第三話 常夜の魔女と月門の男達
「ま、待ってください」
予想外の事態に蘭華は狼狽した。
「私はあなた方に恨まれるような真似をした覚えはありません」
月門の邑人達から良い印象を持たれていないのは分かっていたが、さすがに刃を向けられる程とは思わなかった。
「黙れ卑しい無爵位者!」
「神妙にしろ魔女め!」
だが、蘭華の弁明に男達はまるで聞く耳を持たない。
この国の神賜術を持たない蘭華への偏見は根強い。神から良く思われていない不心得者とみなされるからだ。
だから、蘭華への当たりが強く邑の居心地は悪かった。それでもここまで剥き出しの敵意を向けられたのは初めてである。
「最初から貴様は信用ならなかったんだ」
壮年の男が剣の切っ先を蘭華に向けて咆えた。
庶民の衣服である襦褲を着ているが、他の若者が白い布で緇撮にしているのに対して彼は黒の布で髷にしていた。
名は子雲だったと蘭華は記憶している。門番を仕切っている男で何かと蘭華を目の敵にしていた男だ。
「この妖魔使いめ!」
「百合達は妖魔ではありません!」
いつもは温厚な蘭華が思わず声を荒げた。百合達を貶められて黙っていられなかったのだ。
「この子達は吉祥を齎す霊獣です。人の血肉を啜る妖魔と同列にしないでください!」
霊獣と同様に妖魔は魔力を宿しているが、聖なる霊格を持たず人を襲い喰らう。しかも、霊獣は人の善意に報いてくれるが、妖魔は悪意を以て人を弄ぶ。
「お前のような小娘に霊獣が御せる訳がない」
「だいたい人を襲っておいて何が霊獣だ」
「この子達はそんな事はしません!」
百合達を庇う蘭華の叫びは、しかし男達には届かなかった。
「最近、邑の周辺で妖魔が頻繁に出没しているのだ」
「いくら何でも被害が多い過ぎる!」
結界の張られた日輪の国内に妖魔は簡単には入って来られない。頻繁に被害が出るなら近郊の森のどこかに結界に綻びがあるか、妖魔使いが手引きしたかのどちらかであろう。
確かに蘭華なら妖魔を国内に招き入れる事は容易だ。加えて彼女は邑人から常日頃から色眼鏡で見られている。自分が真っ先に疑われた訳に蘭華も思い至った。
だが、森に引き篭もっていた蘭華は当然無実である。
「誤解です。私達はずっと森にいましたし、ここへはたった今やって来たばかりです」
「何を白々しい」
「被害者は羽根ありと猫や四つ足の大きな妖獣に襲われたと証言しているんだ」
「そ、そんな!?」
蘭華は真っ青になった。
妖魔の中で獣の形態をしているものを特に妖獣と呼ぶ。
妖獣であっても妖魔は知性を持つものも多い。それでも他者と相容れない独立独歩な性質がある。彼らは縄張り意識も強く、顔を合わせれば血を見る争いは避けられない。
その為、妖魔が連むなど考えられないのだ。考えられるとすれば蘭華のような導士が使い魔としている場合だけだろう。
「ほ、本当に私ではありません」
「魔女の言う事など信じられるか」
「お前が犯人なんだよ!」
蘭華は弁明したが邑人は聞く耳を持たずいきり立った。
「問答無用!」
「やっちまえ!」
男達が剣を振り翳し、槍を構えて威嚇する。
「てや!」
「や、止めてください!」
真っ先に右前方から子雲が斬りかかってきた。制止の懇願も虚しく剣が蘭華に迫り来る。
子雲の剣筋が閃いた。
(神賜術!?)
何かの賜術だと悟り蘭華が慌てて身を引く。眼前を剣の切っ先が通り過ぎ、子雲の剣は光の軌跡を宙に残す。
はらり……
その軌跡に黒髪が数条ひらりと舞った。
蘭華が避けてなければ頭を割られていただろう。今のは明らかに殺意のある一撃だ。
何の弁明も許さず有無を言わせず襲いかかる蛮行。いくら疎んじている相手と言ってもあまりにあんまりな対応ではないか。
「死ねぇ!」
「きゃっ!?」
今度は左から若い男が槍を繰り出してきた。
鋭い突きだ。とても只の邑人のものとは思えない。この若者も神賜術を有しているのだろう。
蘭華は身体を捻ったが、躱し損ねて僅かに掠った。上衣の左袖を引き裂かれ、露わになった白い肌に赤い筋が走る。
つーっと血が滴り落ちる。
「貴様らぁ!」
大切な主人の血を見て芍薬が怒りの声を上げてしゃーっと毛を逆立てた。
「この化け猫が!」
蘭華を槍で傷付けた青年が威嚇してくる芍薬に槍を突き立てた。と思った瞬間、芍薬の身体が突然ぐにゃりと異様に曲がったのだった。