幕間
チャイムが鳴った瞬間、教室の空気がふっと緩んだ――はずなのに、俺の机の周りだけは気温が二度くらい上がっている気がした。いや比喩じゃなく。視線という名のスポットライトが、四方八方から刺さる。
机に突っ伏して“今日こそは静かな休み時間”を夢見ていたのに、現実はいつも通りだ。
「土峰くーん♡ このノート、見せてもらってもいい?」
隣クラスの女子が、わざわざ教室を横断して俺の席へ。表紙を撫でながら、目はこっち。いや、ノート見て。
「ねぇねぇ、今度バスケ教えてくれない?♡ レイアップのコツとか~」
「放課後ひまなら、一緒にご飯行かない? お礼ってことで♡」
……やばい。囲まれている。半径一メートルが、にわかフードコート状態。どの子もわざとらしく髪を耳にかけたり、シャツの袖を上げてみたり、距離の詰め方がプロ。
机の脚がきしむ音と、甘い香りが渋滞して、頭が少しクラクラする。
「れー君っ!」
「れーじくんっ!」
「レージ君っ!」
――ドンッ。
空気ごと押しのける圧で、三つの影が割り込んできた。いつもの三人、俺の幼馴染みたち。杏奈、ふわり、鈴音。登場SEが聞こえた気がしたのは気のせいじゃない。たぶん“正室BGM”。
「ちょっと! れー君は私達と一緒にお昼食べるんだからね!」
杏奈が、ツカツカ前進。黒髪のハーフテールがぴん、と跳ねて、指先が女子たちの鼻先をぴしっと指す。
「他のお誘いはぜーんぶ、王室経由で審査しますっ♡」
王室て。どこの宮内庁だ。
「そーだよ~。れーじくんを困らせちゃだめ~♡」
ふわりはにこにこ笑いながら俺の肩に手を乗せる。195センチの壁が一枚、すっと立っただけで、前に出ていた女子たちが半歩ずつ下がった。やさしい笑顔なのに、存在感の圧がすごい。
「レージ君は鈴音達のお妃様なんです! だから勝手に話しかけちゃだめです!」
鈴音は顔を真っ赤にしながら、教室の真ん中で高らかに宣言。敬語で檄を飛ばす姿、ちょっと演説ぽい。
――いや、“お妃様”は俺じゃないだろ。王様だろ。いや、言い間違えたのか? 可愛いから訂正する気力が消える。
教室は一瞬、黙った。
そこから一拍置いて――洪水。
「きゃーーー♡♡♡」
「やっぱりそうなんだ! 正妻争いじゃん!」
「零士君、推しが三人でつらい(尊い)!」
女子の黄色い声援が爆ぜ、男子の怨嗟のコーラスが追いかける。
「ふざけんなよ土峰ーーー!」
「どんだけモテれば気が済むんだよ!」
「代われ! 俺と代われぇぇぇ!」
机、叩くな。揺れる。俺の消しゴムが旅に出た。
杏奈が、俺の右腕をがしっと掴んで引き寄せる。
「れー君は私のなんだから♡ ほら、ちゃんとお弁当も私と!」
右側から甘い香り。俺の脳内に“青(水色)”のフラッグが立つ。杏奈のイメージカラー、青系。今日のシュシュも水色だ。
次の瞬間、左腕に柔らかい重み。
「だめだめ~♡ れーじくんはわたしの隣で食べるの~♡」
ふわりが肘から絡みついてくる。ピンク寄りの小物がひらり。俺の脳内には“ピンク”の旗。視界の端で机がミシ、と鳴く。ごめん、机。
「レージ君は……鈴音と一緒です! 今日こそ譲りません!」
正面には、鈴音がちょこんと座り込み、両手を左右に広げて人間ガードレール。黄色いヘアゴムがきゅっと結ばれて、目がうるっとしてる。
俺の脳内信号機がカチカチ鳴り出す。青・赤・黄。安全運転したいが、前後左右から詰められている。
三方向のテンションに引っ張られて、椅子がガタガタ移動する。
「ちょ、ちょっと待って! 落ち着けって! 俺は分身できねぇから!」
言いながら、右手に杏奈、左手にふわり、視線の真正面に鈴音。脳が忙しい。たぶん今、俺の瞳孔は忙しない信号灯になっている。
「じゃあれー君、誰と食べるの!?」
「わたしだよねぇ~♡」
「いいえ! 今日こそは鈴音です!」
杏奈が射抜くような視線。ふわりがのほほんと笑うのに、声の圧がつよい。鈴音は拳をぎゅっと握って、珍しく前のめり。
――逃げ場なし。体感、体育館のフリースローより緊張する二者択一×三。
と、その時。
「おやおや~。今日も土峰はモテてるなぁ」
空気を読まない声が、教室の入り口から滑ってきた。保杉小丸、通称“モテスギ君”。自分で前髪をかきあげて、ウィンクする器用さ。
「でもさ、女の子ってやっぱり俺みたいなクール系が――」
教室が二つの潮流に割れていく。
「キャー♡ 保杉くんイケメン~」と数名。
だが大勢は、肩をすくめてヒソヒソ。
「でも保杉君って自慢話ばっかだよね」
「わかる、スカしてる感……」
「その点、土峰君はさ~」
「謙虚だし、優しいし、全国準優勝のエースだし♡」
“その点、土峰君は”のフレーズ、今日何回聞いた?
「な、なんだよお前ら! 俺だってファンクラブが……」
「土峰君のファンクラブは全国規模だよ?」
「決勝戦はチア軍団100人だって!」
「モテすぎ君より、土峰君のほうが本当にモテすぎだよね」
だれだ今の綺麗なオチ言ったの。国語の教科書に載せたい。
保杉は肩を落とし、俺を見る。
――やめろ、その“敗北者の視線”。こっちを見るな。俺を巻き込むな。
と心で祈ったが、届かない。
「土峰、勝負せよっ! どっちが昼に“あーん”してもらえるか――」
「失礼しましたー! 本日の公開処刑はここまででーす!」
杏奈がパン、と手を叩いて打ち切る。司会力が高い。
「れー君はわたし達の王様なので、挑戦は受け付けてませんっ♡」
ふわりがふよふよと一歩前へ。
「そうだよ~。れーじくんは“王宮専属”なんだから~♡」
“王宮専属”って新語が誕生した。辞書登録しとくか?
鈴音は小さく咳払いしてから、きりっと顎を上げた。
「ですから、保杉君。レージ君への接近は、事前許可制です!」
役所か。いや、役所より厳しい。印鑑、角印、三文判、なにが要るんだ。
周囲は完全にお祭りモード。
「土峰に“王宮専属”の肩書き付いた!」
「強すぎる称号で草」
「トトカルチョ倍率、動くぞ!」
「“全員とくっ付くハーレム”に賭けててよかった~」
……知らんところで俺の人生にオッズが付くのやめてくれ。
と、その時。俺の机上に、影がすっと落ちた。
杏奈が俺の前に弁当箱を置く。パカっと開いた蓋の中で、ミニトマトと卵焼きとハート型にんじんが“任務了解”みたいに並んでいる。
「れー君、ほら♡ “王室公式”のお弁当だよ~」
「まった! れーじくん、今日はわたしが作ったの~♡」
ふわりの二段弁当が、どん。重量が違う。唐揚げが黄金に光ってる。プリンが鎮座してる。王宮デザート部門、最優秀賞。
「れ、レージ君! 鈴音のだって、ちゃんと入魂してます!」
鈴音の小ぶりな弁当が、そっと重ねて並ぶ。丁寧に詰められた白米に、律儀に整列したウインナーと唐揚げ。
机の上、まさかの三家臣同時献上。俺、摂政か何かか?
そして――三方向から箸先が同時に迫る。
「れー君、はいっ♡ あーん♪」
「れーじくん、唐揚げ、あーん♡」
「レージ君、ウインナー、はいっ♡」
同時多発あーん。音速。俺の口はひとつ。
「んぐっっっ!?」
気管に唐揚げが入りかけ、プロのリバウンドを発揮して持ち堪える。涙目で咀嚼。
「……う、うまい! 全部、最高……!」
心からの叫びに、周囲から拍手が起きる。誰だ今、ハンドクラップの合図を取ったのは。
「れー君、デザートもあるよ♡ イチゴ、はい♪」
杏奈がつまようじで差したイチゴを差し出す。
「れーじくんにはプリンねぇ~♡ とろとろだよ~」
ふわりが銀スプーンでぷるんぷるんを運んでくる。
「レ、レージ君! おかわりの唐揚げ……こっちは特製です!」
鈴音が自信満々に胸を張る。いや胸を張ると机に当たって弁当が滑るから待って。
俺の胃袋は祝祭状態。脳も祝祭。
そして外野は、さらに騒がしい。
「土峰に“あーん”が三方向!」
「ライブ配信したい……!」
「やめろ校則違反だ!」
「先生呼んでこい!」
「いや、先生はすでに見てる。ほら廊下の角」
視線の先で、担任がそっと顔を引っ込めた。先生、見なかったことにしてください。
そこへ不屈の男、保杉小丸が再挑戦の挙手。
「じゃあ俺も“あーん”を――」
「却下でーす!」
三人の声が重なって、即決。多数決どころか満場一致。議長杏奈、可決の木槌を振る真似までした。器用だな。
ふと、杏奈が俺の耳元へ身を寄せる。
「れー君、今日……お昼終わったら、帰りも一緒ね♡」
甘い囁きに、心拍が上がる。
左からふわりが、頬をすり寄せる。
「れーじくん、夕飯はわたしが作るね~♡ 買い出し行こ?」
正面の鈴音は、目を輝かせて手帳を開く。
「レージ君、帰り道のコースは“王室安全ルートA”で行きます! 人通りの少ない道です!」
安全保障まで完備する王宮。SPは鈴音。たぶん最強。
俺は机の上の弁当たちを眺めて、深く息を吐いた。
「……頼むから、俺を話題の中心から外してくれぇぇ……」
切実な願いは、やっぱり届かない。三人はにこっと笑って、背中をぽん、と叩く。
「れー君は王様なんだから♡」杏奈。
「だからずっと真ん中にいてねぇ~♡」ふわり。
「……レージ君は鈴音達だけの王様です♡」鈴音。
周囲から、また歓声とブーイングが半々で湧き上がる。俺の一日は、今日も平和で、うるさくて、甘い。
――そして、放課後にはまた“王室会議”がある。たぶん議題は、王様への“愛の証明”だ。俺の寿命、ほんの少し縮む予感しかしないけど……悪くない。




