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第十九話 翠の少女と常夜の魔女


「オマエハ!」

「だ、誰?」


 路干(ろかん)の去った方角から現れた一人の黒髪紅眼の少女。歳は翠蓮より僅かに上だろうか、顔には幼さも残しており十代半ばを過ぎたくらいに見える。


「ドウシテココニ?」

「森に人が入り込んだと百合が教えてくれたの」


 少女は頭に乗せた羽兎を撫でた。


(綺麗な人……)


 玃猿(かくえん)と少女のやり取りを他所(よそ)に、翠蓮は紅い瞳を魅入られていた。


(もしかして女神様?)


 妖魔(あやかし)跋扈(ばっこ)する不気味な常夜の森にあって、闇の中から浮かび上がってきた美しい少女は現実離れしていて神秘的ですらある。


 それに恐ろしい妖魔を前にしても少女は超然とした態度を微塵も崩さない。対極的に玃猿はキョロキョロと周囲を見回し何かを警戒していた。


「他ノ奴ラハ?」

「私の事を知っているの?」

「こいつ遠くから蘭華をやらしい目でいっつも見てたよ」

「それはもっと早くに教えてね」


 羽兎の遅過ぎる情報提供に少女の口から溜め息が漏れた。


「牡丹と芍薬なら蜪犬(とうけん)に襲われている少年を助けに行ってるわ」

「オマエ一人カ?」


 途端に余裕を取り戻し玃猿がニタリと嗤う。


「奴ラガイナイナラ」


 翠蓮を離すと玃猿がじりじりと少女へと詰め寄り始めた。


「ズットオマエ狙ッテタ」

「逃げて!」


 玃猿が美しい少女へ標的を移したと知って、翠蓮は悲鳴にも似た叫びを上げた。しかし、少女はその場を動かない。ただ、翠蓮に目を向けてふっと優しく微笑んだ。


「ギャギャッ、オマエオデノ女!」


 玃猿が少女へと腕を伸ばす。


「気を付けて、玃猿は心を読むわ!」

「それは違います」


 翠蓮の忠告を否定して、少女は右の人差し指と中指を立てて瑞々しい唇に当てた。


「閉じよ桃符(とうふ)祓除(ふつじょ)の門!」


 大きくはないが鋭い方呪(まじない)が少女の口から放たれる。


「ギャッ!」


 途端、玃猿の手が見えない壁に弾かれた。


「ナ、ナンダ!?」


 訳が分からず玃猿が戸惑う。


「この門は聖気を宿し悪鬼を退ける!」

「門ナド無イゾ!」


 玃猿の言う通り少女の前には何も無い。だが、玃猿の手は少女に届かない。


「この門は邪気を()して百鬼を(はら)う!」

「まさか方術!?」


 それが方呪(まじない)だと分かり翠蓮は驚いた。


(この人って導士なの!?)


 様々な超常の現象を引き起こす魔術を使う者を導士と呼ぶ。その修得には長い歳月を必要とすると聞く。少女はまだ歳若いのだから翠蓮が驚くのも無理はない。


「オカシナ術ヲ!」


 玃猿は前方が駄目ならと横へ回り込んだ。


「クソッ!」


 だが、少女が二本の指を向けるだけで見えない門が玃猿を阻んだ。


「玃猿は人の心を読んでいるのではありません」

「えっ?」


 玃猿が躍起になっている間に少女は翠蓮の横に立っていた。


「いつの間に!?」

「ふふふ、禹歩(うほ)よ」


 もう翠蓮は驚きっぱなしである。


「特殊な歩法で方術の基礎にして秘奥です」


 説明を受けても方術に疎い翠蓮にはちんぷんかんぷんだ。


「玃猿が心を読めるなら私の行動を阻止できた筈です」

「でもさっき路干の剣を(かわ)してたわ」

「玃猿は優れた観察力と直感力で人の動きを先読みしているだけ。それが心が読めるみたいに見えるのです」

「それじゃあ、お姉さんの行動を読めなかったのは?」

「方術は動きを読んだくらいでは防げません。また、禹歩は相手の目を惑わせるのです」

「凄い凄い!」


 翠蓮は尊敬の眼差しで少女を見上げた。


 今も玃猿は必死に襲い掛かっていたが翠蓮の目には全く入っていない。既に恐怖心も綺麗さっぱり消えている。


 そんな事より少女の頼もしさに翠蓮は胸の高鳴りを覚えた。


「そろそろ終わりにしましょう」

「亀ノヨウニ閉ジコモッテ何ガデキル!」


 咆える玃猿にも少女は動じず左の指も右と同様に二本立て、両方の指で宙に何か描くように腕を振っていく。


「二の門神は神荼(しんじょ)鬱塁(うつりつ)、桃木に立ち百鬼を(じょ)し悪鬼を(はら)う!」

「グッ、コレハ!?」

「二神は(あし)で縄を()う!」


 玃猿の足元から急に葦が生え絡まって動きを封じた。


「聖なる葦索(いさく)は悪業を縛る!」

「コンナ草ゴトキデ!」


 玃猿は暴れたが葦を裂く事ができない。


「門神の使いは白き虎!」

「ヤ、ヤメロォ!」


 玃猿の周囲に白い霧が生じて虎の姿を形成していく。


「二神の虎は悪鬼羅刹(あっきらせつ)を喰らう!」

「ギャァァァ!!」


 霧の虎が口の部分を大きく開けて玃猿に襲い掛かった。そして、瞬く間に喰らい尽くしたのだった。


「こちらも終わったようじゃの」


 玃猿が霧に呑まれ消失すると時を同じくして赤い竜馬が現れた。その後ろからは路干を咥えた白い虎がのっそりと続く。


「ひっ!」


 虎は無造作に翠蓮の近くで、ぺっと路干を放り出した。ごろりと転がった路干は起き上がってこなかったが目立った外傷は見当たらない。気を失っているだけのようで翠蓮はほっと胸を撫で下ろした。


「玃猿如きに蘭華が遅れを取る訳がないだろう」

「お主さっきまで心配でオロオロしておったじゃろう」

「なっ、出鱈目(でたらめ)を言うな!」


 竜馬と白虎の掛け合いに少女はクスッと笑い彼らの首筋を撫でた。


「二人ともありがとう」

容易(たやす)い事だ」

「蜪犬如き妾らの敵ではない」


(こんな強そうな霊獣達を使役しているんだ)


 使役している霊獣や妖魔(あやかし)の格は導士の力量を現す。自分と差して歳が変わらない少女が一流の導士である事実に翠蓮は感嘆した。


(凄い、素敵、格好良い!)


 もう翠蓮は少女に夢中になっていた。


「貴女、大丈夫?」


 少女の紅い瞳が自分に向けられ翠蓮の胸が一気に高鳴る。


「は、はい、私、翠蓮っていいます!」

「えっ?」


 突然、自己紹介されて少女は戸惑い目をぱちくりとさせた。


「そ、そう? 私は蘭華よ」

「蘭華さん……とっても綺麗なお名前ですね!」

「あ、ありがとう」


 翠蓮は蘭華の紅い瞳をじっと見詰めた。その翠の瞳は潤み、彼女の頬は上気して赤い。


(本当に綺麗……)


 これが蘭華との初めての出会いで翠蓮の初恋だった。


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