思考放棄
二日後、その日ユリと悠莉は、演習場の特訓が終わり、貸し出された部屋で休んでいた。
結局、悠莉を襲おうとした者たちへの尋問の結果は、ただの下心だったというもの。
ユリも少し当人たちに話を聞いてみたが、ユリから見ても、ルスディウナとの関係性は無しと断言できるほどだった。
別にルスディウナが人を使って襲ってくるとは限らないわけで、まだまだ警戒は必要だが、それでもユリとしては一安心といったところである。
あの騒動以降、二人は少し距離を取られていたものの、話をすれば距離も少しずつ縮まっていき、今は普通の対応を受けている。
客人としては、少し距離が近いくらいだが。
「はぁ〜……ふぅ。……あ〜」
「結莉? 大丈夫?」
「大丈夫ですよ〜。でも、主様がいないと……私、あんまり寝られないので……頭回んなくなってきたぁ……」
ユリが頭を振ってそう言い、溜息を吐いた。
あまり眠れない、どころか一睡もしていないが、神なので一応問題は無い。
ほとんど、人間であった頃の癖みたいなものだ。
寝不足による体調の変化は、思い込みによるものでしかない。
だからと言って、辛くないなんてことは微塵もないし、ユリにはどうにもできないが。
「……あ、れ……」
「ゆうちゃん〜……?」
「……なんか……私も、頭回らないかも……なんだろ……病気に罹った時みたい……」
「風邪ですかねぇ……? んんー……ぅー……」
ユリがそう言いながら枕に顔を埋め、ぴたりと動きを止めた。
何か、知っているモノを感じる。
何かがおかしくて、嫌な感じがする。
唐突に二人して頭が回らなくなるなんて、あるのだろうか――
「……ッ、……ゆう、ちゃん……そこにいてください」
ユリが気合で起き上がり、悠莉にそう言い残して部屋から飛び出した。
そして、演習場へと走り出す。
そうすると、嫌な感覚はどんどんと増していった。
息が浅くなって、背中に寒気が走り、冷や汗が流れる。
近付くにつれてどんどんと頭が回らなくなっていって、ユリにはもう何が何だかわからなくなっていた。
だが、自分が今何をしようとしているのかもよくわからなくなっていても、ユリはただただ走れと自分に命令する。
走れ、走れ、走れ――演習場へ。
何も考えなくていいから、足を止めるなと。
そうして辿り着いた先には――やはり、ルスディウナがいた。
色の無い、不思議な光がその場に満ちている。
それは城内へと広がり、城内にいる全ての人の思考を奪っていた。
「あら。やっぱり、来れたのね」
「……ぅ、…………ルスディウナ……」
「ふふ、私のことがわかるくらいには思考が残っているのね。残念、何も残っていなければ簡単だったのに」
「……後は、もう……時間を稼ぐだけで、済むの、に……?」
必死に思考を手放さないように藻掻きながらユリがそう口にすると、ルスディウナが微笑んだ。
綺麗な顔に、憎悪と愉悦が浮かぶ。
「とっくに何も考えられないお人形になっていたら、殺すだけで済んだけど……意思が残っているのなら……それだけでは済まさないわ」
嫌な予感に従って、ユリは思考よりも早く鎌を振るった。
しかし、それは躱されて、ユリは光り輝く鎖に動きを封じられてしまった。
鎖に巻かれ、空中に吊るされたユリの顎をルスディウナが掴む。
「見れば見るほど、可愛い顔。思考がもう一欠片しか残っていなくて、ほとんど何も考えられないでしょう。微睡むような心地良さに委ねてしまいたいでしょう。そんなあなたは、いつもよりずっと素敵よ……さぁ、私の声を聞いて。私の目を見て……」
黄金色が、ルスディウナの目と合う。
不思議な光を宿した瞳がユリに魔力を通して、その思考を絡め取った。
ユリの身体から力が抜けて、濁った瞳がルスディウナを捉え続ける。
「……ぅ……あ……?」
「ふふ……それじゃあ、そうね。どうしたら、この怒りは消えるでしょうね。……そうだわ、腕を解放してあげるから……その目玉、自分で抉り出しなさい」
ユリの頭に、ルスディウナの声が反響する。
言われたのなら、従わないと――そんな思考がちらついて、ユリは片手を自分の目に添える。
その指先に、力が籠もり――光り輝く鎖に何かが当たって、大きくずれた。
頭が揺さぶられて、ルスディウナの姿がぶれる。
ユリの視界から、ルスディウナの瞳が消える。
思考は明晰にはならない。
依然として、思考力は奪われたままだ。
だが、先ほどまでの妙な状態からは脱して――ユリは、思考を完全に放棄した。
洗脳じみた魔法を受けるまで、ずっと必死にしがみついていた思考を、ユリは完全に手放す。
だって、そうしたら。
「――……」
そうしたら、経験と本能が導くままに、何も考えられなくてもルスディウナに対応できるから。
今は、半端な思考などノイズにしかなり得ない。
解放された腕で鎌を振るって、ユリは鎖を断ち切る。
そこにあるのは、ルスディウナへの嫌悪だけだ。
奪われるのは思考だけで、感情までは奪われないのだから。
「……邪魔が入ったの? ……人間如きの……邪魔が?」
理解できないと言いたげに、ルスディウナが呟いた。
ルスディウナの傍に、見覚えのない剣が落ちている。
しかし、それに疑問を覚えることもできないユリは、隙を見せたルスディウナを深淵で包む。
パン、と音がして深淵が破裂した。
そこからルスディウナが飛び出してきて、即座に腕を振るう。
不思議な光が弾となってユリに殺到すると、ユリはひらりひらりとそれを躱し、地面を踏み締めて加速するとルスディウナに急接近した。
そのままその首元を狙って鎌を振るおうとして、ルスディウナはそれよりも先にユリの首を掴む。
それは、ルスディウナの実力を理解していなかったが故の誤算。
ヴェルディーゼが守ってくれていたから生じた、判断ミスだった。
「――捕まえた」
甘い声が囁き、その瞳と目が合い――しかし、今度は、ユリに異変が生じることは無かった。
背後に、慣れ親しんだ気配がする。
わけもわからないままユリはほっとして、身体から力が抜けて、それを後ろから伸びた腕がそっと抱き留めた。
あれ、と思ってユリが首元に手をやると、そこにルスディウナの手は無く――細い腕が、宙を舞っている。
「ごめん、足止めの対応に時間を取られた。よく持ってくれたね」
聞き慣れた声がユリの耳元で囁くと、ユリはパッと顔を上げた。
そこには、優しく微笑むヴェルディーゼが居る。
「後は任せて、ユリ」




