危機一髪、伸ばされた手は
ヴェルディーゼが領主の館に入ると、中は人でいっぱいだった。
燃えていない場所などほとんどなかったので、大勢がここに押し寄せてきているのだろう。
「……君達か」
「領主。……ユリを休ませる部屋を、と思ったんだけど……場所は無さそうだね。……困ったな……」
思わずといったように呟くヴェルディーゼを見て、次にアークルズがユリを見た。
外傷こそ無いが、服は大部分が焼け焦げており、力なく腕がぶら下がっている。
「不思議なほどに怪我が無いな。見た目は人間と変わらないが……癒しの手段を持つ種族なのか……? ……いや、そんな場合ではないな。消耗具合は見て取れる、多少手狭だが部屋を貸そう。緊急で掃除をした物置なのだが、構わないか?」
「疲弊し切ったユリに影響が出なければ汚れてても文句は何も言わないよ。人も多くて大変だろうに……物置だろうと、貸してくれて感謝するよ」
「ああ。森の屋敷で襲撃されたのだったな? 顔を見られている可能性もある、案内も兼ねて護衛を一人付かせよう。まともには動けないのだろう?」
「……すみません……」
「気にするな。すぐに案内が来る、それまでそこで待っていろ」
アークルズはそう言うなり、足早にその場から去っていった。
こんな状況である、単純に一人に構っている暇がないのだろう。
そんな状況であってもなお部屋を貸してくれたことに、ヴェルディーゼとユリが心の中で礼を言いつつ案内を待ち、案内が来るとすぐに移動を始めた。
案内兼護衛は、ユリの性別を気にしてか部屋の外で待機することになった。
ユリの服はボロボロで、少し刺激の強い感じになってしまっていたので。
「……複雑だなぁ。護衛としては中にいてもらいたいけど、どうしてもそれを許せない僕がいる」
「こ、こんな格好ですもんね。黒焦げで……なんというか、すぐに崩れちゃいそうですし……あの、着替えるわけには、行きませんよね……? 服が変わったら怪しまれますし……」
「そうだね……ユリにはここで待機してもらうしかないかな。……一人にしても平気?」
「怪我は治してもらったので、平気ですけど……どこへ……?」
「一応……仕事だからね。それに、領主にも良くしてもらったから……ちょっと、人助けをしてくるよ」
「……」
ヴェルディーゼがユリの頭を撫でながらそう言うと、ユリが一瞬だけ嫌そうに俯いた。
しかし、すぐに笑顔を浮かべるとこくりと頷いて明るい声を出す。
「っわ……わかりましたっ! ここで待っていますね! …………なので、絶対に帰ってきてくださいね……?」
「ふふ、大丈夫だよ。……さて、と。行ってくるけど、その前に……」
ヴェルディーゼがそう言いながら上着を脱ぎ、ユリに被せた。
しっかりと全身を隠させ、ヴェルディーゼが微笑む。
「やっぱり、僕がいない以上心配にはなるからね。あんまり期待はしてないけど、護衛には中にいてもらおう。……この世界に行く前に持ってたネックレス、ちゃんとある?」
「ありますけど……」
「……絶対、一瞬たりとも、外さないでね。……守るのに慣れてないせいで、不足は多いけど……大丈夫なはず……」
「わ、わかりました、外しません……!」
「……ん、なら行ってくるよ」
ヴェルディーゼがそう言って部屋から去り、入れ替わるようにして護衛が入ってきた。
去り際に中で守るようヴェルディーゼが言ったのだろう。
護衛にぺこりと頭を下げて会釈しつつ、ユリがヴェルディーゼが掛けてくれた上着を抱き締める。
「……クーレちゃんの時みたい。えへへ……」
小声で呟き、ユリが窓から外を見る。
ヴェルディーゼの姿は見えないが、ずっと眺めていれば見つけられるかもとユリは黙って外を見続けた。
だからだろう、護衛よりも先に、ユリは異変に気付く。
「今、何か光っ――!?」
閃光に目を焼かれ、ユリの視界が真っ白に染まった。
ジクジクと目が痛んで開けられず、視界が封じられる。
「お、お怪我は……!?」
背後から護衛の声が聞こえた。
しかし近寄ってくる素振りなどがない辺り、彼もまた閃光により視界を封じられてしまったのだろう。
窓が割れる音が響き、次いでカランと何かが落ちる音がする。
外から白ローブが筒のような物を投げ込んできていた。
しかし、何も見えない二人に対処する術は無く、それは役目を果たした。
ユリの背後で、護衛が崩れ落ちた。
混乱する中その音だけを感じ取り、しかし正確な位置までは把握できず、ユリが身を守るための深淵を展開するのを躊躇う。
中に空間を作ろうが、それは深淵である。
触れたもの全てを飲み込まんとするそれが、護衛に触れてしまったら。
そんな風に躊躇っている内に、白ローブの腕がユリへと伸びた。
片手で抱えられながら、布のような物がユリの口元に当てられる。
その時になってやっとユリは視界を取り戻し、状況を認識した。
「ん、む……!?」
白いローブ。
アークルズ曰く、クラシロエスという組織に所属している証。
クーレの屋敷を襲った組織。
許せるはずもない。
口元を押さえる布は湿っているので、何か薬品の類を染み込ませてあるのだろう。
ユリがそんな分析をしつつ、抵抗のために深淵を固めて鎌を出そうとして――人を殺すのか、と僅かな思考が過る。
途端に、ユリの手が止まった。
ヒュッ、と呼吸が漏れ出し、それでも、怖くてもやらなければと、手に力を込めて――真っ赤な鎖が、白ローブを薙ぎ払った。
「っ……?」
「ユリ!」
抱えられていたせいで白ローブと共に吹き飛び、転がりそうになっていたユリを誰かが抱き留めた。
ヴェルディーゼではない。
ヴェルディーゼは鎖を使ったとしてもその色は真っ黒で、そもそもその声は年若い女の子のものだった。
もしかしてと、僅かな期待を込めてユリが見上げれば。
「間に合って良かった。怪我は無い? ユリ」
柔らかく微笑みながら尋ねてくる、クーレの姿がそこにあった。




