髪のハーフテールが朝日に透けて、水色がほんのり金色を混ぜる。眩しい。


 次に現れたのは、桃色の影を引くふわり。

「れーじくん~、朝スープ作ってきたよ。塩気ひかえめ、胃にやさしい~」

 保温ボトルから立つ湯気が、指先を温める。

「……しみる」

「よかったぁ~。今日の安心、一杯目~」


 最後に、黄色い結び目を跳ねさせて鈴音。

「レージ君、おはようございます。王宮チェック、行います」

 額に触れない程度の距離で手のひらをかざし、体温、表情、呼吸――全部“よし”のサイン。

「本日、絶好調です」

 敬語の“太鼓判”は、妙に心強い。


「じゃ、出発式いきます!」

 杏奈が両手を前に出す。

「右手:杏奈」「左手:鈴音」「背中:ふわり」

 三人がいつもの位置に収まって、俺を囲う。

「王様、いってらっしゃいの前口上」

 深呼吸。

「「「王様れーじ君♡♡♡」」」

 声は、ほとんど空気に溶けるくらい小さい。でも、胸の中心で確かに鳴った。




 四人で歩く通学路は、なんでもない家の塀や角が、今日は舞台装置みたいに見える。

 俺は“今日の不安”を探したが、見当たらなかった。

 代わりに胸の真ん中に置かれているのは、昨夜送った言葉――“真ん中にありがとうを置く”。それだけだ。


「れー君、忘れものない?」

「ゼッケン、タオル、飲み物、昼の約束のイチゴ――全部OK♡」

「れーじくん、日焼け止め、もう一回~」

 頬にすっと塗り直される感触。

「レージ君、ストレッチは登校後に追加で。『いち・に・さん』で呼吸も」

「了解」


 校門が見えてきた。白線の匂いも。歓声のタネみたいなざわめきも。

 門の前で、三人が同時に俺を見る。

 杏奈がウィンク。

「れー君、“今日のれー君”、いちばん好きにするからね」

 ふわりが小さく片腕を広げて、空気の“ぎゅー”。

「となり、確保~」

 鈴音が、きゅっと結んだ口元で。

「護衛任務、開始です」


 俺は、三人の手を順番に握ってから、もう一度、深く息を吸った。

 ――いける。

 今日は勝ち負けのためだけじゃない。

 真ん中に“ありがとう”を置くための体育祭だ。


 足を前に出す。校門の影を抜ける瞬間、三色の視線が背中を押した。

 俺の心拍は、いつもどおり少し速い。

 でも、迷わない速さだった。

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