年末イベント その2 ふわり宅の大掃除
エレベーターを降りて一歩足を踏み入れただけで、いつものことながら空気が違う。
大理石の床にふかふかのカーペット、そして視界いっぱいに広がるガラス張りの窓。その向こうには街全体を見下ろす景色――昼間なのに、まるで模型を覗き込んでいるような非日常感だ。
「れーじくん、いらっしゃ~い♡」
ふわりが両手を広げて笑顔で出迎えてくれる。その仕草は昔から変わらないのに、この空間でされると妙に“お嬢様のお出迎え”っぽさが出る。
「……いや、何度来ても思うけどさ。ふわりんちってやっぱすごすぎない?」
「えへへ~♡ でもね、高いとこって掃除がほんと大変なんだよ~」
確かに。天井まで届くガラス窓は、見上げると空がそのまま切り取られたみたいに青い。けど、その分拭き掃除なんかは普通の家の何倍も骨が折れるに決まってる。
ここに来るのはもう何度目だろう。皆でゲームしたり、テスト勉強したり、泊まり会をしたり。だいぶ慣れたはずなのに、部屋に入るたびに「広っ!」と心の中で叫んでしまう。
リビングに足を踏み入れれば、いつもの革張りソファと特注サイズのローテーブルが待っていて、そこに俺たちの“日常”があっさり持ち込まれる。
結局、豪華すぎる空間も三人がわちゃわちゃしてるだけで一瞬で“俺たちの遊び場”に変わるんだ。
リビングの景色に慣れたつもりでいても、ソファに腰を下ろした瞬間、やっぱり「高級感すげぇ」と心の中でつぶやいてしまう。
でも今日は、ゲームやおしゃべりが目的じゃない。年末恒例――大掃除のお手伝いである。
「じゃーん♡ ママから“ちゃんと掃除すること”ってお達しが来てるんだぁ~。れーじくんも一緒にね~」
ふわりはモップを掲げてにこにこ。195センチの背で持たれると、なんか武器にしか見えない。
「いや、範囲広すぎない? ここ、普通の家の三倍くらいあるよな」
「えへへ~♡ だから、れーじくんが必要なの~」
広すぎる窓、果てしなく伸びるカーペット、天井のシャンデリア。確かに一人でやるにはキャパ超えだ。
だけど三人娘で分担しつつ、俺も手を貸せばなんとかなる……はず。
杏奈はエプロンを腰に巻きながら、やる気満々で言った。
「よーし、私が水回りやる! キッチンは任せて!」
「じゃあ、私は書斎や収納ですね」鈴音はすでに作業分担表を作っている。さすが。
俺の担当は……「窓拭き」だった。
「れーじくん、背が高いから、上の方まで拭けるでしょ~♡」
「おい、俺はバスケ部出身であって高所作業員じゃないんだけど」
そうぼやきながら脚立に登る。高級タワマンの窓ガラスなんて、拭くだけで観光名所を磨いてる気分だ。
ふわりは下から見上げてにっこり。
「れーじくん、かっこいいよぉ~♡」
言われると変に照れて、力が入る。ガラスがキュッと音を立て、磨いた先から街のイルミネーションが鮮明に見えていく。
「うわっ、やば。これ、掃除してるだけで楽しいな」
自分でも驚くくらい、テンションが上がっていた。
脚立に登って窓を拭いていると、下から杏奈の声が飛んできた。
「れー君、そこ、拭きムラ残ってるよー!」
「細かっ! 俺、職人じゃないんだぞ」
「でもぴかぴかにしたら、ふわりん家からの夜景がもっと映えるでしょ?」
そう言われて見ると、確かに……。窓の端まで磨くと、街のビル群と冬空の境界が一枚の絵みたいに広がった。
「わぁ~♡ れーじくん、見て見てぇ! すっごくきれいになった~!」
ふわりがぱちぱちと拍手する。その顔につられて、つい笑ってしまった。
――と、その瞬間。
バシャッ。
「ひゃああっ⁉」
ふわりが持っていたバケツをひっくり返し、水が床に広がる。しかもその上にモップまで倒れて、見事に滑り台が完成していた。
「やばっ、杏奈、後ろ!」
「えっ――きゃああああっ⁉」
案の定、杏奈がその場でツルッと滑って俺の脚立に突っ込んできた。
「うわっ、落ちる!」
慌てて脚立にしがみついた俺に、杏奈が抱きつく形でドスン。
「ちょ、近い!」
「ちょっと! 私悪くないからね⁉」
抱きつかれたまま怒鳴られても困る。
「……お二人とも」
冷静な声がして振り向くと、鈴音がハンドタオル片手に仁王立ち。
「これは“清掃活動”です。コントではありません」
「わ、分かってるって!」
「すみません~。水、こぼしちゃった~♡」
結局、床拭きは全員でやる羽目になった。膝を突いて雑巾を絞り、ずるずる床を磨く。高級タワマンの床に三人娘と俺が並んで雑巾がけしているのは、なんかシュールだった。
「でも、こうやって一緒にやるのも楽しいね~♡」
ふわりがのんきに笑って、杏奈は苦笑しながら頷く。
「まあ……確かに“イベント感”あるな」
「はい。雑巾がけ競争と考えれば、立派なトレーニングです」
鈴音が真面目に言うもんだから、結局俺たちは横並びで「よーいドン!」と雑巾レースを始めてしまった。
気がつけば、笑い声と水音でリビングがいっぱいになっていた。
床の水拭きが一段落したところで、ふわりがぽんと手を打った。
「ねぇ~、せっかくだし、ベランダ出てひと休みしよ~♡」
高級タワマンの51階。ベランダのガラス戸を開けると、冬の風がすっと入ってきて、汗ばんだ額にひやりと触れた。
夜の街が眼下に広がる。ビル群のネオン、川沿いのライトアップ、遠くに光る観覧車。全部が宝石箱みたいで、掃除でくたびれた体にご褒美をくれる。
「わぁ~♡ 何回見ても、きれい~」
ふわりが手すりに寄りかかって、ぽわんと笑う。
「ほんとだな。……この高さからだと、俺たちの疲れなんてちっぽけに見えるな」
「れー君、詩人みたいなこと言っちゃって~♡」
杏奈が笑って肩を突いてくる。
「……でも、確かに。視界が広がると、心も軽くなります」
鈴音は真剣な顔で景色をメモするみたいに見ている。
――と、そこで。
「おつかれさま~♪ 掃除、進んでる?」
背後から声。リビングに戻ると、甘い香りをまとったふわりママ・甘蔵あまみさんが立っていた。
「ママっ! びっくりした~!」
「ふふっ、みんなで頑張ってるな~と思って差し入れね♡」
テーブルに置かれたのは、大きなタッパーに入ったサンドイッチとフルーツ盛り合わせ、それにマグに入ったホットミルク。
「はいはい、糖分補給しなきゃ倒れちゃうわよ~。それに、青春の大掃除はエネルギーが命♡」
「わー♡ ありがとママ!」
「ありがとうございます!」
「助かります!」
俺は思わず頭を下げた。なんだかんだで、ふわりママが登場すると一気に場が柔らかくなる。
「ふふ、れー君はえらいわねぇ~。ちゃんとお礼が言える王様、ポイント高い♪」
「ちょっ、ママぁ~!」
ふわりが真っ赤になって抗議している横で、杏奈と鈴音がクスクス笑っていた。
甘い補給を終えると、また掃除再開。けれど――ベランダ夜景とママの差し入れで、疲労感はすっかり吹き飛んでいた。
差し入れで力を取り戻した俺たちは、最後の大物――窓と換気扇に取りかかった。
大きなリビングの窓ガラスは、外の光を映す分だけ汚れも目立つ。脚立に登った俺の背後から杏奈が「ほらほら、拭き残しないか監視する係♡」と茶々を入れてくる。
「……監視っていうか冷やかしだろ」
「えー? れー君が真面目にやってると、ついちょっかい出したくなるんだもん♡」
換気扇の油汚れに挑むのは鈴音。手際よく分解して、スポンジで丁寧にこすっている。
「……鈴音、ほんと器用だな」
「当然です。部屋の空気は清浄であるべきですから」
真剣に答える顔が、どう見てもプロの清掃員みたいで笑ってしまう。
ふわりは床の最後の仕上げ。大きなモップを左右にスイスイ動かす姿は、まるでバスケのディフェンス練習のようだ。
「れーじくん~、これで“王宮ピカピカ大作戦”成功だよ~♡」
「作戦名ダサいのに、達成感は本物だな」
3人で目を合わせて、同時にハイタッチ。
「「「やった~~♡」」」
◇◇◇
片づけた道具をしまって、再びベランダに出た。
さっきより街の光が鮮やかに見えるのは、ガラス越しじゃなく直接見ているからか、それとも……一緒にやり遂げた達成感のおかげか。
「ふふ~♡ れーじくん、掃除してる時より、いまの顔のほうが好きかも~」
「れー君、はい。これ“今日のご褒美”」杏奈が差し出すのは缶ココア。
「……お疲れさまです」鈴音は小さなカップケーキを取り出してくる。どこで隠してたんだろう。
街の夜景と小さな甘さ。並んで息をつくと、冷たい風よりも隣のぬくもりのほうが強く感じられる。
「……大掃除って、悪くないな」
ぽろっとこぼれた俺の言葉に、3人が同時に「でしょ♡」と笑う。
その笑顔が、街のイルミネーションよりもよっぽど眩しくて――胸の奥に刻み込まれる。
大掃除を終えたリビングは、さっきまでの汗と笑いが嘘みたいに落ち着いた空気になっていた。
テーブルの上には、ふわりママが用意してくれていた焼き菓子とポットから注がれた温かいハーブティー。
「わ~、ママの紅茶だぁ。これね、飲むと“ほっこりゲージ”が一気に満タンになるんだよ~♡」
ふわりがカップを両手で包み込むみたいに持ち上げて、ゆるゆると笑う。
湯気が上がるカップを手にした杏奈は、掃除中とは別人みたいにリラックスしている。
「はぁ~、がんばった後の甘いのって最高だね♡ れー君も飲んで飲んで。……あ、ちょっと待って、ふぅ~♡」
わざわざ俺のカップに息を吹きかけて冷ましてから渡してくる。
「……いや、今ので逆に熱くなった気がするんだけど」
「ふふふ♡ そういう効果も狙ってるから」
鈴音はというと、手帳を取り出して今日の掃除の進行表に「達成率100%」と記録を入れている。
「……これで“王宮大掃除作戦・第2章”に進めます」
「第2章?」
「はい。杏奈宅と鈴音宅が残ってますから」
「まじめすぎ~♡」杏奈が笑って鈴音の肩を軽く小突く。
俺はハーブティーをひと口含んで、思わずため息が漏れた。
「……やっぱ落ち着くな」
「でしょ? 掃除したあとって、空気まできれいになった気がするよねぇ」ふわりが首をかしげて笑う。
大きな窓からは夜景。テーブルの上は湯気とお菓子。
その間に座ってる三人が、くつろいで、笑って、俺のほうを自然に見ている。
――たぶんこういう瞬間の積み重ねが、俺にとっていちばんの“宝物”なんだと思う。




