第七話 剣仙の皇子と紅い瞳の姑娘
宮中には眉目秀麗な貴婦人は数多いる。
そうでなくとも皇子である刀夜は華美に着飾った姑娘達からよく言い寄られているのだから、彼の周囲に麗しい花には事欠かない。
だが、蝶や花と戯れ浮き名を流すより、刀夜は剣を振って切磋琢磨する方を好む。そんな彼は名匠の刀剣に目は無いが、今まで綺麗な花に心が惹かれた事は露ほども無い。
そんな刀夜が周囲の状況が目に入らぬほど一人の女性に魅入ってしまっていた。
纏っている深衣は所々ほつれ、顔を見れば化粧も施していない。だが、身形こそ粗末だが、内から気品が溢れ出ている。手入れをしていない筈の肌は抜けるように白く、屋敷から滅多に出ない姑娘達より艶めかしい。
(俺は何か怪しげな呪術を掛けられたのか?)
未だ嘗て経験が無い自分の心境の変化に刀夜は戸惑った。だが、どう抗おうと刀夜は己の視線をその姑娘から剥がせない。
むしろ、意識すればするほど引き込まれた。
その瞳に……意志の強い輝きと神秘的なまでの美しい紅に……
(紅い瞳!?)
刹那、呪縛から解き放たれたように刀夜は我に返った。
(どこぞの候家の姫君か?)
高位貴族の尊顔を拝謁する機会の無い庶民には知られていないが、伯家以上の家柄では代々受け継がれる瞳の色が家名となっている。
紅い瞳を持つのは公家の下に位置する候家の紅陽家、紅月家、紅星家の三家である。因みにこの三家を合わせて紅三家と呼ぶ。他に翠三家、碧三家が存在し、合わせて九候家が日輪の国の候家である。
だが、高位貴族の女なら刀夜は既知の筈だが、目の前の夭い娘に見覚えがなかった。
(庶子だろうか?)
隠し子の可能性はある。
妻に内緒で手を付けた女が孕んでしまい、止むを得ず屋敷から追い出した不埒な話は枚挙に暇が無い。
(だが、それなら多少なりとも路銀は融通するだろう……あまりに見窄らしい)
月門に住む邑娘でも衣服はもっと上等なものを着ている。だと言うのに紅眼の娘が纏う深衣は襤褸に過ぎる。
「双方とも引け!」
夏琴の怒声が思考の海に沈む刀夜を現実へと引き上げた。
未だに矛を収めぬ邑の衛兵と思しき男達とその一人を足蹴にする白き虎に夏琴が割って仲裁する。
「魔女を前に武器を下ろせるか!」
「そうだ、こんな大妖を連れているんだぞ!」
「だいたい最初に我らを襲ったのはこの魔女だ!」
「だから私は何も知りませんと申し上げているではないですか」
男達の誹謗に紅眼の娘は顔を曇らせた。
「何をぬけぬけと!」
「幾人も怪我人がいるんだぞ」
「現に我らの仲間を人質にしているだろう」
「巫山戯るな!」
「蘭華の言い分を聞かず一方的に襲ってきたのは汝等の方であろう」
いきりたつ邑人達に白き虎と赤い馬が吠えた。
「虎と馬が喋った!?」
夏琴は人語を操る獣達に度肝を抜かれ、それ見た事かと男達は得意顔となった。
「これで分かっただろう」
「この魔女はこの妖魔共を使って幾人もの邑人を害したんだ」
夏琴はどう場を収めるべきか判断に迷い困り顔を刀夜へ向けた。
「刀夜様、もしや例の魔女とはこの姑娘では?」
耳打ちしながら人語を解する虎と馬へ夏琴はちらとらと視線を送る。彼は白い虎が窮奇ではないかと目で問うているのだ。
だが、大儺の儀――十年に一度行われる宮中の厄災を祓う儀式で十二獣を刀夜は見知っている。目の前の純白の巨虎は窮奇ではない。
だから、静かに刀夜は首を横に振った。
「噂の魔女は彼女かもしれんが邑人を害した犯人ではないだろう」
刀夜の見るところ紅眼の娘は恐らく導士だ。どうして魔女と詰られ邑人から敵視されているかは知らない。だが、刀夜には彼女が悪しき者とは思えなかった。
(それに彼女が連れているのは妖魔ではなく霊獣だ)
皇族の刀夜は霊獣と接する機会が多く、霊格を感じ取れ霊獣と妖魔の区別がつく。だが、只人の邑民にはその見分けは普通できない。
「妖魔を殺せ!」
「魔女を追い出せ!」
「そうだ、俺達で邑を守るんだ!」
男達が血気にはやり今にも襲い掛かりそうだ。
刀夜はやって来たばかりの他所者で事情が分からない。加えて窮奇を秘密裏に探っている最中である。
あまり目立ちたくはないだけに、刀夜は首を突っ込むべきか悩んだ。が、娘の紅い瞳に諦念の翳りを捉えた時、彼の迷いは吹き飛んだ。
「そこまでにしておけ」
どうしても放って置けなくなり刀夜は一歩前に出た。
娘がこのまま儚く消えてしまいそうで、彼女を失いたくないと刀夜は思ったのだ。