おやすみなさい
ころり、城の中にある自室のベッドでユリが転がる。
新品のそのベッドはふかふかで柔らかく、暇潰しの手段がなくとも満足できるほどだった。
「あー、ひまひま、ひーまだー。……ふかふかー。んふふふっ……」
柔らかい毛布に埋まり、ユリがそっと息を吐いた。
クローフィ・ルリジオンという名の世界での仕事が終わり、ユリは一足先にヴェルディーゼによって城に帰らされていた。
城の廊下にぽつんと放置されたユリはどうするか悩み、自室でくつろぐことにしたのだった。
ヴェルディーゼには、書類にさえ触れなければ何をしてもいいと言われたので。
誘拐のトラウマが残っていて、自室にいるのが怖いならと勝手にヴェルディーゼの部屋に入ってもいいとも言われたが、試しに自室に入ってみたところ平気だったのでユリは自室でくつろぐことに決めたのだった。
「暇だなー……主様まだですかねぇ。やることなぁい……あ、魔法の開発。……やることないですし、久々にやりますかー。はーぁ、主様、早く帰ってこないかなぁ」
そう言いながら、ユリが出した魔法陣を弄る。
うっかり暴発させてしまうと危険ではあるのだが、万が一の場合は深淵を出して取り込んでしまえばそこ一体が被害に遭うというデメリットに目を瞑れば何の問題もないのである。
部屋が一つ消滅したくらいなら、ヴェルディーゼは普通に再生させられるので。
「はー……クーレちゃん……うぐぐ、真剣にやらないといけないのに集中力が……」
「……ふぅ」
「あ!? ……主様!」
ユリが背後から聞こえた吐息にバッと振り向き、その姿を視界に捉えてぱぁっと笑みを浮かべた。
そのままベッドから飛び降りると、キラキラとした満面の笑みを浮かべたままヴェルディーゼをベッドへと誘導する。
何やら疲れた顔をしていたので、休ませようとしているのだ。
「おかえりなさいませ、主様。……恋人の膝枕はいかがですか!?」
「……ただいま……はぁ」
「……あれー……?」
反応の薄いヴェルディーゼにユリが首を傾げ、距離を詰めてその顔を下から覗き込んだ。
顔色そのものは問題無いが、至近距離で見ると表情が深刻である。
ユリには隠そうとしているのか普段とは僅かな違いしかないが、そもそも様子がおかしい。
「……んん。主様が帰ってきたら真面目な話をしようと思ってたのに……それどころじゃなさそう」
「……ん? あー、いいよ……? 別に頭回ってないわけじゃないし……元気元気」
「はいはいそうですね、さっさと寝ますよ。ほら寝間着を早く着てください!」
「なんで……」
「……私が一緒に寝たいんですっ。もうそういうことでいいから、早く寝る準備!」
ユリがそう言うと、ヴェルディーゼがふらふらと部屋から出ていった。
その間にユリもネグリジェに着替え、ヴェルディーゼを待つ。
少しすると、変わらずふらふらとした足取りのままヴェルディーゼが入ってきた。
その手をユリががしっと掴み、半ば押し込むような形でヴェルディーゼをベッドに寝転がせる。
すると、ヴェルディーゼがユリの手を掴んで引き寄せてきた。
ユリは膝枕をするつもりだったのだが、仕方なく添い寝に切り替えることにして大人しくヴェルディーゼの隣に寝転がった。
「……」
「……え、なんですかこの気まずい沈黙。楽しいことでも話します? えっと……ベッドでごろごろする前に、残ってた材料でクッキー作りました。美味しくできたので起きたら食べましょう」
「……うん」
「あ、返事した」
「……ごめんね、ユリ。精神的な疲労だから、時間を置けば大丈夫」
「あ、そうですか? それなら良かったです、私を先に帰らせて危険なことをしたせいでー、とか色々考えてたんですけど……寝れば大丈夫そうですね。なら寝ましょう。おやすみなさーい」
「……え、いやユリは……僕も自分の部屋で寝るから……」
微妙に元気を取り戻しつつあるのか、ヴェルディーゼが困ったように微笑んで言う。
しかし、ユリはそれを断固拒否し、有無を言わせぬ顔でヴェルディーゼをベッドの上に留め続けた。
基本的にはヴェルディーゼはユリに甘いので、きゅるんっと上目遣いで甘えるように見れば何も言えなくなるのである。
「……いや、でも……ユリに迷惑は掛けたくないから、ね……?」
「主様は、寂しがってる可愛い可愛い恋人を一人にするんですかぁ? やーん、寂しい寂しい、寂しいなぁ〜。主様が傍にいてくれればそれでいいのになー」
「……」
わざとらしくユリが言うので、ヴェルディーゼが頬を引き攣らせた。
これがただの演技であればヴェルディーゼも塩対応をして部屋に戻れたのだが、態度は演技でも言っていることは本心なのでどうにもできない。
というわけでヴェルディーゼはようやく諦め、ユリの隣で目を閉じた。
するとユリはそっとヴェルディーゼの髪に手を伸ばし、寝かしつけるように優しく撫でる。
優しく、ゆっくりと、慈愛に満ちた表情で、撫でる。
「……恥ずかしいんだけど、ね……」
「でも、安らげる。そうでしょう?」
ヴェルディーゼが目を閉じたまま言えば、ユリが少し首を傾げて言った。
それにヴェルディーゼが口を閉ざすと、無言でユリを抱き締める。
「……」
「んふふっ。大丈夫ですよ、傍にいますからね〜」
からかい混じりの穏やかな声を聞きながら、ヴェルディーゼが深い眠りへと落ちていった。
そして、世界から音が消える寸前、ヴェルディーゼの耳に音が入り込む。
「おやすみなさい、主様」




