幕間
片付いた食器の余熱がテーブルに残る頃、杏奈がぱちんと指を鳴らした。
「開館しまーす♡ 本日の特別展『王宮ミュージアム』!」
「また唐突だな」
「テーマは“ラブレター保管箱と、焼き増しの甘酸っぱさ”だよ~」
「れーじくん、展示品は“王様の机の引き出し”からねぇ~♡」
ふわりが立ち上がる。195センチが歩くだけで、部屋の空気がふんわり動く。
「レージ君、鈴音が目録を作成します。収蔵品番号、日付、出所――抜け漏れなく」
鈴音は真面目モードでメモ帳を開いた。表紙に小さく《王宮資料室》と書いてある。いつ作ったんだ、それ。
俺は観念して机の引き出しを開ける。封筒の束が、乾いた紙の匂いを立てて顔を出した。捨てられなかった言葉たち――俺の弱さでもあるし、誠実でありたいという意地でもある。
「れー君、全部ちゃんと取っておいたんだね」
杏奈の声はやわらかい。責める色はない。
「……無視するのも、捨てるのも、なんか違う気がしてさ。俺に向けてくれた時間は、雑に扱えない」
「えらいよ、れーじくん。じゃあ、展示室A:一般寄贈コレクションから並べよ~♡」
ふわりが低い位置にラグを広げて、封筒を整然と並べる。
「学内ファン」「他校ファン」「遠方ファン(全国)」と、仕分け用の付箋まで出てきた。準備良すぎる。
「レージ君、解説パネルは鈴音が読み上げます」
鈴音が一枚目を掲げ、慎重に声に出す。
「《展示A-01:『あの試合、土峰君の3Pに救われました』》」
内容は個人が特定されないように、要約だけ。俺は胸の真ん中で、静かに頷いた。
「《A-12:『全国で一番好きな選手。背のこと、ぜんぶひっくり返してくれてありがとう』》」
杏奈が横目で俺を見て、いたずらっぽく微笑む。
「ね、れー君。やっぱり“天井に届かない大黒柱”は、誇りだよ♡」
ふわりは、封筒の向きや重なりを微妙に揃えながら、ため息みたいな声を漏らす。
「みんな、れーじくんに“届いてほしい”って書いてるねぇ。すごいね……あったかい」
俺は「ありがとう」とだけ言った。全員に。紙の向こうの、知らない顔にも。
「ここからは特別展。撮影・録音は禁止でーす♡」
杏奈が胸の前で両手を交差して“バツ”。
「展示室B:幼馴染み年代記(非売品)を開きます」
彼女は自分の鞄から、小さな便箋束を取り出した。水色のリボンで結ばれている。
「れー君に、渡すタイミングを逃したやつ。ずっと持ってた」
少し照れた横顔に、俺の鼓動が一拍、強く跳ねる。
ふわりも「じゃあ……」と、ピンクの封筒を数枚。紙に付いた小さな折れ目が、時間を物語る。
「わたし、手紙じゃ上手に言えないから、途中でやめちゃって……でも、残したかったの」
鈴音は、黄色いメモパッドを一冊、両手で差し出した。
「レージ君に“いつか言いたいこと”のメモ。言えたものも、まだ言えてないものも、あります」
「……これ、展示していいのか?」
「うん。王宮の“内覧だよ」
「ええ、四人だけの、ね」
「規模は小さいですが、内容は世界一です」
杏奈、ふわり、鈴音。三人の言葉が、同じ方向を指していた。
杏奈が最上段に置いた一枚のコピーを、俺に手渡す。
タイトルは「“焼き増し版” 第一号」と手書き。
「原本は胸のなかにあるから、これはレプリカ。――中学のころ、れー君が初めて“負けて泣かなかった日”に書いた手紙の焼き増しだよ」
そこには、こう綴られていた(要約)。
《れー君が負けても前を向いた顔が、いちばん格好よかった。勝ってるときより、好きだと思った》
読んだ瞬間、あの日の匂いが鼻の奥に戻ってくる。体育館の樹脂の床、ボールのゴム、薄い汗の匂い。
「……ありがとう」
声が掠れた俺に、杏奈は首を横に振った。
「“焼き増し”は、今、ここから。――今日のれー君に向けて、もう一度書く」
彼女は、さらさらと新しい便箋へペンを走らせる。
《れー君へ。王様の顔も、ふつうの顔も、泣きそうな顔も、笑いすぎてる顔も、まるっと全部。焼き増しで、増刷で、重版出来。ずっと、もっと、好き♡》
顔を上げて、悪戯っぽくウィンク。
「展示B-1:杏奈“青い増刷”、完成でーす♡」
ふわりは、頬に指を当てて少し考え込むと、ゆっくりとペンを取った。
「“焼き増し”ってね、わたしにとっては“包み直し”かなぁ……何度でも、やわらかく」
便箋には、短い言葉が縦に並んでいく。
《れーじくんが疲れた日=スープ》
《れーじくんが悔しい日=ぎゅー》
《れーじくんが迷う日=いっしょに歩く》
最後に、丸い文字で締めくくる。
《れーじくんの“ふつうの日”=となり♡》
読み終えると、胸の奥の固いものが解けていく感じがした。
「展示B-2:ふわり“桃色の包み直し”、常設でお願いします~♡」
「もちろん。常設にしてくれ」
ふわりは嬉しそうに目を細め、俺の袖をちょこんとつまんだ。
鈴音は姿勢を正し、深呼吸。
「鈴音の“焼き増し”は、更新です。――“いま”の言葉で、“同じ場所”をもう一度照らします」
メモパッドの新しいページに、はっきりとした字で書き始める。
《レージ君は、鈴音の誇りです。小さくても、真っ直ぐな誇りです》
《鈴音は、レージ君の隣に立つ練習を、今日も続けます》
《いつか、“隣が当たり前”になりますように》
書き終えると、鈴音は顔を真っ赤にして、だけど逃げずに俺を見る。
「展示B-3:鈴音“黄色の更新”……受理、お願いします」
「受理。――ありがとう」
自然に、手が伸びていた。鈴音の指先が、少し震えて、すぐ落ち着く。
「じゃあ次は、王様のターンだね♡」
杏奈がスマホをしまい、俺だけを見る。
「録音はしない。“音声ガイド・この場限り”。ね?」
俺はうなずき、三人の前に立った。
「――俺から、返礼の展示。C-1」
杏奈の前で、言葉を選ぶ。
「杏奈。俺が立ち止まりそうになっても、先に笑って引っ張ってくれる。青い旗みたいに、見失わない目印。……いつも助かってる。ありがとう」
「れー君、だいすき♡」
抱きつく勢いを、俺は受け止めた。
「C-2」ふわりへ。
「ふわり。俺が“普通”に戻れる場所を、いつも隣に作ってくれる。何でもない時間を、一番やさしいごちそうにしてくれる。……支えられてる。ありがとう」
「れーじくん、ぎゅー♡」
背中に、安心の重みが落ちた。
「C-3」鈴音へ。
「鈴音。丁寧で真面目で、でも踏み出すときは勇気がある。俺はその綺麗な“更新”に、何度も背中を押されてる。……誇らしい。ありがとう」
「レージ君……っ」
鈴音の目尻が少しだけ潤んで、すぐに笑いに変わった。
「ね、展示に“触ってOK”札も付けよ?」
杏奈が小さなプレートを描き始める。
《手をつなぐ:OK》《頭ぽん:OK》《ぎゅー:OK(合図して)》
「細かいな」
「王宮はルールが大事なの♡ 安全で甘いのがいいんだよ」
ふわりが“案内図”を描く。
《第一展示室:一般寄贈》《第二展示室:幼馴染み年代記》《第三展示室:返礼ブース》《ラウンジ:休憩(肩貸し)》
鈴音は入り口に“本日の開館時間”を掲示。
《開館:今夜》《閉館:眠くなったら》《入館料:王様の笑顔》
「経営的にすごく健全」
「黒字です!」
即答する鈴音に、思わず笑った。
ラグの真ん中に座ると、三人が自然に位置へ収まる。
右に杏奈。左に鈴音。背中にふわり。
呼吸がそろって、部屋の音が遠くなる。
「れー君、“焼き増し”の仕上げ、いくよ?」
杏奈が囁く。
「右ほっぺ――“だいすき”♡」
あたたかい感触が、頬に咲く。
「れーじくん、左ほっぺ――“よくがんばったね”♡」
ふわりの声といっしょに、やわらかいキスが降りる。
「レージ君、おでこ――“これからも、隣に”♡」
鈴音の慎ましいキスが、静かに灯りをともす。
どれも、前に受け取った言葉と同じ形なのに、ぜんぜん違う“今”で上書きされる。
――これが、きっと“焼き増し”の本当の意味だ。
俺は目を閉じ、三人の手を探した。指を絡める。離さない。
「ありがとう。開館してくれて」
「こちらこそ、入館してくれて♡」
「いつでも“常設展”です~」
「次回特別展、準備万端です」
笑い合って、しばらくのあいだ、ただ呼吸だけを共有した。
扉の外の世界は遠い。ここは、俺たち四人だけの、静かな王宮。
「本日の『王宮ミュージアム』、これにて閉館~♡」
杏奈が手を振ると、ふわりと鈴音も丁寧にお辞儀をする。
「なお、次回予告です。“復刻版・初デートチケット”、“限定版・三人同時音声ガイド”、“学園祭出張展(関係者以外立入禁止)”、いずれかを企画中!」
「強いラインナップだな……」
「れーじくん、どれがいい?」
「レージ君、第一希望をどうぞ」
「……欲張りセットで」
三人の笑顔が、同時に花開く。
「やっぱり、れー君は王様♡」
「ふふ~、大盤振る舞い~」
「では、目録に“全部”と記載します」
最後に、額を寄せ合って、小さな“閉館のキス”。
甘い、でも静かな、四人の合図。
展示室の灯りが一つずつ落ちて、ラウンジのソファに、温度だけが残る。
――今夜の記憶は、紙よりも強い。
焼き増しは、きっと何度でもできる。
四人で、何度でも。




