咄嗟の行動、届いた手は
それから、数日が経過し。
祭りが終わり、しかしその名残か街は未だに僅かな熱気に包まれていて。
――祭りの熱気に包まれていたはずの街は炎に包囲され、その熱がジリジリと街の人々の心を炙っていた。
走るユリの傍で、また家が一つ焼けて倒壊する。
「な、なんで、こんな……昨日までは、あんなに平和で……平和、だったのに」
「まだ走れる?」
「ッ……走れ、ます。……大丈夫です」
「行くよ。何をするにしても、先ずは避難。……クラシロエス、だったかな。狙いはわからないけど……僕達は顔を見られた可能性がある。口封じ、あるいは……。……とにかく、狙いは僕達の可能性もあるからね」
「……わかりました」
ぎゅ、とヴェルディーゼの手を握り締めながらユリが小さな呟くような声で言った。
懸命に走りながら、しかし肩を切らした様子もないのにユリは肩を震わせ、不安げに瞳を彷徨わせる。
すぐ傍の家から炎が噴き出した。
「っ……!」
「いやっ! む、息子が、子供がまだ中にいるの! だ、誰か……!」
悲痛な声にユリが視線を向ければ、どこか見覚えのある女性が男の人に羽交い締めにされながら叫んでいた。
羽交い締めにされているのは、燃え盛る家に今にも飛び込んでいってしまいそうだからだろう。
喉を枯らす勢いで叫ぶ女性を、ユリはどこかで見たことがあるような気がして記憶を辿る。
「――あの、時……の……じゃあ、子供って……!」
思い出すのは、英雄クッキーなんて名前で売られていた、領主の家紋を模したクッキー。
それを買うために並んでいたそこで、一人の男の子が楽しそうに話しかけてきて――と、そこまで思い出したところで、ユリは居ても立ってもいられずに飛び出した。
手を繋いでいたのだから、簡単に止められたはずのヴェルディーゼが止められなかったのは、ヴェルディーゼもまたそれを思い出していたから。
知らないわけではない幼い子供が、今にもその命を落とそうとしていると、気が付いてしまったから。
「ユリ!!」
大声が響き、けれど止まることなく白く輝く髪が家の中へと消えていく。
バキンと音を立てて、僅かに家が崩れる。
は、とヴェルディーゼの口から吐息が漏れ、その心に焦りが染み渡っていく。
判断は一瞬だった。
続くようにヴェルディーゼが家の中に飛び込み、気配を探って一直線にユリの元へと向かう。
瓦礫を破壊し、突き進んで、辿り着いたそこには、炎に囲まれた深淵があった。
そこに、その中に、ユリと、小さな気配が確かに存在している。
炎を意に介さずにヴェルディーゼが深淵に駆け寄り、結界で包み込む。
「――ユリ」
深淵の中でユリの気配が僅かに震え、綻ぶように深淵が消えた。
中からは僅かな掠り傷を負った少年と、焦げた服を纏い、露出した部分ほぼ全体に火傷を負ったユリがいる。
「お、お兄さんっ、お姉さんが……」
「ぁ……だ、大丈夫、です。……痛くない、ので」
「……今だけでしょ。君、自分で捕まっていられる体力はある?」
「う、うんっ……頑張る! だ、だから早く、お姉さんを運んであげて……僕のことを庇ったせいで……」
「よし、いい子だね」
ヴェルディーゼは軽く男の子の頭を撫で、片手で抱え上げてから更にユリを抱えた。
ユリには体力も残っていないようで、浅い息を吐きながらされるがままになっている。
既に焦点も合っておらず、ユリは茫然とした表情でヴェルディーゼを見上げていた。
いつまでもこんな炎の中に二人を晒しておけないので、ヴェルディーゼが結界で二人を保護したまま急いで家の外へと向かう。
バキ、と音がして、ヴェルディーゼの目の前で天井が落ちてきた。
それを魔力だけで破壊し、ヴェルディーゼが家の外に飛び出す。
「……あ、お母さん!!」
「あ、ああ! 生きていたのね、良かった、良かった……! ありがとうございま……っ!」
母親が泣きながらヴェルディーゼによって降ろされた少年を抱き締め、お礼を言おうとヴェルディーゼを見上げた。
その視線が火傷だらけのユリへと吸い寄せられ、母親が言葉を失う。
「……あ……ご、ごめん、なさい……っ」
「いい。今はその子を安心させてあげて、母親でしょ」
「……わかりました……ごめんなさい、ありがとうございます……大丈夫、大丈夫よ。怖かったわね……お父さんもすぐ近くにいるからね。お父さんのところに行きましょう」
慌てて父親の方へ向かった親子を横目で見届け、ヴェルディーゼが足早に領主の館へと向かう。
領主の館は広く、頑丈なので、この街の避難所になっていた。
あの館ならば、ユリを休ませられる部屋もあるだろう。
「……ッ……う、ああ……」
「痛い? ……今は、誰も見てないか。すぐ治癒するから、大丈夫。すぐに治癒してあげられなくてごめんね、もう大丈夫だよ……」
「……あ、……りがとう、ございます……もう、いたくない、です」
「明らかに呂律回ってないのに?」
「……痛くないです……」
「……ふぅ。跡も残ってないし、僕が調べた限りでも大丈夫そうだからいいけど……無理、しないでよ」
「……つい、咄嗟に」
ユリが反省の滲む声で言った。
聞けば、咄嗟に飛び出し、深淵による結界も展開しないまま少年の元まで行き、大火傷を負ってからようやく深淵の結界のことを思い出したらしい。
「馬鹿なの」
「……ごめんなさい」
「本当に……本当に、心配したんだよ。ねぇ、ユリ……お願いだから、怪我をするような無茶はやめて」
「ご、ごめんなさい……反省しています。……ちょっと……考え無しに飛び込むのは、無茶でした」
「……気持ちはわかるよ。でもやめて。……止められなくてごめんね」
「大丈夫です……あの、でも……えへへ、わ、私、気が抜けちゃって、全く動けなくて……腕を上げるだけで、ぷるぷるしちゃって……その。……しばらく、動けそうにないです……」
「いいよ、どちらにせよ歩かせるつもりないから」
笑って誤魔化そうとしたが、それすらもできずにユリが引き攣った笑みを浮かべて申し訳なさそうに目を伏せた。




