絶叫、しかし刃は動かず
「あ゛ぎゃああああああ!!!! ぐぅっ、ぅ゛ぅ゛っ……!!」
団欒の宿の一室にて、少女の絶叫が響き渡る。
ユリである。
ユリは鎌を握り締め、ヴェルディーゼの手首に刃を突き付けながらぷるぷると震えていた。
今しているのは、生き物を傷付ける練習である。
城にいた頃は毎日のように模擬戦をしており、ユリも抵抗なくヴェルディーゼに攻撃を行っていた。
ユリが気にするのでしっかりと結界で身を守ってはいたわけだが、それでも攻撃は躊躇わなかったのだから、ちょっと手首を傷付けるくらいならできるだろうとヴェルディーゼで先ずは練習をすることになったのだが、その結果発されたのが先の絶叫であった。
まるで刺されるなりして激痛を感じている時のような絶叫だが、ユリは全然無傷だし凶器を持っているのはユリの方である。
ヴェルディーゼはユリに手首を差し出したまま、静かに頭を抱えていた。
躊躇うのは仕方無いが、このままではユリの身が危険に晒されてしまう。
「そんなに駄目?」
「はぁ、はぁ、はぁ……っ、や、やや、やややややります、ふぅ、よしっ……だだだだだ大丈夫……えいっ……やぁああああ゛!!! うーごーけーぇええええええッッ!」
「……」
「ッ゛……ふぅ、ふぅっ……うぅ……できないぃ……」
「……んー。体質ではなさそうなんだけどなぁ……やっぱり本能? まぁいいや、一旦休もうね」
そう言ってヴェルディーゼがぽんとユリの肩を叩くと、ユリが崩れ落ちるようにしてその場に座り込んだ。
そして、徐々にその顔色が悪く、息が荒くなっていく。
「……大丈夫?」
「だ……大丈夫です。……迷惑かけて、ごめんなさい……」
「頑張ってるのは伝わるから別にいいんだけど。うーん……そのままでいいから、ちょっと鎌だけ固定しててもらっていい?」
「え? は、はい、大丈夫です、けど……」
ユリが戸惑いながら鎌を持ち、そのまま固定するとヴェルディーゼが近寄ってきて、ユリの頭を撫でながら自分から鎌に手首を押し当てた。
その手首から赤い血が滴り、ユリの思考が一瞬にして消し飛ぶ。
「……え……?」
からん、と鎌がユリの手から零れ落ち、ヒュッと息を呑む音がいやに響いた。
ユリがヴェルディーゼの手を掴み、何も言えないまま泣きそうな表情でその顔を見上げる。
「……っ……な、なに、し……」
「何って……僕からやれば、傷付けられるのかなって――ああいや。……そうだね、むやみに自分を傷付けるのは、少なくともユリにとっては一般的ではなかったね。ごめん。……この程度、どうってことないし……痛みも感じないから。でも、驚かせちゃったね」
「で、でも、怪我……」
「もう治ったから。……ユリの方が、もっとずっと酷い怪我を負ったでしょ」
「あ……ごめん、なさい」
「ううん。……どうにも守ることに慣れてなくて、色々とこれに不備があった。それは、全面的に僕が悪い。僕の城にいたのに攫われたあの日だって……僕が悪いんだよ」
ユリの首に付けられた赤い宝石のネックレスを見ながら、ヴェルディーゼが言った。
指にそれを巻き付け、憂いの籠もった息を吐き、ヴェルディーゼがユリを抱き締める。
「正直なところ、僕にはユリがどうしてこんなにも傷付けることができないのかわからない。……共感できないんだ。僕も進んで誰かを傷付けはしないけど……僕にとって、反撃はごく自然なもので。それすらできないユリには、共感できない。……そうだなぁ。食べ物を口に入れて、咀嚼しないなんてことほとんど無いでしょ。それと一緒。攻撃されたから、反撃する。ただ、身体に染み付いた行動。……だから……わからない。どうすればいいのかも」
「……だから、あんなことを?」
「まぁ、うん……そんなに悲しむとは思わなかったんだよ。痛みも無いし、すぐに治るから」
ヴェルディーゼがそう言って困ったように微笑むと、ユリがそっとその手を取って手首を見た。
既にそこは傷一つなく、血の跡も全く無い。
切れたことが嘘だったかのように、傷は綺麗に癒えていた。
「……私に少しでも慣れてほしいからやったのは、わかりました。でも……不必要に、自分を傷付けてほしくないです。大怪我した私が言えたことでは、ないかもしれないですけど」
「そうだね……僕もユリが大怪我して、本当に気が気じゃなかったからね。自重はするよ。……さて、休憩は終わり。とりあえずもう一回……あ、でもそろそろ食事の時間か」
「……そうですね。……この宿がある程度残ってて、女将さんや従業員さんも無事で良かったです。比較的綺麗に残ってる一室を使わせてもらっちゃってるのは申し訳ないですけど」
「ここを選んだのは領主だし、我儘言いたくないんだったら受け入れるべきだろうね」
「嫌とは言ってないですよ! ただ、ベッドとかもそんなに酷く焼けてはないですし、怪我人とか、子供とか、お年寄りとか……そういう人に使ってもらった方が、いいんじゃないかって……」
「僕がいたから大丈夫だっただけで、ユリは生きてる中ではかなり酷い怪我をしてたと思うけど? 気にしなくていいでしょ、別に。その辺の優先順位はちゃんとわかってると思うよ、あの領主」
酷い怪我、という台詞でヴェルディーゼの圧が物凄く増えたので、ユリが頬を引き攣らせて頷いた。
ヴェルディーゼには火傷の件のことを穏やかに語るのは不可能らしい。
ユリが頷いても、ヴェルディーゼはユリに圧を掛け続けていた。
「……場数が足りない。いっそ、無理矢理にでも場数を踏ませて……」
「あ、主様、火傷の件がどうしても許せないのはもうわかってますから、あの、圧を消してください……」
「僕がどれだけ心配したか。本当に閉じ込めてやろうかと何度検討したか、ユリは知らないでしょ。僕が生きている限り、もう永遠に城から出れなくしてやろうかって……」
「や、わわわわわかっわかりましたから! 先ずは圧を消してぇ〜!」
「……あ、ごめん。なんでもない」
「急にスンッて落ち着かれると逆に怖いぃ!?」
落ち着いたら落ち着いたでユリが怖がるので、ヴェルディーゼがならどうすればいいのかと苦笑いを浮かべた。




