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8、幻想はいつか潰える

「伯父貴、悪かったな」

 王国の東、帝国との国境がある地域。

 辺境伯は王都から戻って来た甥を迎えていた。

「いや……私の付き合いで余計な負担を掛けたね」

 辺境伯は昔、王立学院に在籍していた頃に国王と付き合いがあった。その時の縁で、王子の学友として甥を寄越してくれないか、との申し出があった。

 とうに領内の学院を卒業していた彼は、“留学”と言う形で王都の学院に滞在していたのだ。


「こんな時期に帰って来るとは……何があったんだい?」

 季節は冬の厳しい寒さが少し残る頃。学院の卒業には時期が早い。

「いやぁ、追い出されちまった……あぁ、ちゃんと卒業はしたぞ」

 卒業証明書を広げて豪快に笑う甥の姿に、辺境伯は唖然とした。

「……追い出された、とは穏やかではないね……」

 少しして、ようやく言葉を絞り出す。

「あの馬鹿とな、ちょっと揉めたんだよ」

 その言葉だけで王子のことを連想し、彼は溜め息を吐いた。

 ――陛下は、“まだ”まともだっただけに、彼のことは残念で悔やまれる。

「あいつ婚約者いるだろ?」

「ああ、フェリシティ嬢だね」

 王都に居を構えるクルーガー侯爵家の末娘なら、大抵の貴族は知っている。

『垣根の上に立つもの』であり、正式ではないが王子の婚約者“候補”だとも。

「学院で別の女を囲っててよ。クルーガー侯爵も辞退するってさ」

 その言葉を聞いて、辺境伯は項垂れる。

 ――王家はレナーテ侯爵家、クルーガー侯爵家と何度蔑ろにすれば気が済むのか……陛下は、“彼女”の犠牲から何も学んでいないのか……。

「……その女性、と言うのは? 平民なのかい?」

 頭を上げれば、菓子に手を出す甥と目が合う。深刻な話題のはずなのに、そうと感じさせない図太さが、ある意味羨ましかった。

「いや、子爵。ロッシュ家って分かるか?」

「……ああ」

 辺境伯の領地にも、ロッシュ家の噂が届いていた。子爵夫妻が支援を求めて方々に頭を下げて回っているらしいと。

「イザベラって名前なんだけど。王子が学院内で付き纏ってるんだよ。貴族連中はフェリシティ嬢はどうしたって騒いでるし……学院長が南棟に隔離しちまったよ」

「困ったものだ……まあ、そこまでご執心なら彼女を王妃に据える方が早いかもしれないね……彼女に婚約者は?」

 一部の側近は王の血統さえあればいいと考えているだろうし――という言葉は胸の内に留めた。

 しかし、辺境伯が聞いたロッシュ家の噂が本当のものなら……。

「それがよ、そいつ他の男と結婚する予定らしいんだよ」

「……それは確かだろうね?」

「ほら、王子の為に貴族令嬢たちを集めたことあっただろ? 婚約者を決めるための」

 伯父貴もそれぐらいしたらいいのにな、という言葉は耳に入れないようにした。

「その時、出てないんだよイザベラ嬢。ギルバート……なんつったかな……とにかく、別の子爵家の長男と結婚するらしいって。同じ教室にそいつの親戚がいたから確かな情報だと思うぜ」

 辺境伯は深く溜め息を吐くと、茶に手を伸ばした。少し考えるのを放棄して、茶の香りを楽しむ。

「姉がロッシュ家の後継ぎとなるやつと結婚してからイザベラ嬢も……と子爵家は思ってるんだけど、難航しているらしいぜ」

「姉の婚約者を妹が奪うんだね?」

「お、知ってたのか」

 軽く目を見開く甥に、頷いて見せる

「姉の相手だけでなく、領地内の男たちを誘惑していると噂になっているよ。ロッシュ家は口止めと賠償のために金策に回っているようだけど」

「……まじかぁ……そこまでは知らなかったな」

 甥は驚いたように軽くのけ反る。

「それでさ、王子に言ったんだよ。お前が学院で初めて会ったということは、イザベラ嬢に婚約者がいるかもしれないんだぞ。よく調べろって」

 甥の対応を肯定する意味を込め、頷きで返した。

「そしたらさぁ、二度と顔を見せるな、だぜ。ひどいもんだよ。……まあ、学院長は『貴重な時間をあいつらに使う価値はない』って卒業させてくれたからなぁ」

 頭いい奴は話が分かるぜ、と甥は笑う。

「あいつ、なにするか分からんぞ」

「……もう仕方ないかもしれないね」

 辺境伯は、何度目かの溜め息を吐いた。

「まあ、俺たちは止めたからな。後は知らないさ」

「……そうだね」

 窓の外を見ると、木々に降り積もった雪が日差しを受けて少しずつ解け始めている。

 今から王都に向かえば、芽吹きの頃になるだろう。

「ジーク、私は式典に出ようと思っている……ここを頼めるかい?」

「いいぜ。親父達もいるし、ちょっとぐらい困らねぇさ。あいつ処すのか?」

 軽い調子で尋ねる甥に、苦笑して頭を振る。

「……王家次第だよ。あと……会いたい人がいてね」

 ――彼女は、今どうしているのだろうか?

 思い出すのは、王のそばに佇む女性。

 必死に耐え忍ぶ姿が、今でも忘れられないでいた。


 そんな経緯を経て、辺境伯は、王立学院の講堂にいる。

 国王と王子に挨拶を済ませ、式典に参加していた貴族や国外からの来賓たちと言葉を交わしながらも、視線はついつい教師たちがいる方へと向いてしまう。

 彼の不審な様子に気付いているのは、ただ一人だけだった。

「……まあ、そのために此方へ? まあ、十数年も……?」

 挨拶を交わし、自分と顔を合わせていたかと思うと、後ろを覗き込んだりあらぬ方向を向いたり。

 両手を口元に寄せ、目を輝かせている令嬢に、辺境伯は内心舌を巻いていた。

 ――これが、『垣根の上に立つもの』か。

 辺境伯の領内にも、少数ながら存在はする。しかし、妖精と明確に意思疎通をする者は初めて見た。しかも、自分の心の内まで知っているような振る舞いを見せられては……。

 ――これは、王家の手に負えるものではないだろうな。

 辺境伯は、彼女が王子の婚約者でなくなったことを残念に思う反面、どこか安心していた。


 学生たちが卒業証明書を受け取った後、皆で講堂に集まり軽食片手に歓談する――学院の卒業式典は和やかな雰囲気に包まれていた。

 今回は国の王族が卒業するとあって、参加する貴族や招かれた賓客の数が例年よりも多いらしい。王宮の騎士たちが講堂の内外を見張り、警備に勤しんでいる。

 フェリシティは会場をあちこちと歩き回り、お世話になった皆に挨拶をしていた。教師や学友たち、自分の労をねぎらう貴族や王宮の重鎮たち。

 会場の端、賓客たちがいる場所で彼女は引き留められた。『垣根の上に立つもの』の存在は諸外国でも貴重らしい。

 ここからだと、会場の様子がよく見えた。

 会場の最奥に設けられた特別席に腰かける国王と、隣に立つ王子。彼らの元には絶えず誰かが足を運んでいる。王子も流石に悪態をつくことなく、品位ある振る舞いを心掛けているようで安心した。

 父は会場を動き回り、王宮の重鎮や騎士たちと情報のやり取りをしている。

 母は他の夫人たちと賓客の相手をしている。レナーテ侯爵夫人とエミリーの姿も近くに見えた。

 レイモンドは会場の中央で学生たちに囲まれている。時折、こちらと目が合うように感じるのは気のせいだろうか?

 イザベラは誰とも会話せず、人のいない隅に佇んでいた。絶えず辺りを見渡している。


 これから陛下や賓客からの祝辞をいただき、学生を代表して王子の返礼の挨拶で式典は幕を閉じる。

 式典を終えた後、王子はイザベラと婚約するために動くのだろう。イザベラにどのように教育を施すのか、貴族の支援を得られるのか……課題が山積みだろうな、とフェリシティは思う。

 それでも、王子様とお姫様はいつか幸せに――。


 白いふわふわした髪飾りが揺れる。それを目で追うと、イザベラと両親らしき二人が向かい合っていた。

 イザベラは他の誰かを探しているのか、辺りを見渡している。

 すると、女性がイザベラに手紙を渡した。彼女はすかさず手紙を読み――血の気が引くのが、ここからでも分かった。

 詰め寄るイザベラを前に、男性が首を振る。何か言っているようだが、会場の喧騒に紛れて声は届かない。

 興奮が収まらない様子のイザベラを宥めながら、二人が外へと連れ出した。

 イザベラの異変に気付いたのか、王子が後を追うように外へと出て行く。


 ――どうして。


 ふと、袖が軽く引かれる。

 妖精がいた。白くふわふわした頭を持つ小さな少女だった。


 ――幸せにしたかっただけなのに。


「……陛下はどうされたのでしょう?」

 賓客の一人が眉を顰める。

 会場の奥を見ると、国王が学院長や大臣たちを呼びつけ、深刻そうな顔で何かを話し合っている。

 国王の後ろに控えていた宰相が何かを伝えた後、会場の外へと出て行った。


 ――おひめさまになりたいって言ったから。


「様子がおかしいですね」

「何か問題でも……?」

 疑問の声はさざ波のように広がっていく。


 ――わたしがをみんなを呼んだから、あの子は愛されるおひめさまになったの。


 会場にいた者の多くは国王とその周囲に注目し、妖精の訴えに耳を傾けるフェリシティの姿を気に留めていなかった。

「妖精が……殿下たちを?」


 ――でも、どうしてあの子は幸せになれないの?


「……確かめなきゃ」

 フェリシティが呟く。

 その直後、風が吹いた。

 閉められていたはずの窓がすべて開き、そこから風と共に花びらが舞う。

 強い風に皆が目を開けていられなくなる。

 そして、風がやんだとき――会場の中央には、何かに引っ張られたようにしてきた1組の男女。辺境伯とセリュー・マクシミリアン女史が向かい合っていた。


「私……どうして」

 困ったように周囲を見渡す女史に、彼は意を決したように声を掛ける。

「セリューさん、お久しぶりです」

 辺境伯の顔をまじまじと見つめ、彼女は呟く。

「シュッツァー様? 学院でご一緒した……」

「はい」

一歩ずつ、辺境伯は距離を詰める。

「ずっと伝えようと思っていました」

 手が触れるくらいの位置にまで近付いたとき、女史の前に跪いた。

 そっと、彼女の手を取る。

「……私と結婚してくれませんか」

「え……えっ!? け、結婚!?」

 普段聞くことのない女史の叫びを皮切りに、周囲の者たちも口を開く。

「あれは、マクシミリアン家の……」

「王妃様の教育係もなさっていた……」

 セリュー女史の目線は自分の手と、辺境伯の顔と、周囲をあちこちと動き回り……天井を見上げて崩れ落ちた。慌てて彼女を支える辺境伯の元に、女子学生と老人が駆け寄る。

 一層強まるどよめきを後に、フェリシティは会場をそっと抜け出した。


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