見知っていて、知らないもの
一組の男女が、森を歩いている。
まだ若い男女で、一人は剣を手にした黒髪の少年、もう一人は眼鏡を掛けた肩までの長さの黒髪を持つ、杖を持った少女である。
「……結構歩いたね。そろそろ、目撃情報のあった場所かな?」
「ああ。でも、本格的に大量発生してるのはもっと奥だと思う。悠莉姉ちゃん、体力とか大丈夫か?」
「うん、まだ大丈夫だよ。さっき休憩したし……心配しないで、龍くん。スキルもいつでも使えるよ! なんだったら、そろそろ今できる準備はし……」
「……待て、悠莉姉ちゃん。何か……変だ」
「変……? どうしたの、龍くん……魔物?」
「なんだ、これ……消えたり現れたりしてる……どんどん近付いてきてる? わからないから、俺の後ろにいてくれ。離れずに」
龍くんと呼ばれた少年――勇者はそう賢者に警告し、剣を構えて周囲を睨んだ。
勇者は、消えては現れる不思議な気配に戸惑いながら、いつでも攻撃できるよう意識を研ぎ澄ます。
賢者は尋常でない勇者の様子に意識を切り替え、そっと勇者にスキルで強化を施した。
気配が消えて、自分たちに近いところでまた現れる。
また消えては、近付いてくる。
どんどん、どんどん、どんどんと。
感じ取れる一回消えるたびに行われる移動距離からして、そろそろ目の前に来る頃だろうと勇者が息を詰める。
現れたら、すぐに攻撃。
そう勇者が言い聞かせて――気配が、消える。
これまでと同じなら、一拍してから現れる。
だから、次が攻撃のチャンス。
タイミングが来る――しかし、敵と思われる気配は、現れはしなかった。
勇者は拍子抜けして気を抜きかけて、しかしすぐに心を支配する悪寒にバッと振り向く。
「――ッ姉ちゃん、後ろだ!」
「え……?」
賢者がその呼びかけに反応して咄嗟に後ろを見ると、恐ろしく醜い獣が、既にその爪を振り下ろしていた。
その動きがスローモーションで見えて、しかし賢者は何も反応できずに、ただ死の気配をもたらすそれを呆然と見つめる。
――死ぬの? 怖いよ。なんで、どうして……――結莉も、こんな気持ちだったのかな。
賢者は、真っ白な頭でただぼんやりとそんなことを思う。
彼女は、この世界にいる。
親切な〝神様〟が、せっかくそう教えてくれたというのに、自分の命はこうも簡単に散ってしまうのか。
ぼんやり、ぼんやりと、賢者は――悠莉は、そんなことを考えて――視界が、その爪で埋め尽くされて。
「――ゆうちゃんに触るなぁ!!」
聞こえるはずのない、聞き慣れた声が、馴染みのない感情を乗せてその耳を劈いた。
白銀が舞い、黒く巨大な刃が魔物の腹を横から抉り、吹き飛ばす。
知らない色だ。
だが、知っている気もする。
不思議な感覚に悠莉は戸惑いながら、自分の隣に立つ人物を見た。
知らない色を纏って、見知った少女がそこに立っている。
「……結莉……なの? ううん……結莉……なんだよね?」
「……ッ」
悠莉の問いに、少女は何も言わないまま身体を揺らした。
そして、纏った白いローブ、そのフードを深く被ると、逃げるようにして悠莉から距離を取り、少し遠くに立っている青年の元に向かう。
「……ある、じ、さま。……わた、し……私は……」
「〝ユリ〟がそれでいいなら、それでもいいよ。だけど……それでいいの?」
「……それは……」
縋るように青年の服を掴み、震える声を出す少女に、悠莉は自分の服を握り締めた。
そして、ツカツカと少女に近付いていくと、後ろからその手を掴む。
「逃げないで、結莉。もう、わかってるから」
「ゆうちゃ……あっ」
「その呼び名、さっきも言ってた。私をゆうちゃんって呼ぶの、結莉だけなんだよ? それに……誰だか知らないけど、この人も名前を呼んでた。まだ誤魔化すの? ほら……フード、外して。久しぶりなんだから……顔、ちゃんと見せてよ」
「……」
少女は――ユリは、観念したように深く息を吐き出すと、震える手でフードを外した。
白銀色の髪を揺らして、黄金色の瞳で、ユリは確かに悠莉の瞳を見据える。
「――お久しぶり……ですね。……ゆうちゃん。会えて、本当に嬉しいです」
ぎこちない口調で、ユリはそう言って微笑んだ。
悠莉にとっては、ひどく聞き馴染みのないその言葉遣いで、見慣れた笑顔を浮かべながら。




