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3、誰もが生贄を求めている

 クルーガー侯爵家の令嬢がエミリー・レナーテを支持していることは、他の貴族たちも察していた。

 周囲もそれに追従し、エミリーを王妃に据える地盤が固まりつつあった。

 しかし、フェリシティが十四歳になった時、事態は一変する。 


 とある男爵を招いた茶会でのことだった。

 王子の興味なさそうな表情に気付きもせず、男爵は隣国から取り寄せた絵画について講釈を垂れる。それを貴族子弟たちが静かに聞いていた。

 突如、エミリー・レナーテが咽込む。王子は冷ややかな目で見つめる中、彼女は茶を吐き出して蹲った。

 傍にいた執事や王宮の使用人が慌てて彼女のもとに集まり、介抱する。

 席に着いていた子息たちは息を呑み、固唾を飲んで見守っていた。

「なんだ、妖精にでもやられたのか」

 周囲の騒ぎをよそに、王子は楽しそうにエミリーを見下ろす。

「違うって……言ってます……妖精に人の体を害することなんて……できないわ」

 目を瞬かせ、たどたどしく述べるフェリシティを一瞥すると、王子は歯を剥き出しにして笑う。

「人間の仕業というわけか……確かにな。こいつらはお前が王妃に相応しくないとさ。無様にしがみ付いた結果がこれだ」

 立ち去る王子に声を掛ける者は誰もいなかった。

 フェリシティはレナーテ家の執事を不安そうに見つめる。その姿を見て、周囲の者は優しく声を掛けた。

「エミリー様と親しくしていらしたから、御心配でしょうね……」

「ほら、エミリー様もご無事のようですわ……」


 茶会がお開きになった後、彼女は極秘に招待を受けた。

 隣には自分の父、向かいにはレナーテ侯爵。そして、後ろに控えるのはあの時の執事。

「全てお分かりか」

 席に着いたフェリシティを見て、レナーテ侯爵は口を開く。

「みんなが……じぶんじゃない、あいつだって」

 フェリシティの言葉に、執事が目を見開く。「私の失態です……申し訳ありません」と呟く声がこちらにも届いた。

事態を把握したクルーガー侯爵は眉を顰めた。

「まさか、自分の娘に……」

「ただの薬だ。命を落とすものではない」

 レナーテ侯爵は苦渋の表情を見せる。

「娘はこれを機に療養させる。王家とは関わらせない」

「ああ……」

 婚約を完全に白紙とするための行動か――クルーガー侯爵は友人の意図を察した。

「もともとは陛下からの頼みであった。息子の後ろ盾が欲しいための婚約だ」

「それは知っているよ」

 私も支持を表明したからね、とクルーガー侯爵は頷いた。

「娘は陛下の望みなら、と努力してくれている……」

 それなのに、と歯噛みするレナーテ侯爵。

「あの王子はなんだ。『父なんかの言いなりにはなりたくない』とほざきおって。そればかりではなく、王族の務めを果たさずエミリーの事も蔑ろにして」

「それに関しては同意しかないね」

 父親なら怒って当然だろうと、クルーガー侯爵も王にそれとなく進言したことがあった。

「私達は早くからこの関係に限界を感じていた。それでも、あいつらはエミリーの良心に訴えて継続させてきたのだ」

真面目な方だものね、断れなさそうね、とフェリシティは彼女の顔を思い浮かべた。

「私達はエミリーの思いを知っている。このままなら、最後の手段をとる手も考えたが……あの子がそれで幸せでも、親としては良心が……」

 フェリシティは“最後の手段”が何なのか分からず、隣の父を見上げる――彼にも理解できていない事は表情から窺えた。

「とにかく」

 あまり追及されたくなかったのだろう。レナーテ侯爵はわざとらしい咳払いをして見せる。

「我らは貴族の義務を果たすために仕えている。それを蔑ろにする主君など価値はない」


 その後、フェリシティはエミリーの見舞いに行ったが、彼女は『ごめんなさい』とただ謝るだけだった。


 数日後、エミリー・レナーテは『健康上の問題』を理由に領地で休養することが公表された。

 国王や家臣にその振る舞いを注意されても、王子は平然としていたという。


 それからというもの、婚約者のいない、年頃の娘を持つ貴族が王城に呼ばれるようになる。王子の新しい婚約者を選定することは、誰の目に見ても明らかだった。

 まずは侯爵――クルーガー家は『健康上の問題』を理由に辞退しているが。次いで辺境伯、伯爵、子爵、男爵……国中の貴族令嬢のほぼ全てが王子と顔合わせした形になった。

 娘を王子に嫁がせたい、若しくは自らが王妃になりたいと野心を持つものも多くいたはずだが……全員が『あれは無理だ』と口を揃えて言う。

 傲慢で、無能で、思いやりも向上心もない――父が名君であるばかりに際立っているのだろうが、とにかくそんな王子と婚姻を結びたがる者が一人もいなかった。

 不幸なことに、王子は自分に一切の非がないと思っているのだが。

 この事態に王宮の者たちは悩み――そして、クルーガー家に使者が寄越された。

 一人娘のフェリシティ・クルーガーを婚約者に据えようという申し出であることは明らかであったし、家族一同が拒否の姿勢を見せていた。――しかし。

 当のフェリシティ本人が、あっさり承諾した。

「だって、貴族の務めなのでしょう?」

 あっけらかんと答える彼女に反論する者は、誰もいなかった。


 クルーガー家の希望により、『あくまで候補であり、正式な契約ではない』『いつでもクルーガー家の方より辞退できること』を主軸に契約は交わされる。

 かくして、フェリシティ・クルーガーは王子の婚約者“候補”となった。


 顔合わせの為に両親と王宮へ上がったフェリシティを、国王は上機嫌で労った。

 ようやく婚約者が見つかったことに安堵しているようだ。

 連れてこられた王子は、フェリシティを見るといつもの歪んだ口元を見せた。

 王子が口を開く前に、国王が声を掛ける。

「エミリー嬢が辞退した代わりに、フェリシティ嬢をお前の婚約者とする」

「あくまで“候補”ですよ。決まったわけではありません」

 すかさず侯爵が口を挟んだ。

 王子はそれを聞いて鼻で笑う。

「また、身分しか取り柄のない女か」

「お前の立場を守るための……」

「平民を拐して自分のモノにしたツケを俺に回すのか」

 王子の言葉に、窘めようとしていた国王が口ごもる。

「……陛下は学院で王妃様とお会いしたのでは?」

 フェリシティは首を傾げる。

 王立学院の卒業を祝う式典で、国王は王妃を見初めた――二人の逸話はフェリシティの世代にも伝わっている。

「うまく美談にしたようだがな」

 王子は嘲笑う。

「用意されてた貴族の女どもを捨て、平民を強引に王宮に入れたんだよ」

 蛮族そのものじゃないか、と王子は吐き捨て侯爵夫妻の顔を見る。

「王妃候補だった女たちは、貴族どもが引き取ったんだったな」

 細めた目がフェリシティの方を向く。

「愛を勝ち取れなかった女から生まれたみじめな存在なんだよ。おまえも、エミリー・レナーテも」

「あら、愛は勝ち取るものじゃないわ」

 見下す王子の目線を受けながら、フェリシティは穏やかに異を唱える。

「お父様が言っていたわ。愛は心の内から自然に湧き上がるのよ」

 家族の愛を疑ったことなどなかった彼女は、柔らかく微笑む。

 暖かい眼差しで娘を見つめる侯爵と、気遣うように娘の背に触れる夫人――親子の姿を見て、王子の顔がますます歪む。

「化け物のくせに」

 すでに心の中で五十回ぐらいは唾を吐きかけていた侯爵夫妻も限界を感じ、挨拶もそこそこに王宮を辞した。

 これで終わりかと思えた婚約も、重鎮たちの必死の取り成しとフェリシティの寛容さで継続されることとなった。


 公表はしていないものの、二人の婚約の噂を聞きつけて、貴族たちはさまざまな反応を示した。

 諸手を挙げて歓迎する者、わが子を差し出さずに済んで安堵する者、『垣根の上に立つもの』を王妃に据えることに反対する者――

 クルーガー侯爵家は反対の声を上げた者の屋敷に向かい、必死に説得した。

『私達もあんな王子に娘を嫁がせたくない。一緒に国王の所に行こう』と言われては、誰もが口を噤むしかなかった。

『王子に多少同情はできるが、あれと婚姻は無理』というのがクルーガー家の総意であり、隙あらば婚約者“候補”の辞退を提案する姿勢を崩さなかった。


 そんな家族の心配をよそに、フェリシティは王子との交流を続けていた。

 王子は絶えず彼女を『化け物』と罵り、粗を探して詰る。――粗相なら王子の方が多いのだが。

 エミリー・レナーテと違ったのは、フェリシティが「口が悪いひとなら“あちら側”にもいっぱいいるわ」と聞き流していたこと。そして、妖精たちが王子を困らせていた。


 王子の手からカップが逃げる。

 傍に控えていた侍女が口を押えて俯いた。

 茶を飲み損ねた彼は舌打ちし、向かいに座る相手を睨みつけた。

「妖精どもを従えていい気になったつもりか」

「私が命令しているわけではありませんわ。妖精は自由だもの」

 フェリシティがお願いしても、全ての妖精がそれを聞いてくれるわけではない。かれらの善意や好意は気まぐれなのだ。

 フェリシティのそばにいる妖精たちの半数以上は、屋敷で出される林檎のパイが目的だと彼女は知っている。林檎のパイは偉大なのだ。

 執拗なまでに王子を困らせ続ける理由を上げるとすれば――お父様かしら、とフェリシティは思い出す。


「あーおいしそうに焼けたなぁ」

 侯爵は、細かく砕いたクッキーの載った皿を持ち、屋敷内を徘徊していた。

「お父様、そんなことをしていると持っていかれてしまうわ」

 フェリシティが笑いながらそう指摘する間にも、妖精たちが少しずつ皿に集まっていく。

 すると、侯爵は皿に蓋をした。かれらは開けようとするが侯爵の力には勝てないようだ。

「んー? おやつが欲しいのかなー? 私には妖精の事は見えないから分からないなー。フェリシティが王子にいじめられていたら仕返ししてくれる子にいっぱいあげるのになー」

 愛で人は狂うのだ。“あちら側”と労働交渉を行う当主の姿を、使用人たちはなるべく視界に収めないようにして過ごした。

 それから、フェリシティが王宮に向かう馬車に乗るときには、多くの妖精たちが同乗するようになる。


 王子がフェリシティを『化け物』と罵るたびに、家族は怒り、妖精たちの悪戯は増えていく。

 しかし、フェリシティ本人はさして何も感じていなかった。

 家族は自分を愛してくれると知っている。しかし、他人は自分を“あちら側”の住人と同じように見ているのではないか、と常に思っているからだ。

 数年前、伯爵家で起きた一件はフェリシティの心に影を落としていた。

 まだ幼くとも、男女の恋愛や結婚については何となく分かる。でも、自分が男性に愛されることはないのだろうと思っていた。

 それでも婚約者“候補”となったのは、クルーガー侯爵家自体が今の体制を支持していたからだ。

 現国王には亡き王妃との間に産まれた王子しか子がいない。国王の兄弟や親族は全て亡くなったと聞いている。次の王妃を――寵妃でもいいから探すよう周囲が進言しても国王が首を縦に振らないらしい。それなら後継の王子を支えたほうがいいかな、とフェリシティは考えている。

 もちろん、あの王子が自分と恋愛や結婚するとは思っていない。彼女には一つ予測していることがあった――あの方は平民と恋に落ちるんじゃないか、と。

 親子で性癖は似ることがあるのだと、彼女は侍女が隠し持っていた本で学んだ。

 今は厳重に管理され、他者との接触が制限されているが、王子もきっと学院に通うようになれば様々な身分の者と出会い、彼が愛し合える女性も見つかるだろう。

 王子は真実の愛を知り、良き王になる――よくある物語そのものの未来が来ることを、フェリシティは少し期待していた。だから、自分は、あくまで“候補”なのだ。

 懸念があるとするなら、娘のためなら簒奪や革命ぐらいしかねない家族のことだろうか。

『垣根の上に立つもの』の力を期待して、国内外からいけないお誘いが来ていることは、なんとなくフェリシティも知っている。

 だから、王子にはなるべく早く愛を見つけてほしい……狂わない程度の。


 そんなフェリシティの想いを知ってか知らずか、彼女の周囲に集まる人間はフェリシティを褒め称え、『王子に相応しい』と口を揃えて言う。

 王家の血統を維持するための生贄を逃してはならない――それが、この国の意志となりつつあった。


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