もしかしてとわからない
改めてヴェルディーゼが椅子に座り直し、ユリが執務机の前で背筋を伸ばす。
ヴェルディーゼが1つ咳払いし、仕事について説明を始めた。
「今回の仕事先はクローフィ・ルリジオンという名前の世界だよ。色んな種族がいるんだけど、吸血鬼が頂点に立っててね」
「色んな種族! 吸血鬼……!!」
「そう。で……なんて言ったらいいかな。反吸血鬼? 吸血鬼だけが頂点に立っているのはおかしいって組織が、世界の浄化って名目で世界の核を穢してて……このままだと、核が完全に穢れて世界が汚染されて、何の生き物も住めなくなるから止めに行くよ」
「おぉ……知らないワードがたくさん出てきました! いいですねいいですね、すっごくファンタジー……というか、世界に名前なんてあるんですねぇ……」
「その辺りは創世神の好みになるかな。複数の世界を創ってる神は名前を付けがちだよ。管理しづらいからね」
「へー……じゃあ、世界の核ってなんですか?」
ユリが首を傾げてそう尋ねると、ヴェルディーゼが少し考え込むような仕草を見せた。
そして、ユリに手のひらを向けると小さな球体をそこに出現させる。
「これ、見て。小さい球体があるでしょ? これは僕の力そのものだよ」
「? はい、ありますね……力そのもの……?」
「魔力とはまた違う、神の力だね。世界の創造には魔力の他にこれも使うんだよ。でね、これは世界の栄養分なんだよ」
「栄養分……これを糧に植物とか動物とか……生き物が生まれる、ってことですか?」
「そうだよ。……あ、いや……全ての生命というより、世界の全てのもの、かな。とにかく、それらはこの小さな球体から生まれる。まぁ、世界を創るならもっと大きいけどね。でも、世界の大きさに比べると小さいかな。で、この栄養なんだけど……生物が生まれて世界が発展していくと、神の力じゃなくて世界の核になるんだ」
「核になると……どうなるんですか?」
「神の完全なる制御下からは外れる。……というよりも……それまで神が丁寧に組み上げて、1つずつ調整していたシステムを自動で適宜調整するようになる。たぶん、意思に近しいものを手に入れてるんだと思う。つまり、世界の核が世界を維持してくれるようになるんだよ」
「……AIにも近い感じでしょうか?」
「えー……あい……? えーっと……あ、ああ。……うん、そうだね。そんな感じかも」
「……本当にわかってます?」
明らかに反応が遅れたヴェルディーゼにユリが疑いの視線を向けた。
そして、もしかしてとそれについて追及しようとしたところで、ヴェルディーゼが無造作にユリの顔を掴む。
「主様もしかっんむぎゅ!?」
「君は何も聞いていない」
「んにゃ、れもぉ……んきゅ!?」
「君は何も聞いていないし、何にも気付いてない」
「ひゃ、ひゃい! ひゃぃ! わひゃりまひひゃ!」
「ん、ならよし……ひゃぃって可愛いな。もう1回やっていい?」
「駄目ですよ!?」
「その顔も可愛い……ふふふふ……」
ヴェルディーゼがユリの顎を掴んでその表情を観察し始めた。
とても愛おしそうな顔で見られるので、最初はユリも気恥ずかしげながら満更でもない様子だったが、段々と興味が強くなってきた表情に危機感を抱き始める。
「……あの、あるじさ……」
「見てて飽きないけど、新鮮味が足りないなぁ……ああ、そうだ。……歯とか、叩いてみたら……きっと新しい表情を……」
「歯を叩くってなんですか!? 嫌です嫌です嫌です!」
「……じゃあ……首を」
「急に変な趣味に目覚めないでください、怒りますよ!」
「チッ……」
「舌打ちされた!?」
「ああ、その表情は新しくていいね。ふふ。……さて、満足したしそろそろ……と、言いたいところだけど。……出発は明日にしておこうか」
「え? なんでですか、まさかまだテストが……」
「そうじゃないよ。ただ、もう少し……念には念をと思ってね。部屋に戻っていいよ」
「念には念を……? ……誘拐とか危惧してます?」
ユリが不思議そうに尋ねると、ヴェルディーゼが頷いた。
そして、憂いをたっぷりと含んだ息を吐きだして言う。
「より正確に言うなら……殺されることを、だね。誘拐もだけど……」
「……こっちでは誘拐の方をより警戒している感じがしますけど……異世界では殺されることを心配するんですか?」
「うん。神は僕への復讐とか、あるいは最高位になりたいがために、僕の弱点についての情報が欲しい。だけど、ただの人が住む世界で、僕は恨まれようがないからね。容姿で狙われることはありそうだけど……妙な組織に首を突っ込む以上は、口封じとかで殺される可能性の方が高いと思う」
「ん、んん……なるほど。……怖いですね……そっかぁ。目的が目的ですから、そういう……変なのに関わらなくちゃいけないんですよね……うひゃあ……」
「……嫌ならやめても」
「くどいです。いや、まぁ……ちょっと嫌そうな顔したのは私ですけど。でも、いちいちそんなこと言わなくなっていいじゃないですかぁ。もう……とにかくわかりました、明日ですね? じゃあ今日はいっぱい休むので」
ユリがそう言って執務室を出ていくのを見届け、ヴェルディーゼが息を吐いた。
そして、椅子に身体を預けると額に腕を当て、小さく呟く。
「……やっぱり、わからないな。愛おしいって感じるのに……死んでほしくないのに。……今の未熟な状態で、異世界に一人で置いていったらどうなるだろう……なんて。……はぁ、わからない……愛おしいだけなら、好きってだけで済ませられるのに」
「――あれぇ? 部屋どっちだったっけ? 執務室……執務室ってどこだっけ」
「……今回はユリもいるし、たまには仕事くらい真剣にやるかー……」
ヴェルディーゼがそう呟き、先ずは執務室の目の前で迷子になっているユリを部屋に戻そうと椅子から立ち上がった。




