第十三話 常夜の魔女と翠玉の花
「蘭華さん、頼まれてた米と塩買ってきました」
ガラリと施療院の扉を開けて十代半ばくらいの少女が顔を覗かせた。
それは薄茶の髪をクリッとした目が愛らしい少女、丹頼の孫娘の翠蓮である。彼女は以前妖魔に襲われている所を蘭華に救われてから懐いており、診療で手が離せない蘭華のお使いを快く引き受けてくれた。
「ごめんなさい、口利き屋みたいな真似をさせちゃって」
「蘭華さんの為なら何でもないですよ。荷は牡丹が運んでくれたし」
ひらひらと手を振って翠蓮は照れ笑いする。
「それよりも後は反物屋ですよね」
翠蓮は急に蘭華の左腕にぶら下がるように両腕で抱き付いた。上目遣いで見上げる顔が僅かに赤い。
「診療は終わったんだし早く行きましょ」
「あっ、翠蓮!?」
翠蓮は腕を引いて蘭華を強引に外へと連れ出した。
「えへへ、蘭華さんと逢引きだぁ」
「お主は相変わらず愉快な姑娘よのぉ」
蘭華とその腕に嬉しそうに絡み付く翠蓮が外へ出ると牡丹が出迎えた。背にした鞍に幾つも麻袋や壺を括り付けている。
「ごめんね牡丹、こんな大荷物を担がせて」
彼女を労わるように蘭華が撫でる。首筋に触れる蘭華の手に牡丹が気持ち良さそうに目を細めた。
「米袋四つで一石(約30kg)程度、他の荷を合わせても一石半にもならぬ。駄馬でも楽々運べる駄荷じゃ」
「まだ反物が残っているけど」
「軽い軽い」
問題ないと牡丹が笑う。
「もう、早く早く!」
「あんまり引っ張らないで」
「本当に退屈せぬ姑娘よ」
翠蓮に急かされ仕方ないと諦める蘭華の後ろから牡丹が笑いながら着いてくる。その背にはいつの間にかちゃっかり百合と芍薬が鎮座していた。
そして、更に後ろには刀夜の姿も。
「刀夜様もいらっしゃるのですか?」
それを見咎めた翠蓮が言葉こそ丁寧だが棘を含む言葉を投げ掛けた。
「まだ蘭華に用があるからな」
「せっかくの蘭華さんとの逢引きなのに」
ぶつぶつ文句を言いながら翠蓮は刀夜を睨み、蘭華の腕に絡めた両腕に力を篭めた。
「蘭華さんは私のですからあげませんよ」
「これでも一応、俺は皇子なんだが……物怖じせぬ姑娘だ」
いーっと歯を見せ威嚇する翠蓮に刀夜は苦笑いした。
「もう、刀夜様に失礼よ」
さすがに蘭華も見かねて翠蓮を窘めた。
「むぅ蘭華さんは私より刀夜様が良いんですね」
「どうしてそんな話になるの!?」
翠蓮に可愛いく咎められ蘭華は狼狽える。今の会話をどう取られたか不安になって蘭華はちらりと刀夜を盗み見たが、翠蓮はそれを見咎めた。
「やっぱり刀夜様が良いんだぁ」
「ち、違……」
「強いし、格好良いし、何たって皇子様だし」
「別に私は刀夜様の事なんて……」
「俺は蘭華の好みではなかったか?」
「ひっ!」
いきなり刀夜が背後から耳元に囁き蘭華はびくっと跳ねた。
「い、いえ、刀夜様はとても素敵な殿方ですよ」
「ふふ、そうか、蘭華のように美しい姑娘に嫌われていなくて安心した」
「う、美し……って、刀夜様!?」
今まで迫害対象であった蘭華は男性から褒め慣れていない。しかも、刀夜のように眉目秀麗な青年から迫られるように囁かれ、蘭華の顔は一気に上気した。血が上りすぎて頭がくらくらする。
「やっぱり刀夜様が好きなのね!」
「待って待って、本当に違うから!」
「何だ、蘭華は俺の事が嫌いか?」
「と、刀夜様を嫌いだなんて……」
「ふっ、だそうだぞ翠蓮」
「わぁん! 刀夜様に蘭華さん奪られたぁ!」
「やれやれ、本に退屈せぬ奴らじゃ」
翠蓮が泣き、蘭華がオロオロし、刀夜は何やらニヤニヤ笑う。それを横目に牡丹は呆れながらも楽しげだ。
相変わらず蘭華に向けられる周囲の目は厳しい。蘭華は強い娘だが、決してこの状況が堪えていないわけではない。翠蓮や刀夜が明るい陽射しとなって蘭華を照らしてくれる事を牡丹は願わずにはいられない。
「ここにおられましたか」
そんな陽だまりのような談笑に夏琴の大きな声が割って入った。
「邑の聞き込みを終えましたが……お取り込み中でしたか?」
彼は刀夜の命を受け単身調査へと出ていたのだ。
「いや、差し支えはない」
「そ、それでは私はこれで」
「あっ、蘭華さん私も行く!」
夏琴が現れたのを幸いに蘭華は逃げるようにその場を去った。その顔は耳まで真っ赤で恥ずかしさに居た堪れなくなったのだろう。
「あっ、待て蘭華!」
「やはりお取り込み中でしたか?」
「いや、そうではないが……」
自分から逃げるように去る蘭華の後ろ姿を見送りながら、刀夜は少し揶揄い過ぎたかと苦笑いした。




