いざ、西都へ
――帝国歴1921年・冬――
時の祠の封邪法印から解放された堕悪は、背中を伸ばし、バキバキと音を立て、野良犬が人間に進化していくような動きで立ち上がり、俺を強く睨んで、歩いて近づいてくる。
堕悪の中で溜まっていた霊力が膨れ上がるのを感じる。
ただし、堕悪は、縁者の鎖に繋がれたまま、時の祠にぶち込まれていたので、その爆発的霊力が表に出てくることは、なかった。
もしも、今も縁者の鎖に繋がれていなかったら、堕悪は、間違いなく、魂喰らいの能力で俺の魂を吸収しに来ていただろう。
しかし、霊力を使えないことなど、堕悪には、ほとんど関係がなかったようで、堕悪は、迷わず、俺に向かって、跳躍し、頭部を狙って、回し蹴りをくらわして来た。
俺は、それを左腕で受けて、防御したが、霊力で強化していなければ、簡単にその一撃でポキリと折れていただろう。それ程の威力だった。
俺は、踏ん張ったが、両足が地面についたまま、右にスライドした。
「どういうつもりだ!!テメェ!!」
堕悪は、野獣のような目を俺に向け、怒鳴った。
「どういうつもりとは?」
と俺は、静かな目を向け、訊いた。左腕がまだ痺れていた。
「俺を捕まえたのに、何故、すぐ殺さねぇ!!檻に入れて、手懐けて、外に離して、犬っころでも、飼ってるつもりか!!」
「近いな。感覚は、それに近い」
と俺は、答えた。
「ぶっ殺してやる!!」
と堕悪は、俺に襲いかかる。
縁者の鎖に繋がれたまま掴みかかってきた両手を俺は、掴み返して止める。
俺も神災だ。単純な力比べなら、鬼化した人間などに負けない。
「俺を殺したら、名縛りの相互契約で繋がったお前もあの世に道連れになるぞ」
「関係あるか!!なら、死なない程度にぶん殴って、半殺しにしてやらぁ!!」
「面白い。できるものなら、やってみろ」
俺は、半笑いで右拳で堕悪を殴り飛ばした。
堕悪は、時の祠がある岩壁まで吹き飛ばされ、尻餅をついたが、砂埃をあげながら、すぐ立ち上がった。
そして、自らが繋がった縁者の鎖を鞭のように使い、俺の頭部に当てようとした。
俺は、その縁者の鎖を掴み、引っ張った。
鎖と繋がった堕悪は、その勢いで宙に浮き、俺に地面に叩きつけられた。
堕悪は、かはっと息を吐き出し、そこでようやくおとなしくなった。
が、その目は、まだギラギラと俺を睨んでいた。
地面に這いつくばりながら、
「テメェ、いったい、何が目的だぁ?」
と俺に訊いてきた。
「お前と殺し合いじゃなく、話し合いがしてみたくてな」
と俺は、答えた。
「はぁ!!?」
と堕悪は、目を丸くした。
「他に話し相手がいないんだよ。この里に人間でない者は、俺とお前しかいない。外に出て、神災に会っても、皆、理性を失くしていて、すぐ殺し合いになる」
「だから、なんだ?どうして、俺がテメェの話し相手になってやらなきゃいけねぇ?」
黒装束の堕悪は、砂埃をぱたぱた叩きながら、立ち上がった。
「わかりあえると思わないか?人間じゃない者同士」
「思わねぇ」
と堕悪は、即答した。
「だいたい、俺とお前が人間じゃないって、なんだ?俺とお前は、どう見ても、人間だろ?」
「気づいてないのか?俺は、神災でお前は、鬼だ」
「俺が鬼?」
堕悪は、口をあんぐりと開け、しばらく、黙ったが、
「さっぱり、わからん」
と自分なりの結論を出した。
どうやら、自ら望んで、意識して魂を鬼化したわけではないらしい。
だとしたら、元々、ただの人間なら、かなり稀な魂の潜在値を持っていた事になる。
見るからに育ちの貧しそうな男だが、才能だけは、豊かで恵まれていたらしい。
「まぁいい、テメェの魂を食わせろ。鎖を解きやがれ」
「お前は、阿呆なのか?」
とさすがに俺は、呆れた。
「名縛りの相互契約で俺達の魂は、今、繋がっているんだ。俺の魂を吸うのは、自分の魂を吸いあげるようなものだぞ」
「つまり、それは、どういう事なんだ?」
堕悪は、全く、俺が言った事を理解してなかった。やはり、阿呆だ。
「魂喰らいで吸収して俺の魂の残量をゼロにしたら、お前の魂も同時に無くなるということだ」
俺は、阿呆でもわかるようにわざわざ説明してやった。
「つまり、ソウルイーターでテメェを殺したら、俺も死ぬわけか?」
「そうだ。それが名縛りの相互契約というものだ」
俺の言葉にふんふんと堕悪は、鼻息が荒くなり、
「なんて事しやがるんだ!!」
と怒鳴った。
今頃、理解したのかと俺は、無知というものを恐ろしく思った。
「テメェ、俺と喋りたいだけで、なんでこんな仕打ちをしやがる!!」
正直、それについては、あまり理由らしい理由は、なかった。しいて言うなら、退屈が俺にそうさせた。
「悪かった。悪かった。詫びと言ってはなんだが、なんでもお前の望みを叶えてやろう。お前は、何がほしい?」
「決まってんだろ!自由だ!!この鎖を解きやがれ!!」
「わかった。お前に自由を与えてやろう」
「本当だろーな、テメェ!!なら、早くこの鎖を解きやがれ!!」
「ただし、」
と俺は、本題に入る事にした。
「西の都に現れた神災を倒した後でな」
「はっ?なんで俺がそんな事を」
「お前の魂喰らいの能力でムゲンオウなる神災の魂を吸収してほしいんだ」
「だから、なんで俺がそんな事しなくちゃいけねぇんだ!!」
「ムゲンオウは、西の都を炎の海にする程の強力な神災らしい。ムゲンオウの魂を吸収したら、お前は、どれ程、今より強くなるんだろうな?」
堕悪は、俺の言葉にぴくりと眉を反応させ、
「やる!!」
と態度を一変させた。
「そのムゲンの野郎は、どこにいる!?」
「西だ」
堕悪と俺は、雪風が吹きすさぶ中、山を幾つも越えた先の西都を目指した。