2.さようなら
「全部……」
「知っていたというのですか?」
「はい」
私は元婚約者のアルベルト様に視線を向ける。
「アルベルト様が私を愛していないことはわかっていました。影でこっそり、セリカと仲良くされていることも知っていたんですよ」
「っ……そ、そうだったのか」
珍しくアルベルト様は焦りを見せる。
いつも余裕で落ち着きのある彼が、目を逸らして動揺を見せるなんて初めてかもしれない。
最後にやっと、彼の新しい一面を見ることができたようだ。
私は続けて、セリカに視線を向ける。
彼女は目が合った途端、ぴくっと身体を震わせた。
「セリカ、私たちは本当の姉妹じゃない。今のお父様とお母様にとって、私はただの他人……知らない二人の子供でしかない。だから、いつか追い出されるってわかってたよ」
「お姉様……」
「むしろ有難いくらいだよ。こうして成人するまで、私が一人で生きていけるようになるまで待ってくれたんだから」
私の家系、ブシーロ伯爵家はちょっぴり変わった事情を抱えている。
現当主である父と母、二人は私の本当の両親じゃない。
十八年前、私はブシーロ家の長女として生まれた。
この時のブシーロ家は今と違う。
私のお父さんは、現当主の実兄だった。
平民の町娘だった私のお母さんに一目ぼれしたお父さんは、周囲の反対を無視して結婚したらしい。
貴族の当主が、平民の女性を妻にする。
普通じゃ考えられないことをしたお父さんは、周囲からも変わり者だと思われていたそうだ。
そんなお父さんは、私が物心つく前に突然いなくなってしまった。
なんの前触れもなく、屋敷からいなくなった。
当主が不在では貴族の家系はやっていけない。
しばらく戻らなかったお父さんの代わりに、お父さんの弟が当主になった。
それが今の当主で、セリカの父親。
彼は私のお父さんとお母さんのことを快く思っていなかった。
平民の癖に貴族になり上がったお母さんを軽蔑していた。
お父さんがいなくなり、お母さんの屋敷での立場は一気に悪くなる。
彼はお母さんと再婚するわけでもなく、別の貴族から新しい妻を娶った。
そして私が生まれて一年後、セリカが生まれた。
私とお母さんは、屋敷でも腫物扱いだ。
お母さんは身体が弱くて、私を生んでから体調を崩していた。
ベッドから起きられない日も少なくない。
それでも、私と一緒にいるときは常に笑顔を見せてくれた。
お母さんの笑顔が、私は大好きだった。
そして、私が五歳になった年。
お母さんは病に倒れて二度と目を覚まさなかった。
「今のブシーロ家で、私だけが赤の他人なんだよ。家族でもない人が一緒に暮らしてるのって、やっぱり不自然だし、嫌だって思われても仕方がないから。二人を責める気にはなれない」
むしろ感謝するべきだ。
五歳の私を追い出さず、家に置いてくれたことを。
私にも聞こえるような声で、成人になった頃に追い出せばいいと話をしてくれていたこと。
おかげで私はこの日が来ても慌てることなく、淡々と荷造りができる。
部屋の整理だけで、あとは必要ない。
心の整理は、とっくの昔に終わっている。
「だからセリカ、お父様とお母様のこと、よろしくね? 私はもうブシーロ家の人間じゃないし、この屋敷を出たら……二度と入ることはないと思うから」
「……はい。お姉様も、お元気で?」
「うん。セリカも、アルベルト様もセリカのこと、よろしくお願いします」
「……やはり理解できないな」
アルベルト様は眉間にしわを寄せてそう言った。
不可解なものを見る目で私を見ている。
「予想していたのはわかった。だがそれでも、何もかも失ったんだ。もっと悲しんだりするべきじゃないのか? それなのになぜ、そんなにも晴れやかに笑っていられる。まさか……この結末を望んでいたのか?」
「まさか。そんなわけありません。もし叶うなら……この屋敷で生まれて、普通に生きていたかったです」
「ならどうして?」
「――お母さんが最後にくれた言葉です」
私は笑う。
精一杯に、作りものでも笑いきる。
「辛くても、苦しくても、笑顔を忘れないで。笑顔でいれば必ず……幸せは向こうから来てくれるから!」
そう言って笑いながら、お母さんは私の前で眠りについた。
病気でやせ細り、痛みだってあったはずだ。
苦しかったはずだ。
だけど、お母さんは笑っていた。
私に最後の瞬間まで、笑いかけてくれた。
「だから私は、どんなことがあっても笑顔を忘れません。これからも、ずっと――」
たとえ全てを失っても。
笑顔だけは絶やさずに生きていくんだ。