クロイレの話と名前
ずるり、ずるり、血の跡を残しながら、人影が這う。
無様にも這いつくばって、どうにか移動しながら、それは復讐を誓った。
自らをこんな状況に追い込んだ、忌まわしい黒髪の男。
必ず、あれに復讐を遂げてみせる、と。
ずるり、ずるり、それは移動を続ける。
どうにか目的地に辿り着いて、そして……。
◇
ヴェルディーゼによって眠らされたユリが目覚めたのは、翌日の早朝のことだった。
しかし眠らされた自覚のないユリは首を傾げ、眠ったばかりなのにと不思議に思うばかりである。
「……あれぇ……あんなに寝たんだから、眠いはずないのに……なんで寝ちゃったんだろ」
「ユリ」
「……ぁ。おはようございます、主様……。……なんか、ちょっと晴れやかな顔してませぇん……?」
「そう? ユリの寝顔と寝言が可愛かったからかもね。あと今の寝惚けてる顔」
「えへへ……あ、そーだ、クーレちゃん……クーレちゃん、来てないんですか……? お話するって言ったのに……」
むぅ、とユリが唇を尖らせて呟いた。
ユリはほとんど眠っていたが、既に半日くらいは経過しているはずである。
そのはずなのに音沙汰無しらしいクロイレに、ユリは不満を露わにした。
そのままどうせなら迎えに行ってしまおうかと考え、それをヴェルディーゼが遮る。
「話ができるほどの時間は取れなかったみたいだけど、顔だけ見に来てたよ」
「え……そうなんですか? 起こしてくれたら良かったのに……」
「幸せそうに寝てたからね。起こすのは気が引けるよ」
「そんなことどうでもいいから、一言でもクーレちゃんと話したかったです……」
「まぁまぁ。これからは時間取れるだろうし、大丈夫大丈夫」
「……これからは? 何かあったんですか?」
ユリがヴェルディーゼの言葉を聞き、警戒心を露わにしながら尋ねた。
鋭いユリに一瞬だけヴェルディーゼが口を閉ざし、しかしすぐに笑ってその頭を撫でる。
魔法も使っていないのでそれだけでユリが誤魔化されることはないが、じわじわと頬が赤くなり始めているので思考が鈍るくらいの効果はあるだろう。
「何も。ただ、そろそろ落ち着く頃だろうなって」
「……それなら、いいんですけど……んん」
「よしよし。……っと、クーレの気配だ。仕事が一段落したのかもね」
実際はただ少し前に再び転移でクロイレを城に戻したからなのだが、秘密にしておきたいのでヴェルディーゼがそんなことを言ってユリを納得させておく。
少し待てば足音が聞こえるほどにクロイレが近付いてきて、ノックの音が聞こえた。
「……ユリ、ヴェルディーゼ、起きてる?」
「あ、クーレちゃん! お仕事終わりましたか? お話できます!? どうぞどうぞお入りくださいクーレちゃん!!」
バタバタとユリが無駄に手足を振り回しながらはしゃいで答え、扉を開けた。
するとそこには驚いた顔をしたクロイレがおり、ユリはニコニコと微笑みながら首を傾げる。
それにクロイレはユリの頭を撫でつつ、そっとヴェルディーゼに向かって視線だけで尋ねた。
即ち、ユリは自分が城にいなかったことは知らないのか、と。
ヴェルディーゼはそれにすぐに気が付き、僅かな笑みを浮かべるとユリの背後に立つ。
「……ユリ。クーレはこれまで執務室に籠もって仕事をしてたんだろうから、話をするにしても早く座らせてあげよう」
「え、あ! 確かにそうですね! 気付かなくってごめんなさい、さぁ座りましょう!」
「私は別に……あ、いや、うん……そうだね。そこまで疲れてはないんだけど……座らせてもらおうかな」
「遠慮しなくていいんですよ。クーレちゃんが国王陛下ってことは、ここはクーレちゃんのお城でしょう。別に椅子が一つしかないわけじゃありませんし……二つしか無かった場合は、私は主様の膝に座りますし……」
「あはは……相変わらず仲が良いみたいで何よりだね。うん、じゃあ……待たせてごめんね。改めて、私の事情について話すよ」
クロイレが胸に手を当てて言うと、ユリが頷いて静かに続きの言葉を待った。
その真剣な雰囲気を感じたクロイレは、少し緊張した面持ちをしながら膝の上に置いた手を握り締める。
「……本当に、ごめん。色々隠してて……」
「それはもういいですから。話は聞きたいですけど、大体の事情は察してもいます。気負わず、です。ね?」
「……うん。私は、この国の王で……王の資質があるから、かな。クラシロエスに狙われて、あの屋敷に隠れ住むことになったんだ。それで、クロイレって名乗るわけにもいかないから名乗った名前がクーレで……偽名、いや偽名でもないけど……とにかく、本名を言わなくてごめん」
「……蛇足なのはわかってるんですけど、偽名ではないって……?」
ユリがどうしても気になってしまった、という様子で尋ねると、クロイレが少し迷うような素振りを見せた。
しかしすぐに軽く首を横に振ると、頷いて答える。
「私、本来の名前はクロイレ=クーレ・ルリジオンなんだ。これは、王として選ばれた時に新しい名前が授けられるからで……私がクロイレになる前の名前が、クーレ。だから、名乗ることはないけど正式な名前はさっき言ったようになるんだ。だから、私は偽名でもないって言ったの」
「なるほど……そう考えるとなんか悲しい気持ちが飛びましたね。やったぁ」
「そう? それならよかった。それで、ユリ達と分かれてからの話なんだけど……クラシロエスにバレた以上はあそこに留まる理由は無いし、城を目指してたんだ。別の場所に隠れるにしろ、城に住むにしろ……一先ずは、城でどうするか話し合わないといけないからね。それで、話し合いのためにクレリスに諸々の仕事を任せてたら、ユリ達が来たの」
「で、謁見の時の乱入に繋がるわけですね。……うん、本人の口から説明が聞けて良かったです。本当に申し訳なく思ってるのも伝わりましたし」
ユリが満足げに笑うと、クロイレも満足したように微笑んだ。
しかし、すぐに表情を曇らせると、思わずと言ったように呟く。
「でも、これから大変になっちゃうな。クラシロエスのこと、対処しないと」
「……何かあったんですか?」
クロイレの呟きにユリが表情を険しくして尋ねた。
心配と、クラシロエスに対しての警戒が込められた瞳にクロイレが口元を押さえ、やってしまったと眉を寄せて息を吐き出す。
しかし、説明しようにもヴェルディーゼが隠したがっているので、クロイレはどうするべきかとこっそりとヴェルディーゼへと視線を送る。
ヴェルディーゼは、じっと扉を見つめていた。
「……あれ? 主様? 扉なんて見てどうしました?」
「いや、なんでも」
即座にヴェルディーゼが言い、意味深に笑みを浮かべた。




