成功といらない
手首を掴んできたヴェルディーゼを見上げ、ユリが首を傾げる。
そのまま掴んできた理由を尋ねれば、魔法の補助のためという返事が返ってきた。
それに安堵しつつ、真剣な眼差しになって目の前の地面を見つめる。
「魔力の放出をすれば、いいんですよね……あれをイメージしながら……」
「うん。放出の補助はするし、足元まで深淵が来てもすぐに守ってあげるからね。安心してやっていいよ」
「……ふぅ……よし、やります! えいっ」
ユリが掛け声と共に魔力を放つと、深淵が発生――しなかった。
上手くいなかったことを悟り、ユリが首を傾げながらしっかりと脳内で深淵をイメージし、もう一度魔力を放つ。
しかし、ほんの僅かにも深淵は生まれなかった。
ユリが少し落ち込んで肩を落としていると、ヴェルディーゼが宥めるようにぽんぽんと肩を叩き始める。
「魔力放出は悪くないよ。あともう一押し」
「何が足りないんですかぁ……」
「教えてもいいけど……せっかくなら自分でやりきりたいんじゃない?」
「……心読みました?」
「少しだけ。大丈夫、本当に手詰まりになったらちゃんと手伝うよ」
「……うー……実は深淵できてたりしません? なんか凄く疲れたんですけど……」
「魔力放出はしっかり成功してるからね。消費そのものはそこまで多くないけど……不慣れなのが大きいかな。……ちなみに、本当に深淵ができてないか確認してみる? 庭を歩けばわかると思うよ。そもそもが広範囲の魔法だからね、発生してれば絶対その上は歩くことになるよ」
「その口ぶりからして、本当にできてないんでしょうね……はぁ……気分転換的な感じで、ちょっとだけ歩いてみますけど」
ユリが肩を落として少しだけ庭を歩き始めた。
数秒ほどして、ユリがふと首を傾げて立ち止まる。
「……あれ? 走った時より何か硬い?」
「ああ、魔法で土を固めたからね。ちょくちょく何も無いところで転んでるし、魔法が成功した状態でうっかり転んだら危ないから」
「あ、なるほど……いやそんな人に武器持てって鬼畜の所業じゃありません? いやまぁ、鬼畜の所業は言いすぎですけど、無理があると思うんですけど……」
「何にせよ今は魔法の練習だよ。また攫われたくないでしょ」
「……思い出させないでください。本当に辛かったんですから」
「そうだね……爪も剥かれて、指まで短く……」
「黙りやがれください主様」
ユリが無表情になってそう言うと、ヴェルディーゼが口を閉ざした。
わざとではなかったのだが、自分の言動を思い返し悪いことをしたなと苦笑いする。
「ごめんね。……さぁ、練習しよう。詳細にイメージするといいよ」
「はぁい……ふぅ、イメージ、イメージ……よし、行きます!」
ユリがそう言って気合を入れ、バッと手を目の前に突き出した。
そして、魔力を放出する。
「……う、あっ……?」
「おっと、危ない……大丈夫?」
「う、え……? す、すみません、なんだか身体から力が抜けて――エッ」
ユリが何気なく顔を前に向けると、そこには真っ黒な深淵が現れていたらしい。
成功したことを自覚し、ユリが目を見開く。
「こ、これ……」
「上手く行ったね。魔法に魔力を吸い取られて力が抜けたのかな……大丈夫?」
「は、はい、いや、ちょっと立てませんけど、あの」
「うん? 成功してるよ?」
「なっ、ななななななんか広がってません!?」
「……ああ、魔力が流れっ放しになってる。なんでだろう……んー……?」
「ひやぁあああ近付いてきてるっ、怖い怖い怖い怖いです!」
「んー……あ、わかった。魔法が強すぎて魔力が引っ張られてるんだ」
「なんですかそれ!?」
「要するに……人が深淵に取り込まれるのと一緒だよ」
「触れない限りは大丈夫なんじゃ!? ちょっと動けないんですけど、ねぇ早く早くっ、早く動きましょう!?」
おろおろとユリが慌てながらヴェルディーゼにそう言うが、ヴェルディーゼはのんびりと深淵を観察していた。
ヴェルディーゼはユリを抱き締めているので、ユリとほぼ同時にヴェルディーゼも取り込まれることになってしまうのだが。
しかしそこでユリは、ヴェルディーゼは自分は大丈夫と発言していたことを思い出す。
「……つ、つ、つまり、主様は、私を見捨てるつもり――」
言葉の途中でヴェルディーゼがユリを抱き上げ、片足で深淵を踏み付けた。
ビクリとユリが震え、不安げにヴェルディーゼを見上げる。
「あ、主様?」
「……」
「あ、あの……これ、踏んじゃって大丈夫、なんです、か……?」
「いらないね。こんなもの」
「あ、あの……??」
混乱するユリを無視し、ヴェルディーゼが不穏な笑みを浮かべながらもう一度深淵を踏み付けた。
しかし威力は先程よりもずっと大きく、ダンッと地面を叩く音と共に土が割れ、深淵が逆に飲み込まれていく。
数秒で深淵が完全に見えなくなると、ヴェルディーゼは無言で踵を返した。
「……色々、と……説明が欲しいんですけど……」
「ユリの脅威になるものはいらない」
「あっはい。……ハイ……」
ユリが死んだ目になって身体を小さく縮めた。
ヴェルディーゼの様子がおかしいので、あまり深く追及するべきではないと判断したのである。
単純に今のヴェルディーゼにあれこれ尋ねるのはいくら恋をしているといえども恐怖心を抱かずにはいられなかった。
と、ユリのそんな恐怖心を見抜きつつヴェルディーゼが息を吐いて言う。
「だけど、また攫われたりしても困るからね。僕が認めるまでは一人で魔法は使わないように。練習したかったらなるべく付き合うから」
「……あの、雰囲気変わりました?」
「ただ見初めたってだけで眷属化させて縛ったりはしないよ。眷属化させても眷属の魂が主の所有物になるわけでもない」
「あ、あー……そういう……ああ……ヤンデレ……あー……」
「大丈夫、傷付けるようなタイプではないから。人だったことはないから無自覚に良くないことを言ったりはするかもしれないけどね。愛し方が常人とは違ったり」
「……というと?」
「端的に言えばもっと監禁したいかな」
「……ひぇ」
「ふふっ……大丈夫。傷付けないよ。さぁ、部屋に戻ろう」
恐ろしい雰囲気のまま言うヴェルディーゼにユリが小さく頷いた。




