真っ暗な世界で、独り
――ああ、顔を見ることもできなかったなぁ。
暗闇に落ちるような感覚の中、ユリは思う。
後ろを振り返れば、そこにヴェルディーゼがいたことはわかっていた。
だが、唐突な転移への驚きと、そして何よりも――見知らぬ神が手にしていたあの銃への恐怖で、何もできなかった。
真っ黒な銃口がこちらを見つめていて、意識が呑み込まれるような感覚に襲われて。
色んな嫌な思い出がフラッシュバックして、何もできなかった。
何をされるのかはわからなかったが、それでも自分にはどうにもできないことはわかっていた。
ならせめて、振り向いて顔を合わせたかったな、とユリは残念に思う。
そうすれば、きっとここまで辛くは……と考えたところで、ユリは思い直した。
きっと、顔を合わせてしまっていたら、より大きな喪失感に襲われて、もっと辛い思いをしていただろうから。
――我儘を言ったせい……なのかな。そのせいで、こんなことに……?
自分に問いかけるように、ユリは考える。
あの神、ルスディウナらしき人物は、願いを叶えると言ってユリを転移させた。
なら、我儘を言わなければ、ヴェルディーゼのところに今すぐ行くなんて言わなければ、とユリは想像する。
――ううん……変わらなかっただろうな。少なくとも、フィレジア様から聞いた限りでは……願いを叶えるとか、そんな人じゃない。願いを叶えるなんて、ただの口実。何も……変わらなかった。
暗く沈んだ声が、頭の中に反響する。
それを口火に、冷静な思考は消え去り、暗い感情がユリを支配した。
同時に、思考までが一気に暗くなり、ユリはハッと浅く息を吐く。
――暗くて、怖い。
――何も見えない。
――怖い……
――助けて。
――どうしてこんなことに……
――銃が怖くさえなければ、こんなことには。
――暗くて……あの日みたい。
――トラウマさえなければ、何か変わったのかな。
――……私が。
――私が、悪いんだ。
――銃を怖がってさえいなければ、こんなことにはならなかった。
――怖がってたせいで、主様を悲しませて……
――……主様は、悲しんでくれてるかな……
ぐるぐる、ぐるぐると思考が巡る。
暗い感情がユリの心を追い詰めて、その瞳から大粒の涙が零れ始めた。
――ごめんなさい。
ぽたり、ぽたりと涙が零れ落ちて、雫が床に吸い込まれるようにして消えていく。
気が付けば、落ちるような感覚は無くなっていて、ユリは自分自身を抱き締めるように強く両腕を握り締めた。
――もう、会えないのかな。
落ちていく感覚。
それは、ユリにとって微かな希望でもあった。
落ちていく感覚があるということは、まだ落ち切ってはいないということ。
落ち切る前なら、きっと――と、ユリは心の片隅に、ほんの僅かにだけでも、思えていたのである。
高いところから落ちたら、人は死ぬ。
落ちたら、助からない。
けれど、ほんの僅かな可能性であれ、落ちている最中ならば、助かる可能性も無いわけではないのだから。
だが、そんな希望も、潰えてしまった。
ヴェルディーゼならば――と、思っていないわけではない。
ユリは彼の指導のもと、戦えるようにと幾度も模擬戦をして、その実力を垣間見てきたのである。
無理だ、なんて思えるはずがない。
だが、ユリの心は既に擦り減って、それを希望として見ることができなくなっていた。
それを、事実として認識することはできる。
だが、それでもユリはそれを希望と見ることは、できなかった。
わかっていても、暗い思考は変わらない、少したりとも救われない。
――本当に、助けに来てくれるの?
自分の声が、悪意を滲ませながら問いかけてくる。
そんな風に疑いたくないのに、声はユリが答えを出す前に引き続き問いかけてきた。
――私は、あんな一方的に怒っていたのに。
ああ、そうだ、とユリは思う。
ヴェルディーゼに嘘を吐かれるのがどうしても嫌で、ユリは怒ったのだ。
それから、少し気まずくなってしまったのも、確かな事実で。
――本当は、主様は帰ってこれなかったんじゃなくて、自分の意思で帰ってこなかったんじゃないの?
自分の声からの問いかけに、ユリがビクリと肩を震わせて動揺した。
そんなはずない、とユリは首を横に振る。
だがそれでも、自分の声は問いかけるのをやめなかった。
――本当は、もう。愛想を尽かされていただけなんじゃ……?
ユリが目を見開いた。
そんなわけない、そんなわけないと思考を繰り返しても、一度突き付けられたその言葉が頭から離れない。
どれだけ経っても、その言葉はずっと離れなくて。
その言葉は、少しずつ少しずつ、ユリを追い詰め続けた。
――主様……たすけて。
真っ暗な世界で、ユリはただ独り。
涙が枯れるまで、ずっとずっと、泣き続けた。
ずっと、独りで。




