第3話「生き様が救う町」
睨み合う十剣士と焔熊。実際に毛皮が燃えているその熊が近づいてくるだけで熱気と威圧が押し寄せる。普通なら逃げるしかないが、エレキにも逃げてはいけない理由がある。怪我人の火傷は幸い重症ではなかった。喉の腫れもさほど酷くない。問題なのは全身の”切り傷”。火事の現場で、こうも全身傷だらけになるものだろうか。仮にあの炎の熊に襲われたとしたらこんな”中程度の切り傷”にはならないだろう。とにかく全身からの出血が酷い。通常の外科手術なら輸血を用意しなくていけないほどに。傷を全部塞いだとして安心は出来ない。
こういう場合は電気治療魔法の電圧を、止血よりも細胞の活性化よりに調節した方がいい。ピンポイントに1つずつ止血してたらきっと間に合わないから、魔法の範囲もより広範囲に。
「グオオオオ!」
焔熊が雄叫びを上げた。エレキに顔を向ける余裕はない。例え焔熊が口から火炎放射を吐いたとしても。
「術式『守護』!断空!」
歴史の授業で習ったことはある。その昔、剣士達には妖怪と戦う為の術があったと。エレキに火炎放射は届かなかった。エレキに顔を向ける余裕はない。十剣士の目の前には”見えない壁”が作られていた。
起源は陰陽道。それと剣術を組み合わせて生み出されたのが「術式剣道」。
「術式『霊刀』!水斬り」
「グオオオオ!」
その声は弱々しかった。踏み込んで振り上げられた刀には、水が纏っていた。まるでバケツから水を撒いたようにバシャッと太刀が入る。
「蛟!」
刀に纏った水は水流を生み出した。熊に襲い掛かった水流はまるで蛇のようだった。強烈な水圧。そんな噛み付くような放水に熊は雄叫びを上げる。その直後だった、突風が十剣士とエレキに襲い掛かったのは。エレキは少しだけ顔を向けた。バチンッと小石が弾けた。
「いてっ」
気が付くとエレキの肩から血が出ていた。
「これは、風・・・いやただの風じゃない、まさかこの方はこの風で」
「なるほどな・・・」
十剣士は呟く。
「風鳥か」
焔熊の頭上には悠然と飛び回る巨大な鳥、風鳥がいた。
「火の回りが早い訳だ。ならば、術式『憑依』!大蛟!」
刀から水が溢れていく。それは激しい水流となり、十剣士を覆い尽くす。水を纏った十剣士の動きは最早水鉄砲の如く、その剣捌きは滝の如く。焔熊は鎮火され、風鳥は墜落した。俊敏で美しい勝利を前にエレキはハッとする。
「あの、怪我人を運んでください!」
脅威は去った。だから後は怪我人を。
「断る」
「え・・・」
「町の鎮火が先だ」
刀に水を纏わせたその十剣士はエレキに振り返ることもなく歩き出す。エレキにはその背中が何とも冷淡に見えた。
「あなたが異国の魔法使い?」
「え?」
燃える町の中で冷静に話しかけてきたのは、魔法創会の家紋が付いた服を着た女性だった。
「はい・・・」
「エレキ!」
「あ、クラマさん!この方を安全な所まで運んでください。応急処置は済みました」
「おう。ってどこ行くんだ」
「まだ助けられる人がいるはずです」
炎の町を駆けていくエレキ。やがてとある通りに差し掛かる。そこには見渡すだけで10人以上の怪我人が倒れていた。煙に咳き込むエレキ。でも足がすくむなんて、あり得なかった。
「大丈夫ですか!分かりますか?」
微かに意識がある中年女性。虚ろな眼差しで返事は出来なかった。
「今助けます!頑張って下さいね」
それからしばらくして町は鎮火した。そうなってようやく魔法創会の面々が怪我人を運び始める。全焼の家屋は多数。死者も少なくない。死者をまた1人運び終えたクラマはふと十剣士の1人、川佐木ブライを見かける。何となく追いかけると、ブライはエレキに近付いた。
「お前は死にたいのか。火の中に自ら飛び込もうなど」
「それでも――」
国立魔法創会大学電気治療魔法学科の学長、天勇堂ハルカは有名な魔法治療士である。32歳の時に雷属性魔法を治療に転用する研究を始め、5年後に電気治療魔法学科を設立した。数々の戦地での治療士キャリアを持つ彼女は、世界治療士協会最優秀治療士賞を取った時、名言を残している。
「そこに私がいて誰かを救えるのなら、それが私の喜び」
「それでも誰かを助ける事が出来るなら、どこへでも行きます。それが僕の生き様です」
「・・・ふんっ」
颯爽と去っていくブライ。その背中を見つめていたエレキは急にふらついた。慌てて肩を支えるクラマ。
「おいおい、お前はもう休め」
エレキはしょんぼりしていた。全焼した家々の跡を搔き分けて作った臨時の治療場。ここはまるで大学の研修でやった、戦医体験の現場にそっくりだった。戦場では医療機器が何もない場合だってある。
「皆さーん、お茶ですよー!」
ユウアの声が高らかに響く。近所の人達が協力して作った沢山の麦飯おにぎりが届いた。おにぎりと麦茶と、戦医。ここではずっとこうなんだと思うと、友達の顔が浮かんだ。みんながいてくれたら、もっと沢山の人達を救えたのに。
「あなたはすごい」
エレキが顔を上げると、目の前には先程の魔法創会の女性が立っていた。
「あなた1人の力のお陰で、普通だったら助からない人が沢山助かった。しかも怪我人の回復が早い。そのお陰でより沢山の人に手が回る」
「どうも・・・」
「私はコーチェラ、名前は?」
「エレキです」
「それに、あなたの言葉には胸を打たれた」
「え?」
「実は聞いてたんだ。さっき川佐木に言い返してたこと」
「あれは先生の言葉です。僕の言葉じゃありません」
「良い先生なんだね」
「誰かこの子を!」
治療場に子供を抱えた男性がやって来た。6歳くらいの少年は気を失っていた。少年を下ろすと剣士の男性はまた誰かを連れてくると言って去っていき、エレキは瞳を点灯させる。全身の細胞をやんわりと活性化させると少年はすぐに目を覚ました。
「大丈夫、大した怪我じゃないよ」
「母ちゃん・・・」
「お母さんが来るまでここで待ってて。きっとすぐに」
「死んじゃった」
「え・・・」
「妖怪に、殺された・・・うぅっ・・・うぅっ」
子供は静かに泣き出し、エレキは絶句した。そこにブライが怪我人を運んできて、コーチェラと男性治療士が対応する。
「剣士・・・」
「ん?・・・」
近くを通りかかったブライに少年は手を伸ばした。ゆっくり立ち上がってブライの裾を握りしめる。
「母ちゃんを殺した妖怪を、殺して」
「心配するな。妖怪は殺した。仇は討った」
「オレに、剣をくれよ。絶対に剣士になって妖怪を殺すんだ」
「良い気概だ。頼もしいな」
「憎しみに囚われたって、苦しいだけだよ。仇は討たれたんだから、もう苦しまなくたっていい」
少年に言ったつもりだった。でもエレキの胸ぐらを掴んだのはブライだった。
「貴様は甘い。どれほどの人間が妖怪に殺されたと思ってる。此度の火事で怪我を負い、家を無くした者達に同じことが言えるのか」
「そ、それは・・・でもまだこんな小さい子供が、憎しみだけで生きていくなんて」
「憎しみじゃない」
「え・・・」
「妖怪を殺すのは、町の者達の生活を護る為だ。生き様だ。妖怪はただの害だ」
静かに燃え盛る気迫の形相だった。エレキは言葉も失ったし、腰も抜けた。
歴史の授業で何度も習った。人間と妖怪の戦争は遥か昔に終わっている。妖怪の全滅によって。これが歴史なら仕方のない事なのかも知れない。でも今目の前で、ありふれた幸せを捨てようとしている少年を放っておいていいのだろうか。本当に何も出来ないのだろうか。
「おうエレキ、ちょいと頼まれてくれないか?」
クラマに頼まれて魔法創会に向かうと、ネコ顔の妖怪はまだ何かを煮ていた。
「ん、どうしたー?」
「クラマさんに、湿布の為の薬草と丸薬を取って来いと言われまして」
「丸薬かぁ、ふがふが、もう出来たのかな」
「え?丸薬って、これ?」
「そだよ。これを濾して、丸めて乾燥させるの」
「じゃあまだ全然出来てないですね。湿布の薬草ってどこですか?」
「そっちのあっち」
「え?」
「あれどっちだっけ」
そんな時に奥からやって来たのは割烹着を着た、ケモノ耳のすごく美しい女性。壁付の木棚に向かった女性には9本の尻尾があった。
「あら、切らしてるじゃない。摘んどいてって言ったのに・・・まさか、摘んだやつ全部煮てないでしょうね」
「あったやつ入れちゃった」
「まったくもう。こっち来なさい」
九尾の女性に手招きされて、エレキは魔法創会の奥へと進んでいく。酒造のような雰囲気の空間を抜けると広い中庭があって、まるでハーブ農園のように沢山の植物が育てられていた。
「んおっ知らない人間じゃねえの。誰だ?」
生い茂った薬草からひょっこり顔を出したのは、ふんどしを着けた二足歩行をするタヌキだった。
「そういえば名前は?」
「エレキです」
「あたしは、ハル。そっちのおじさんがもみ爺。玄関にいるのがふきち」
エレキはますます混乱した。剣士達は何故ここの妖怪には手を出さないのか。
「あのどうして、妖怪は人間を襲うんですか?やっぱり仲良くできる僕達がおかしいんでしょうか」
「あなたひどいこと言うわね。妖怪がみんな同じな訳ないじゃない。国も違えば考えも違う。さっき火事を起こした輩は、別にあたしたちとは縁もゆかりもない」
「すいません。そうですね。でも僕は小さい子供が妖怪を憎んで生きていっていいのかなって思って。でも剣士の方は、妖怪を殺すのは町を護る為で生き様だって」
「そりゃ生き様なんて人それぞれでいいんじゃないかしら」
「だからって、憎しみを肯定するなんて」
「あなたは優しいのね。はい、薬草」
「ありがとうございます」
臨時治療場への道すがら、エレキは決意を固めた。治療場にはまだあの少年がいた。小さな木刀を振っていた。
「名前は?」
「コジロウ」
「コジロウ。妖怪の中にも良い妖怪だっているんだ。妖怪がみんな悪い奴じゃないよ」
「だから何だ」
蹴り飛ばされたエレキ。その人はエレキが治療した男性だった。
「ふざけんなよ。妖怪の肩を持つのか。オレだって家を失った」
「そういう訳じゃ。でも、子供が憎しみで生きるなんて可哀想じゃないですか」
「だからだろ!こういう子を出さないために妖怪は殺さなきゃならねんだ」
「貴様も、魔法創会の妖怪とつるんでいるのだろう」
パッと振り向いたエレキ。刀のように鋭い声はやっぱりサイオンだった。
「何故そこまで妖怪の肩を持つ」
「僕だって、剣士だったら妖怪を殺してます。あなたも法を犯して誰かを傷つけた人間は打ち首にして殺しますよね?人間も妖怪も同じです」
「同じな訳ないだろ!」
反論したのは治療した男性。
「あいつらは問答無用で火を放ったんだぞ。何が人間と同じだ!」
エレキの脳裏に浮かび上がったのは、歴史の教科書に載っている人間同士の戦争の話。
「この国だって、違う国の人間と戦争してるんじゃないんですか?」
「そりゃあ・・・」
「なるほど。一理ある。だが、目の前の仇を討たずしてどうする。仇に何もせず、領土も命も明け渡せと?貴様は出来るのか?」
「それは・・・」
「この世は、戦わずして生きることは叶わぬ。貴様のような腑抜けがいては剣士が育たぬ」
「そうだそうだ!」
とぼとぼと草湯に帰ってきたエレキ。そんな意気消沈した姿にヨモギは首を傾げた。中庭で大きく肩を落としてしょんぼりしているエレキに、ユウアは麦茶と草団子を差し出す。
「元気出して下さい。剣士の方々には剣士の生き方があるだけですよ」
「生き様って何なんでしょう。あんな子供が戦う為に生きるなんて」
「お前、分かってないよ」
振り返ったエレキの隣に座り込むイオス。
「オレはずっと戦争してたから少しは分かる。生き様は、救いなんだ」
「救い」
「不幸とか憎しみとか、それはどうしようもない。防げない。生き様がそれを消化させてくれるんなら、それでいいんじゃないか?」
「・・・そう、なんですかね。でも僕は治療士だから。傷付く人を放っておけません」
「ヒーラーだったらパーティーにも居たな。オレが誰かをボコボコにするといつも怒ってた。でもその度に治すのが生き甲斐だって言ってたな」
「治すのが生き甲斐・・・」
エレキが町を歩けば、何となくヨモギが隣を歩く。全焼した町並みを男達が片付けていく。まるでいつもの事だと言うような慣れた動きだった。隠れる場所とか、ちょうどいい生垣とかないから、ただ遠くから、エレキはコジロウを眺めた。スポ根アニメみたいに、ひたすら素振りをしていた。エレキは決意した。少年を見守ろうと。
夕方、エレキは露天風呂に入っていた。隣にはクラマもいる。
「ふきちが作ってる丸薬って何の薬ですか?」
「それは作ってから決めるってよ」
「え・・・」
「あっはっは。ふきちはほんと何考えてるか分かんない奴だからな。確か、1週間前からやってんだよな」
「そんなに」
「で?どうなんだよ」
「え?」
「少年の事だ。コジロウっつったか」
「・・・見守ろうと思います」
「そうか」
「賢明だな」
「お、サイオン」
「サイオンさん、約束して下さい。コジロウくんを、憎しみに支配されない立派な剣士にすると」
「・・・当然だ。貴様に言われるまでもない」
脱衣所でエレキは牛乳を飲み干した。少し頭がすっきりした。僕は、治療士として、剣士の生き様も尊重しなきゃいけない。それは大学でも習った事だ。
「常に公平に、平等に。権威に屈せず、誰にでも手を差し伸べよ。そして目の前の命を尊重せよ」
教室、廊下、食堂、どんなところにも貼ってある。電気治療魔法学科の理念だ。ヒーラーとは、使われる者ではなく施す者であり、決して人を差別せず、傷つけず、正義を持って治療を武器として戦う者の事を言う。きっと学長があの天勇堂ハルカだから、こういう環境でもアグレッシブに動ける治療士を育てようという方針になったんだろう。
翌日、朝からエレキは張り切ってヒーラーを全うしていた。高齢者へのマッサージ、訪問治療、そして妖怪の襲撃による被害者への治療。毎日というわけではないが妖怪は頻繁に襲撃に来る。今日は狼男のような猛獣だった。人々は辻斬りにでも遭ったように酷い切り傷を負った。ヨモギに案内されてエレキがやって来た頃にはもう妖怪は退治されていた。
「今治しますから、頑張って下さいね」
若い剣士も深い痛手を負っていた。だからエレキは当たり前のように剣士に近付く。
「寄るな!妖怪とつるむような奴に手当てされたくないわ!・・・うっ」
脇腹を刺されていた。恐らく何もしなければ、出血多量で命はない。
「僕は治療士です!権威に屈せず、どんな人にも手を差し伸べます。あなた方が何百回傷を負っても必ず治します。それが僕の生き様です!」
両眼に閃光を灯した青年の眼差しには覇気があった。それは手負いの若い剣士を黙らせるくらいの迫力があった。
「ふふっ」
若い剣士とエレキが顔を向ける。清瀬エンユウは穏やかで隙の無い笑みを構えていた。
「へえ。お前さんが例のねえ。いいから治させてやんなよ」
「しかし」
「剣士だって使い捨てじゃないんだ。利用できるものはするんだよ」
「・・・はい」
まるで盆栽の品評会を楽しむように、エンユウは電気治療魔法を傍観する。時を同じくして帝都十剣士の宿舎、その庭先でコジロウは一生懸命に木刀を振る。その幼い剣術を、サイオンは兄のように厳しく傍観していた。
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