第四話 常夜の魔女と二人の武人
芍薬の身体が細長い紐のように伸びると螺旋状に槍に巻き付いた。
「うわっ!?」
槍を絡め取られた若者は躓いて無様に倒れてしまった。彼はすぐに起きあがろうとしたのだが、背中に何かが乗っかって身動きが取れない。
「な、何だ?――って、と、と、虎ぁ!?」
首を巡らせれば、そこにいたのは白い巨大な虎。その前脚を彼の背中に乗せ動きを封じていたのだ。
人間など容易く引き裂きそうな鋭い爪、全てを噛み砕きそうな恐ろしい牙、普通の虎より一回りも二回りも大きな身躯。
「蘭華はやってないと言ってるだろう!」
その声は小さい猫だった芍薬のもの。
この雄々しく白い虎こそ芍薬の本性。
最強の瑞獣である四神が一柱――白虎。
芍薬は一声吼え、男を抑え込んだまま牡丹へ顔を向けた。
「止めるなよ!」
炎駒は殺生を嫌う仁の聖獣麒麟の傍系である。牡丹もやはり穏やかな性格で基本的に争いを好まない。
「止めはせぬ」
だが、蘭華を牡丹が庇うように牡丹が前に出てきた。
「妾は諍い事は好かぬし、人に危害を加えるなとは主命じゃが、それでももはや見過ごせぬ」
「おうよ! 牡丹も分かっているじゃないか」
蘭華の制止にも牡丹は顔を背けた。他者との争いを好まぬ温厚な牡丹であったが、さすがに蘭華を殺されそうとあっては黙っていられないらしい。
「なんてデカい虎の妖魔だ!?」
蘭華のような導士でもなければ霊獣と妖魔の区別は難しい。邑人達は霊獣である芍薬を虎の妖魔と勘違いしてしまった。
「こんな大妖を従えてやがったのか!」
「馬脚を現したな妖魔使い」
「やはり災厄を招く魔女だったか」
男達は武器を構えて用心深く芍薬を囲む。その顔には恐怖が浮かび冷や汗が流れた。自分達の敵う相手ではないと本能が告げている。
「人質を取るとは卑怯な!」
「この化け猫めっ、利成を離せ!」
だが、芍薬の足下でジタバタする若者――利成を見捨てられず、逃げずに立ち向かおうとしている。
「芍薬、傷付けては駄目!」
妄執や偏見を持っていても、仲間を助けようとする彼らの心根は善性なのだ。
「こいつらは咎の無い蘭華を襲ったのだぞ!」
「それも人の話も聞かず一方的にじゃ」
「それでもよ!」
だから彼らを傷付けたくない蘭華は必死に憤る芍薬と牡丹を止めた。
「何でだよ!」
蘭華の眼前に浮遊して百合が涙目で訴えた。
「こんな奴ら許せないよ」
「百合……」
うーっと怒りで唸る百合に蘭華の瞳が困惑と悲しみの色で染まる。
「お願い、百合達に戦って欲しくないの」
確かに謂れ無き中傷に晒されるのは悲しい事だ。それでも蘭華は彼らと争いたくはない。
人は弱い。
どんなに善良な人々でも偏見からは逃れられない。
人と人が分かり合うのは難しい。
家族や仲間の為に戦える彼らでも、蘭華のように力を持つ者を畏怖し敬遠するのだ。
「それに、あなた達が堕ちてしまったら私は一人ぼっちになってしまうわ」
霊獣が善人の血を浴びると妖魔に転じる事があると聞く。
百合達が自分の為に怒ってくれるのは嬉しい。だが万が一、彼らが人を害する妖魔となれば蘭華は導士として調伏せねばならない。上手く悪業から解脱させて霊獣に戻せれば良いが討伐してしまう可能性もある。
「蘭華ぁ〜」
「ごめんね百合」
泣きながら胸に飛び込む真っ白な体を蘭華は優しく撫でた。
「こいつらが善人なものかよ」
「そうじゃ、我が麒麟の本能がこやつらを邪悪と断じておる」
だが、芍薬と牡丹の怒りは収まらない。
「何を!」
「お前らが邪悪な妖魔だろうが!」
邑人達も怒りが恐怖に勝り、切っ先を蘭華達へ向けて臨戦体勢を取る。それに対して芍薬は毛を逆立て唸り声を上げ、牡丹が前脚の蹄で地を蹴り嘶く。
互いが目に怒気を孕んで睨み合う。
一触即発。
凄惨な戦いが始まると思われた刹那――
「貴様らそこで何をやっているか!!」
対峙する両者の間に怒鳴り声が割って入った。
大気をも震わせそうな大声に剣呑な空気も吹き飛んだ。驚き声の主を見れば、それは険しい顔をした二人の青年。
若いが仕立ての良い胡服姿に帯剣、立派な馬に騎乗している姿を見るに武人と思われる。しかも、瀟酒な模様の入った藍色の服は高そうな絹だ。
(天絹ね)
蚕の中に魔蟲蚕という妖蟲――虫の妖魔が存在する。これが出す糸は魔力を宿しており、それを編めば天絹と呼ばれる強靭な絹になる。
防刃性も高いが魔力耐性もあり、人だけではなく妖魔との戦いでも重宝される。特に日輪の国の貴人は必ず鎧下に着込む。
ただ、本来なら妖魔を使って養蚕など不可能であり、天絹は国内外を問わず非常に高価な代物だ。
そんな希少な天絹が今では日輪の国の特産で、妖魔が跋扈する常夜の森に囲まれた国ならではの大事な収入源の一つなのである。
(かなり家柄も良さそうね)
それほど希少な天絹を普段着としている眉目秀麗な銀髪の青年。間違いなく高位の貴人であるのは疑いようもない。
「双方とも矛を収めよ!」
爵位を重んじる日輪の国で、貴族と思われる珍入者に対し蘭華は嫌な予感しかしなかった。