年末イベント その3 鈴音宅の大掃除
年末の澄んだ空気がまだ少し冷たい昼下がり。
今日は鈴音の家の大掃除を手伝いに来ている。三軒目。ここまで来ればもう慣れたもんだ……と言いたいけど、鈴音の家は整理整頓が行き届きすぎていて、逆に「どこを掃除したらいいのか分からない」という問題があった。
「レージ君。こちらの本棚の上を拭いていただけますか。手が届きませんので」
鈴音が脚立を抱えて俺のところに来る。
「お、おう。任せろ」
手渡された雑巾で棚の上を拭く。少し埃が出ただけで、見た目はもう新品同様だ。
「……やっぱり普段からキレイにしてるんだな」
「はい。ですが、こうして皆さんで一緒に掃除すると、気持ちの整理にもなります」
鈴音の真面目な笑顔に、思わずこちらも口元が緩む。
そこに、台所から紫音さんの声が響いた。
「皆さん、本当にありがとうございます。水回りは私が担当いたしますので、どうぞ他の場所をお願いいたしますね」
現れた紫音さんは、鈴音と同じ落ち着いた物腰。笑みを浮かべているけど、言葉はやはり丁寧だ。
「昨日は杏奈さんのお宅と、ふわりさんのお宅も手伝ってくださったのですよね。立て続けで大変ではありませんか?」
「い、いえ! 大丈夫です!」
俺が反射的に答えると、紫音さんは軽く会釈をした。
「そうですか。ですが、どうぞ無理はなさらないでください。……娘も含め、皆さんが揃って新年を迎えられることが一番ですから」
――なんというか、言葉の端々に“鈴音っぽさ”がある。やっぱり親子なんだな、としみじみ思う。
「レージ君。こちらの窓ガラスも、お願いできますか」
鈴音がバケツとワイパーを抱えて立っていた。
「了解。……でも鈴音、ここまで本気でやらなくても……」
「いえ。レージ君と一緒だからこそ、手を抜きたくないのです」
真っ直ぐな瞳で言われると、ただ頷くしかなかった。
ふわりと杏奈は、カーペットをめくって掃除機をかけながらわいわい盛り上がっている。
「ねぇれー君、うちよりも鈴音んちの方が整ってる気がするんだけど」
「ほんとだよねー。うちなんてカオスだったのに」
そんなふたりの軽口に、鈴音は少しだけ頬を赤くした。
「か、管理を徹底しているだけです。……でも、皆さんに来ていただいて、本当に助かっています」
紫音さんも横から、柔らかく微笑んで言葉を添える。
「ええ。娘ひとりでは行き届かない部分もありますので……こうして力を貸していただけるのは、とてもありがたいことです」
俺は雑巾を握り直し、窓越しに映る自分の顔を見ながら思った。
――こうやって、みんなで掃除して、新しい年を迎える準備をするのって……なんだか家族そのものみたいだな。
夕方、窓も床も磨き終えて、部屋は清涼な空気で満ちていた。
リビングのテーブルには、紫音さんが用意してくれたティーセットが並んでいる。温かいカモミールティーと、小さな焼き菓子。
掃除で動いた分、甘い香りが体にじんわり染みてくる。
「皆さん、本当にお疲れさまでした」
紫音さんが静かに頭を下げた。
「普段から整えてはおりますが、やはり手の届かない部分もありますので……こうしてお力をいただけるのは、とても心強く思います」
「いやいや! こちらこそ、なんか達成感すごいっす」
俺が笑うと、杏奈もふわりも椅子に沈み込んで「わかる~」と頷いた。
「特に窓、外から見てもきっとピカピカだね!」
「ほんと~。51階から見た景色もすごかったけど、鈴音んちの窓から見た夕方の景色も最高だよぉ~」
鈴音はカップを両手で包みながら、小さく微笑んだ。
「ありがとうございます。……皆さんと一緒に掃除すると、作業なのに、楽しい時間になりますね」
その言葉に、紫音さんも穏やかに頷いた。
「ええ。娘も、きっとそう思っているはずです。……こうして仲間と一緒に過ごせる時間は、何よりの財産ですから」
紅茶の湯気に、少し照れくさい静けさが流れた。
俺はなんとなく、テーブルの上に並ぶ三人のカップを見て――“今年もこうして年末を迎えられたんだな”と胸の奥でしみじみ思った。
「よし! じゃあ来年もこうして、全員で大掃除しよっか!」
杏奈が勢いよく宣言する。
「さんせ~い。来年はわたし、もっとお菓子作って持ってくる~」
「私も、効率の良い手順をさらに研究しておきます」
三人がそれぞれ笑顔で言葉を重ねる。
紫音さんは娘を見つめて、静かに言った。
「……良いお友達に恵まれましたね、鈴音」
「はい。……自慢の友達です」
鈴音の頬がほんのり赤くなった瞬間、俺も含め全員の胸が温かくなった。
◇◇◇
こたつの上には湯気を立てる年越しそば。テレビからは紅白の歌声が流れていて、窓の外には冬の夜気が透き通るように澄んでいた。
俺の部屋に三人が揃うのは、もはや当たり前みたいになっているけど――大晦日の空気を纏うと、それだけで特別感が増す。
「れー君、はい、あーん♡」
杏奈が箸でつまんだ麺を差し出す。素直に口にすると、わざとらしく得意げな笑顔を浮かべた。
「ふふっ、これで年越しも私の勝ちだね」
「れーじくん、こっちはお揚げが乗ってるよぉ~。甘~い味付けだから、食べて元気出して~♡」
ふわりが差し出すのはきつねそば。あの柔らかい声と一緒だと、不思議と胃の奥まで温まる。
「レージ君、こちらは“栄養バランス最適”。ほうれん草を必ず摂取してください」
鈴音は真顔で差し出してくる。けれど箸先がほんのり震えていて、その仕草に愛おしさが混じる。
三人三様に押し寄せる“年越しそばの波状攻撃”。俺は笑うしかなかった。
そして、気づけば時計は十一時五十五分を回っていた。
テレビから「いよいよカウントダウンです!」という声が響く。
三人が自然に俺の両手と背中にぴったりくっついてきた。
「れー君、手ぇ、つないで」
「れーじくん、ぎゅーもしよぉ~」
「レージ君……私も。離れないように」
俺は頷いて、三人の温もりを握りしめた。
「10……9……」
カウントダウンが始まる。心臓がどんどん速くなる。
「3……2……1……!」
――零時。
「「「あけましておめでとう♡」」」
声と同時に、三人がほとんど同時に俺の頬へ、唇へ、軽く触れるようにキスを落とす。
胸の真ん中が一瞬でいっぱいになった。
笑い合った後、少しだけ静かな時間が落ちる。
その沈黙を破るように、三人が順に口を開いた。
杏奈が、真っ直ぐな瞳で言う。
「れー君。私、今年もずっと一緒にいたい。大学に行っても、もっと先に進んでも……私の一番は、ずっとれー君だから」
ふわりが、包み込むように笑って言う。
「れーじくん。わたしね、来年も、その先も、ずっと安心させてあげたいの。お膝も、手も、全部。わたしは“安心係”だよぉ~♡」
鈴音が、少し震えながら、それでもきっぱり言う。
「レージ君。私……あなたの未来を一緒に作りたいです。勉強も、生活も、全部。支えるから……支えさせてください」
三人の言葉が、どれも胸の奥深くに突き刺さる。俺はただ、頷いて返すしかなかった。
テレビでは除夜の鐘が鳴り始めていた。
新しい年が始まった。
――次はお正月。そして俺達の“次のゲーム”が待っている。




