冬の訪れ
閲覧いただきありがとうございます。
気づけばもう冬ですね。時の流れの早さに戦慄しております。
親愛なるお姉様へ
最近は王都も夜となると、酷く冷え込むようになってきました。もうすぐ冬ですね。
遠い北の地で暮らすお姉様はいかがお過ごしでしょうか。そちらはもう雪が降り始めていますか? 厳しい地で初めての冬を迎えるお姉様が心配でなりません――。
レミリアはそこまで読んで手紙から顔を上げた。机に手紙を置くと、固く閉ざされた鎧戸に手をかける。
重い窓を開いた先に広がっていたのは雪景色だった。風もなく、しんしんと降る雪は暫く止みそうもない。きっと明日まで降り続いて、彼女の暮らす砦への道を隠してしまうだろう。
この雪が降り出す前に手紙や物資が届いてよかったと思う。少なくとも荷運びの人足が遭難せずに済んだ。
雪を含んでずっしりと重い雲を見上げ、冬の女神が暮らすと言われる夏でも雪に覆われる山を見て、レミリアは自分の暮らす部屋へ視線を移す。
堅牢ではあるが、あまり住むには快適とはいえない石造りの部屋は、火の気もなく冷え切っている。
元々、有事の際に使うことを想定して作られた砦だから、暖炉などというものすらない。そもそも百年近く放置されていた、見捨てられた場所なのだ。
そんな、人が暮らすには適さない場所に、何故レミリアがいるのかと言えば、罪人だからである。
レミリアは約半年ほど前まで、公爵令嬢という身分にあり、なおかつ王太子の婚約者だった。
夏至祭の日に婚約を破棄され、さらには罪人になってしまったのである。その罪は自分の義妹をいじめ、さらにはならず者に襲わせて殺そうとした殺害未遂だ。
レミリアにはまったく身に覚えのない罪状だが、証拠はいくつもあったため、否定できなかった。そもそも、レミリアに抵抗する気がなかったのだ。
いつか、こんな日が来るとわかっていたので。
わたくしは今、王太子妃となるための勉強の毎日です。
お姉様はいつもこんなに大変な思いをされていたのですね。同じ立場になってみて初めてわかりました。
わたくしは講師の方の課題を熟すのも手にあまり、よく叱られてしまいます。けれどもミヒャエル殿下がいつもわたくしを気遣ってくれるので、なんとか続いています。
殿下はさらに少しでもわたくしの負担を減らそうと講師の方にかけあってくださいました。殿下の深い愛に包まれ幸せです――。
窓を開けたまま、レミリアは手紙の続きを読む。内容は姉を気遣う健気な妹、を装った自分がいかに婚約者に、家族に、臣下に寵愛されているかという自慢だ。
レミリアは無感動にそれを読み終えると、丁寧に畳んで封筒に戻した。
義妹は、レミリアの父である公爵が再婚した女性の連れ子である。以前はいずこかの伯爵家の令嬢であったらしいが、興味がないのでよく知らなかった。
義妹はいかにも人好きする、愛らしい外見をしているが、その内面は貴族らしい強かな女性だ。無邪気で頼りなげな性格を装い、たちまち父や使用人に取り入って、社交界でも評判の令嬢となった。
一方レミリアはいつも無表情で老婆のような白い髪に赤い瞳という不気味な色彩故に、あまり評判は良くなかった。
だからあの日、大衆はみな義妹の味方をし、レミリアを断罪したのだ。
義妹が裏でレミリアに罪を着せる工作をしていたなど、誰も気づかなかっただろう。そして今も、北の辺境へ流罪となった姉を気遣う健気な妹を装い、彼女への物資を半分以下に減らしているなんて、考えもしないに違いない。
今この砦にある食糧はギリギリ冬を越せるかどうかだ。こうして雪に閉ざされてしまった以上、雪解けまでは何も届かない。
そして、この雪なのに、砦には薪の一本もない。死ねと言っているようなものだ。
義妹は多分誰にも命令などしていないはずである。ただ、義妹を慕う信奉者たちがそう動くように誘導しただけ。そういうやり方が、昔からうまかった。
もし春にレミリアの死体が発見されても義妹は美しい涙を流して見せて、周囲の同情を買うに違いない。
絶対に、そんなことにはならないが。
ぴゅう、と窓から風と共に雪が吹き込む。レミリアは耳を澄ませた。
彼女を呼ぶ声がする。それはレミリアにしか聞こえない声だ。
冬の始まりを告げる、雪の精霊の声だった。レミリアは瞼を閉じて、過去に想いを馳せた。
雪深いこの国で一年のうち、一番長い夜を迎える冬至。
必ず雪が降るその日の夜に、冬の女神は新しい雪の精霊を生む。人の作る雪像を気に入った女神は、いつからか雪だるまや雪うさぎに命を吹き込み眷属にするようになった。だから、その日は子供たちがこぞって降ったばかりの雪を使ってそれらを作るようになった。
レミリアもある年の冬至に、そうして生まれた精霊のひとりだった。
彼女を作ったのは、婚約者だったミヒャエルだ。
冬至の日、まだ子供だったミヒャエルは朝に降った初雪で夜遅くまで彼女を作っていた。
泣きながら。
ミヒャエルは第一王子である。正妃の唯一の子供で継承順位は第一位。未来の国王だ。だが、その家庭環境は、決していいとは言えない。
国王夫妻は政略結婚でその関係は冷え切っていた。
国王は側室を寵愛しており、その子供たちのことは愛していたが、ミヒャエルには無関心。王妃も愛人に夢中で子供のことなど眼中にない。ミヒャエルは孤独だった。
誰にも吐き出せないミヒャエルの苦しみの涙をたっぷり吸って作られたのが、雪うさぎのレミリアだったのだ。
小さな子供の悲しみでできた彼女を冬の女神が気に入って、レミリアは精霊となった。
きっと、ミヒャエルは遅くまで雪遊びをして体調を崩せば、両親のどちらかが心配してくれると思ってそんなことをしたのだろう。
けれども、冬至の次の日、熱を出したミヒャエルの元に来たのは使用人と宮廷医だけだった。
見舞いの手紙すらなく、ミヒャエルはまたひとりで泣いていた。精霊となり、本物のうさぎに近い姿になったレミリアは、陰からずっとそれを見ていた。
本当は、冬至に生まれた精霊は真っ直ぐ冬の女神の元へ行かなくてはいけない。でも、涙を拭う人すらいない孤独な少年をおいて行くことなど、レミリアにはできなかった。
ミヒャエルのおかげでレミリアは生まれたのだ。苦しむ生みの親をおいてどこに行けるだろう。
レミリアはミヒャエルの前に姿を現した。
ミヒャエルは初めは驚いたものの、人懐っこい野生のうさぎだと思ったようで、ペットとして彼女を可愛がった。
彼女にレミリアと名づけ、手ずから世話をした。柔らかなブラシでレミリアの毛並みを整え、首輪代わりに金色のリボンを結び、夜は同じベッドで眠った。
レミリアにできることは何もなかったが、ただいるだけでミヒャエルは笑ってくれるようになった。
嬉しかった。
ただ、それも一冬の間のことである。
冬至に生まれ、冬の女神の元へ行かなかったレミリアは春になったらどうなるか、わからない。
もし、雪のように消えてしまったら、ミヒャエルはどうなってしまうのか。また泣いてしまうのだろうか。想像するだけでレミリアも悲しくなる。
だから、レミリアは春になる前に冬の女神の元へ行くことにした。ほんの少し留守にして、女神にミヒャエルの側にいる許可を貰って帰って来ようと思っていた。
けれども、許して貰えなかったらどうしよう。
そう不安になりながら北風に乗って城を出たレミリアの耳に、慟哭の声が届いた。誰かの死を拒否する声だ。レミリアは思わずそこへ向かっていた。
その邸は、王都でも随一の大きな家だった。
住んでいるのはミヒャエルほどではないにしても、偉い人間だと、レミリアは知っていた。そこで、命尽きようとしている人間がいた。
その子は、幼い少女だった。ミヒャエルと同じくらいの年頃の、可愛らしい子供。今にも死出の旅に旅立ちそうな少女に取り縋るのは、父親だと思われる男だ。
どうも、少し前に彼は妻を亡くしてしまったらしい。その年はたちの悪い風邪が流行っていた。妻がその病に罹って亡くなり、娘もまた同じ病で死のうとしている。
レミリアがその邸に着いてすぐ、少女は息絶えた。泣き叫ぶ父親を前にレミリアは、あることを思いついていた。
レミリアはずっとうさぎの自分に不満があった。人のように話すことも、抱き締めることもできないこの身体。ミヒャエルの孤独を少し埋めることはできたが、まだまだ足りないと感じていた。
でも、人になれば。
この空の器があれば。
ミヒャエルをもっと笑顔にできるのではないか。
そう思うと同時にレミリアは幼い少女の亡骸の中へ飛び込んでいた。
翌日からレミリアは亡くなった少女に成り代わった。
ただ、名前はミヒャエルに貰ったレミリアを名乗ったし、容姿も髪は白に、瞳は赤色に変わってしまっていたが、特に追い出されることもなく、「お嬢様」として扱われた。
レミリアは精霊だから、人間の認識を歪めてしまったのかもしれない。
ただ、父親である男はレミリアに興味を示さなかった。自分の娘ではないと、無意識に理解していたのだろう。
けれども、レミリアが望んだら、ミヒャエルとの婚約を纏めてくれた。
彼女が溶けて消えるかもしれなかった春に、レミリアはミヒャエルの隣に戻れたのだ。
レミリアは本当に将来ミヒャエルと結婚するとは思っていなかった。ただ、この孤独な少年が独りでなくなるまで、隣にいたかっただけなのだ。
それだけの、はずだった。
声が聞こえる。
怒りの声だ。目覚めた冬の女神が怒っている。決まりを守らなかった精霊が、彼女の根城の近くにいると。
王都に暮らすレミリアは、冬至の夜だけ気をつけていれば、女神の目を誤魔化せた。でも冬の女神が座すこの地では無理だ。冬の到来とともに、今までの罰を与えに女神が来る。
当然のことだった。レミリアが生まれたのは冬の女神の手伝いをするため。毎年雪を降らせるためだったのに、その命をミヒャエルのために使ったのだ。
赦しを乞うことすら許されない。
びゅうびゅうと風が吹き込む。ばちばちと雪が身体にぶつかり張り付く。
彼女と同じ、雪の精霊たちに見つかったようだ。彼らはレミリアを女神の元へ引っ立てるだろう。レミリアは窓辺に立ち、その時を待った。
静かに瞼を伏せ、首元へ手を添える。そこには強い風に弄ばれるミヒャエルに貰った金色のリボンがあった。
眼裏に浮かぶのは、ミヒャエルの姿だ。幼い少年が、みるみるうちに成長して大人になっていく。
始めは優しかったミヒャエルが、レミリアを疎むようになったのはいつからだっただろう。笑ってくれなくなったのは、代わりに義妹に微笑みかけるようになったのは、いつの頃からだっただろう。
それは、喜ぶべきことだった。人間ではないレミリアより、義妹の方が将来共に歩む相手に、ずっと相応しい。義妹は少し腹黒だが、それくらいの方がミヒャエルの立場からするとありがたいはずだ。
義妹以外にもミヒャエルの周りには彼を支える者が増えた。孤独な少年はもう、どこにもいない。
なのに。
どうしてレミリアの胸は軋むのだろう。
彼女だけに優しくしてほしいと願う訳は。
笑顔を独占したいと思ってしまう理由は。
ミヒャエルが幸せであるだけで嬉しいのに、そこにレミリアが必要ないとわかって泣きたくなるのは。
どうしてかしら?
びゅう、と、一際強い風が冷たい石造りの部屋に吹き込む。次の瞬間には、雪のような令嬢の姿は消えていた。
首に結ばれていた金のリボンがふわりと床に落ちていた。
◇◇◇
北の地の雪解けは遅い。王都ではすっかり春めいて花で溢れる頃になって、やっと雪の下から野花が顔を出す。そんな季節にミヒャエルは北の辺境を訪ねていた。
元婚約者の安否を確認するためである。昨年婚約破棄をしてこの地にある古い砦に幽閉した元婚約者、レミリアは雪のせいで一冬孤立していた。一応冬籠りができるくらいの物資は運び込まれていたようだが、生存が危うい。
何より、何故か誰もがレミリアのことを忘れていて、春になってもしばらく彼女の元へ行く者がいなかったのだ。
ミヒャエルは驚愕した。
彼の今の婚約者はレミリアの義妹である。彼女は血の繋がらない姉を心配して、よく手紙を送っていた。なのに、レミリアのことを何ひとつ覚えていない。
「わたくしのお姉様にあたる方はいらっしゃいますけれど、その方は父の前の奥様と同じ病でお亡くなりになっていますわ」と言われ、ミヒャエルは混乱した。
調べてみれば確かに公爵家にレミリアと同年の娘はいたが、十年前に亡くなっている。それに、名前がそもそも違った。
では、レミリアは。
十年近くミヒャエルの婚約者だったレミリアは何者なのか。
不安に駆られたミヒャエルは早急にレミリアの流刑地を訪問し、半年近く彼女が放置されていたということを知った。そして今、レミリアがいるはずの砦に来ている。
かつて戦で使われたきり放置されている古い砦は、小高い丘の上に建つせいか、ここだけまだ冬のような寒さだった。ただ、誰かがいた証拠とばかりにまだ新しい保存がきく食糧があり、比較的埃も積もっていない。
これにはレミリアを忘れ、何故こんなところへ来たのかと不思議そうな顔をしていた従者たちも驚いていた。国境に近いことから他国の者が侵入していたのでは、とピリついている。
元婚約者がここにいると、ミヒャエルは何度も説明しているのだが、彼らは忘れてしまったらしい。ミヒャエルはもう説明を諦め、ひとりでレミリアを探すことにした。
冷たい砦には人の気配はなく、食糧も残っていた。レミリアは冬になる前にここから逃げたのだろうかと、考えながら部屋を巡る。
そのうちに、扉の開いた部屋を見つけた。恐る恐る覗き込むと鎧戸が開け放たれており、まだまだ冬の気配が残る冷たい風が吹き込んでいた。
椅子や机、ベッドなど最低限の家具が置かれたそこは、冬の間もずっと窓が開いていたのか、酷く荒れていた。でも、少しだけ人の生活の名残りを感じる。レミリアが使っていた部屋なのかもしれない。
けれど、室内に残されたものは本当に最低限だ。手紙らしきものを見つけたが、雪で濡れたのか、皺くちゃで文字も滲みきっている。レミリアの所在に関する手がかりにはならなそうだ。
他に何かないかと殺風景な部屋を見回して、ミヒャエルはそれを見つけた。
窓の下に、金色のリボンが落ちている。
古い、使い込まれたリボンだ。その上、雪や風のせいで劣化が激しく、色褪せて随分と草臥れている。
汚らしいそれをミヒャエルは躊躇いもなく手に取った。
このリボンに見覚えがあったのだ。
金色のリボン。彼の髪と同じ色のリボン。それはいつもチョーカーのようにレミリアの首に巻かれていた。大切な宝物だといつか言っていた、使い込まれたリボン。
そう、それと同じものを、もっと昔にミヒャエルは見たことがあった。だって彼が用意したのだ。
ミヒャエルの、初めての友達。まだ子供だった頃、熱で苦しむ彼の枕元にいつの間にかいた赤い目をした白いうさぎ。
ミヒャエルによく懐いたそのこを、使用人が勝手に部屋から追い出さないように、友達の証として首輪の代わりにリボンを結んだ。
冬の終わりに忽然と姿を消したあのこと入れ替わるように、春の始めにレミリアを婚約者として紹介された。あのこと同じ赤い目に、純白の髪、そして彼があげたものとよく似た金色のリボン。
何より彼がつけたレミリアという名前。
ミヒャエルは呆然と窓辺に立ち尽くした。こんなにも符牒があるのに、どうして今まで気づかなかったのだろう。レミリアは彼の。
びゅう、と強く風が吹く。
窓の外に広がるのは、夏でも雪で閉ざされた冬の女神が座すと言われる山だ。そこからの風に乗ってくるのか、雪片がちらちらと吹き込んでくる。
そのひとつが偶然、リボンを持ったミヒャエルの手に落ちて、瞬く間に溶けて消えた。
どっと涙が溢れる。レミリアの記憶が鮮明に甦った。
孤独な彼に寄り添ってくれた小さなうさぎ。その消失を悲しんだ直後に現れた、うさぎを思い出させる可愛らしい少女。
ミヒャエルはレミリアが好きだった。父にも母にも無視される彼を最初に見つけてくれたのは紛れもなくレミリアだ。
レミリアと一緒に遊び、学び、沢山の言葉を貰っているうちに、いつの間にかミヒャエルは認められ、沢山の人に囲まれるようになった。
そして、その人々に追いやられるようにレミリアは遠くなって、いつしか存在を忘れていった。
最後にレミリアと会話したのはいつだったか、もうミヒャエルには思い出せない。婚約破棄の時は彼が一方的に罵っただけだった。
そんな彼を、レミリアは最後まで憎むことなく、寂しそうな表情で見ていた。
昔はあんなによく笑っていてくれたのに。
雪交じりの風が吹く。それはミヒャエルの胸にぽっかりと開いた大きな穴を意識させるような冷たさだった。
「レミリア……」
――ミヒャエル様。
そんな幻聴がよぎる。返事があるはずがない。
この世のどこにも、彼の初めての友達は、大切な女の子はいないのだと、痛いほど理解していた。
最後まで読んで下さりありがとうございました。