3. マイホームの必要経費
神殿でひとりとなったリンは、とりあえず、神殿内部の調査を始めた。
これからはここがマイホームなのだし、まずどのような造りなのかを理解しておいて損はない。
先ほどの天使の言い方だと、もの凄い部屋数と幾多のギミックがありそうな雰囲気だったので、わりかしワクワクしながら探索を開始する。
――が、
「入れるところ五部屋しかない……」
意外と少ない。
最初に天使の面接を受けた事務室ぽいところと、あと宝物庫と魔力炉に書庫、最後に謁見の間とかいうだだっ広い部屋に紅い絨毯とわりと豪華めな椅子がひとつ置かれている、おそらくはここまで登ってきた冒険者と相対するボス部屋――現在立ち入ることができるのはこの五つだけである。
他にも複数の部屋が存在してはいるのだけれど、天使が言っていたように今は最低限のもの以外はすべて凍結封印されていて、しかも厄介なことにこの凍結は設備のみならずそれを含む一帯丸ごとを対象として成されているようだった。
つまり、凍結状態である区画には、さながらゲームにおける世界の端が如く、謎の壁に阻まれて近寄ることすら不可能なのだ。
利用できないだけならまだしも、その一帯に侵入することもかなわないとは、なかなかどうしてシビアである。
まあお金を稼いでちょっとずつ、稼働し、利用できる区画を増やしていこうと思う。
なので現在利用できる五部屋の様子を見に行こう。
まず気になるのは宝物庫の中身である。
いったいどれくらいの蓄えが今のところあるのか? それにより今後の猶予が決定する。
宝物庫の残額は日々、刻一刻と魔力炉によって消費されていく。そしてそれによってできた魔力炉のエナによってこの神殿は稼働する。つまり宝物庫が空になれば、魔力炉はエナを作れない。そのままやがてエナも尽きれば、神殿の機能は完全に停止する。
(まあ完全に停止って言っても、水が止まるだけなんだけど……)
今動いているのってドリンクサーバーだけだし。
……現在が既に困窮しすぎているせいで、最悪の事態に陥ってもそんなに落差がない。
不幸中の幸い――と言っていいのか、わからない。
目的の扉の前にたどり着く。
さすがは宝物庫、扉は堅く厳重であり、且つ、きらびやかな金の装飾も所々に施されており、非常に荘厳である。
扉に手を延ばすと、認証を求める魔方陣が出現する。
そのまま陣の中央に手を合わせると、《管理者を認識――権限の行使受諾――解錠・開門します》とアナウンスが流れた。
解錠音と共に、ゴゴゴゴという重い音を発しながら扉が独りでに開いていく。
室内の様子が垣間見えてくる。
煌びやかで絢爛な装飾が細部にまで行き届いた、宝物庫の名にふさわしい広い室内――
その中央に、一枚だけ――
銀貨が――、たった一枚の銀貨だけが、ぽつんと置かれていた。
「……は?」
まさかの一枚。
逆にすごい。
――しかも、まもなく何やら光に包まれ、その銀貨も消失した。
おそらくは、この下にある魔力炉にて消費されたのだろう。
わあ、無一文になる瞬間をこの目で見ちゃったぞお。
子供の時に初めて時計の針が動く瞬間を見てしまった時並のしょうもなさ。
唖然とする自分に活を入れて、取り急ぎ魔力炉に急ぐ。
宝物庫の残高がゼロである以上、次に問題となるのは魔力炉に溜まっているエナの量だ。もうこれ以上増えないのだから、それが今後利用できるエナの最大値となる。
魔力炉は外階にあった。
扉の前に立つ。先ほどの宝物庫とは打って変わって、メタリックでサイバーな様相の扉だった。
手をかざす――と、認証魔方陣が表れ、解錠と開扉を行う。
自動ドアの如く、魔力炉の扉はスライド式である。横にずれるように開いていく。
室内が露わになる。
これまた広い――さながらどこかの科学研究室の如き内装だ。
中に入ると、まずそこには手狭な制御室のような空間があり、様々なコントロールパネルとメーターが魔方陣により表示されている。
そしてその制御室の向こうには、深く広いダムのような空間があって、制御室の窓からのぞき込むようにすると、そのダム部の下も確認することができた。
ダムは深い――そしてその底部の中央には巨大な青白く輝くクリスタルのようなものが植え付けてあった。
そのクリスタルの先端から天井に向かって何やら光が伸びている。光は天井にまで達していて、その天井から生えているもう一つのクリスタルに届いていた。
おそらくは天井のクリスタルが上階の宝物庫より金品を吸収し、底部のクリスタルがそれを使ってエナを精製しているのだろう。
底部のクリスタルの下には貯水槽が備え付けてあり、制御室のパネルにてその貯水量を確認することができた。
――《魔水蓄積水量:2.15 hcl》
そう表示されていた。
(2.15 hcl――……?)
hclってなんだ?
やばい、多いのか少ないのか、それすらもぴんとこない。
いや、まず多いことは考えられないけれど、少ないにしてもどの程度の少なさなのか、消費の単価が分からないことには判じようがない。
今度は急ぎ事務室に戻る。
そこにある、施設概要書に目を通す。たしかおおよその設備についての、消費エナ量の目安が記してあったはず。
「あった、これだ」
一覧で記載されている。
たとえば現在アクティブの給水装置、その消費量は――0.15 hcl/日。
一日たったの0.15。
――てことは、普通に今のままでも二週間はエナが尽きない。
「意外と余裕じゃん……」
ほっとして、椅子にドスッと腰を落とす。
とりあえず、本当の意味での困窮には、まだいくらか猶予があるようだ。
「ふう……、なんか気が抜けた」
テーブルの上には神殿内見取り図が置いてある。
わざわざ足を使って調べなくても、図面を見れば一目瞭然だった。
そして図面で見るこの神殿の全体像はかなり広い。
足では凍結による見えない壁で一歩も先に進めなかったけど、その入れない先には、やはり数多の設備と区画が存在しているようだ。
取り急ぎ凍結解除を急ぎたい区画は(というか、むしろ生命線ですらあるのだけれど)何と言っても食糧生産区画だ。
(でも、区画解放にはいくらくらいかかるんだろう?)
一覧の中から食糧生産区画を探す。
あった。
食糧生産プラント全解放費用――1,000,000 hcl。
(…………は?)
ひゃ、百万? まじかよ。一生無理なのでは?
これだけエナ溜めるのにいくらかかんの? あ、そもそもエナをつくるのにはいくらかかるんだっけ?
記載箇所を探す。あった。
hcl精製コスト――15ギル/hcl
円で考えるとだいたい1hclにつき1500円くらい。
なので食糧生産プラント全部を解放するのにかかるのは……、
(じゅ、十五億円…………!)
無理やん。一生ご飯作れないよ。
いや待て、慌てるな。これはあくまで全区画であり、フルコースの最大値だ。よく見てみると下の方にいくつか別枠の解放項目がある。
堅実解放(1~5名様向けの質素なコース)という項目があった。なんだこのネーミング。
いくらだろう?
僅かにドキドキして確認してみる。
解放費――7hcl!
「よかったああああああ!」
希望が見えた。そうだよ、こういうので良いんだよ! なんだよさっきの十五億って。アホか。
堅実解放コースなら日本円で一万五百円だからすぐにでもイケそうな気もしてきた。
「いいじゃん」
胸をなで下ろすと、喉が渇いた。
リンは脇に置いてある水供給設備の前に立つ。そのサーバーの見た目は西洋の教会にありそうなパイプオルガンを事務スペースサイズに縮小したものに蛇口を取り付けた感じだった。
横に備え付けてあるコップを手に取り、蛇口に持っていく。
すると、魔方陣が起動し、だーっと水が流れ出た。
飲んでみる。ゴクリ。うん、美味いなこれ。澄んでいる。呑むことを楽しめるレベルの味。
疲れていたのかもしれない、身体に水が行き渡り、染み込んでいくのを感じた。
水分も補給したし、マイホームのこともおおよそ把握できた。
お腹が鳴った。
食糧を調達せねばならない。設備解放は無理そうだから、天使の言っていたようにとりあえずは地上での狩猟となる。
リンに狩りなど不可能だが、しかし、それも擬人術を使えばなんとかなるだろう。
(攻撃魔法を擬人化して、そいつに代わりに狩ってもらえばいいんだもんな)
そう、だから次にすることと言えば、いよいよ魔法の擬人化である。
さーて、なんの魔法にしようかなー。
夢が膨らむ。
(まあでも、魔法によっては使用魔力量も多くなるのだろうから、最初のところはなにか初級の――)
そして――
「…………あ」
自身の犯していたミスに気がつく。
(やべえ、そういや擬人の際の魔力も魔力炉のエナを使うんじゃん)
アホなの? 忘れてた。
まだ擬人の際の消費魔力をチェックしていない。その値によっては……、
血の気が引いた。
水なんて飲んでいる場合ではない。
いや、それどころか――
(給水装置も今すぐ止めてしまった方がいいかもしれない)
ぶっちゃけ擬人ができなかったらその時点で詰む。擬人さえできれば食糧も調達できるし金も作れる。水は大事だがそれだけではじり貧だ。
まずは擬人――それこそが最優先事項。
リンは、コップの水を飲み干し、すぐに設備を止めた。