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18、こちら側の人々

 ジュリアス・アボットは王国の画家である。

 元は共和国の厳格な家庭で生まれたが、家風に反発して出奔。王国で絵画の勉強を始めた。今はジュリィという名で活動し、王立学院で教師の職を得ている。

 華美な色遣いと衣装、そして気位の高さは有名で、気に入らない仕事は大金を積まれても引き受けない――そんな彼は、作業場を訪ねてきた客人に困惑していた。

「……貴方ほどの方が、わざわざ……」

 下級貴族や豪商の横柄な呼び出しに『出向いてくるのが礼儀でしょ』と返した事もあるジュリィだが、侯爵家の当主が手土産片手にやって来るという経験は初めてだった。

「急に訪ねて申し訳ない。中々都合がつかなくてね」

 急ぎで出した薄めの茶を上機嫌で飲むのは、バーナード・クルーガー。それなりの美丈夫で、それなりに有能なのだが、末娘を溺愛する姿しか周囲の印象に残らない。普段は人懐っこく子どもっぽい笑みを見せる男で、フェリシティの“貴族らしくなさ”は彼の影響もあるのだろう。

「クルーガー侯爵家なら、お抱えの方がいるでしょうに」

 ジュリィも知る老練の画家の顔を思い出しながら尋ねると、「これは私的な依頼なのでね」と返される。

 私的な依頼と聞いて思い浮かぶ事は、一つ。

「もうすぐ、娘の結婚式があるのだが……」

 フェリシティとレイモンド・グレースの結婚式は、平民の中でも話題となっている。あの侯爵なら大々的に行うかと思いきや、そうでもないらしいと。

 王太子夫妻との兼ね合いだろう――と、ジュリィは考える。

 王国でただ一人の王子は、学院を卒業して間もなく立太子の儀を受けた。

 学院に在籍していた頃とは別人のように温厚で勤勉になったと評判の王太子が、エミリー・レナーテと共にいる姿をジュリィもよく見かけた。

 そしての歴代の王家の中でも迅速に、質素に結婚式を執り行った。最低限の賓客を招き、国民へのお披露目も少しだけ。

今までの失態を恥じ、いち早く公務に専念したいという王太子夫妻の意向を汲んだものだと公には言われているが。

 ここまで急ぐと、市井の間で流れている噂が本当なのではないか、とも思う――王太子の命は、もう長くないのではないか。

 そのような経緯で王太子夫妻が慎ましやかに行った分、他の貴族たちも華美な催しを遠慮する風潮にあった。

 ――ま、それぐらいでちょうどいいのかもね。

 ジュリィが思い出すのは遙か昔、自分が駆け出しの頃。

 貴族たちに不義理を果たし、平民と結婚した王は、醜聞を払拭するように大々的な宴を開いた。

 画家や小説家たちに新しき国王夫妻の良き印象を広めるようにと書かれた手紙を鼻で笑い飛ばし、暖炉に投げ入れた事も懐かしい。

「家族と立会人を呼んで式を行うだけなんだ。私としては、三日三晩ぐらい祝いたいのだが、フェリシティはすぐ新居に移ると……せめて記念に絵を残したくてね……チャンドラーさんに相談したら、こういう事は貴方が適任ではないかと」

 侯爵家お抱えの画家に推薦されたのでは、ジュリィとしても無下にはできない。

 それに、同僚と元教え子の式を祝うのも悪くない――彼が、報酬の話もせずに依頼を快諾したことは初めてだった。


「……今、何と言いましたの?」

 幼少期から感情を表に出さぬよう己を律してきたらしい王太子妃が、顔を強張らせる――ブレンダ・ヘイズが初めて見る光景だった。

「ですから、今度のフェリシティ様の結婚式の日はお休みをいただくと」

 ブレンダの返答に、王太子妃は溜め息を吐く。人払いがされた王太子妃の私室に、「私だって招待されていないのに……」という小さな呟きが響いた。

 爵位のないレイモンド・グレースに嫁ぐフェリシティは、王国内でややこしい立場になる。高位貴族、ましてや王族に嫁いだエミリーが易々と交流できるものではないだろう。


 祖父のような人々を助ける医師になりたいという夢を持っていたブレンダは、学院を卒業すると王太子妃の付き人に抜擢された。表向きは王太子妃の健康管理を主として。さらには、“あちら側”に取り込まれた王太子の管理も含まれていた。

 ごく一部の人間しか知らない秘密を守るため、王家に仕える者は厳選された。王太子の世話は、身寄りも無く生活に困っていた平民に任せているが、そのような者達は往々にして知識が足りない。医術の心得があり、王太子夫妻の側に常駐していても不審に思われない立場として、ブレンダが推薦された。

 宰相直々の頼みに最初こそは戸惑ったが、慣れてみるとまあまあ悪くない――と彼女は思う。王太子妃との関係も良好だし、王宮の医師たちから学ぶことも出来るし。

 王立学院で身に着けた知識や作法も役に立っているようで、王宮の侍女長からもそれなりの評価をいただいた。

 事情を知らない者たちの中には、平民が王家に仕えることを良く思わない人間は勿論いるし、あわよくば自分がその位置にと目論む令嬢もいる。それでも、良くない企みを持った者達は、いつの間にか王宮を去って行くのだ。

 ブレンダを害してやろうと手にしたインクや茶が自分にかかったり、私物を取り上げようと思えば自分の服が破れたり――そんな光景を見ると、あの奔放な令嬢を思い出して、少し、寂しくなる。

 だからこそ、祖父の提案は、ブレンダにとって魅力的だった。

「私、学院時代はフェリシティ様の側付きとして控えていましたから。ほら、もしもの時の救護係です。祖父と一緒に、務めを果たしてまいります」

 胸を張って答えるブレンダを、王太子妃は恨みがましい目で見つめていた。


 ――この船で海に出れば、美しい姿をした人魚や海龍は見つかるだろうか……。

 広間の奥、大層に飾られている帆船模型を見ていたセドリック・アルジェントは、自らの思いつきに苦笑した。

 幼い頃から、“不思議なこと”が好きだった。気が付いたらなくなっている焼き菓子のひとかけや、唐突に咲く季節外れの花。それらが全て、目には見えない妖精たちの仕業であると、『妖精図鑑』が教えてくれた。

 父親が笑う傍で、繰り返し読んだそれは、成人と呼ばれる年齢になっても捨てられずにいる。

 成長するうちに、そういった事を口にするのは恥ずかしいと思うようになっても、昔からの憧れはまだ変わらない。


「……これは帝国の最新型でね……」

 広間の中央では、父親であるジェイムズ・アルジェント侯爵が偉そうに講釈を垂れている。

 アルジェント侯爵は、若かりし頃に『海が見たい』という理由だけで、当時国交がなかった東側の帝国に赴いたことがあるらしい。今のレナーテ侯爵を巻き添えにして。

 そこで見た海と、港に並ぶ帆船を見て、彼は呟いたという――思い切って買っちゃおうかな、と。

 結局、あらゆる権力と財力を駆使して一番小さな帆船を持ち帰ってしまった。

 金持ちの道楽ではあるが、その技術を河川での流通に応用し、彼の代でアルジェント侯爵領がさらに栄えたのは事実。

 侯爵はいずれ自叙伝を出したいとこつこつ書き溜めている。虚栄心に満ちたつまらない内容なので、『フェリシティ・クルーガーとその辺の妖精に面白おかしく脚色してもらえ』というのが家族の評価だが。


 来客たちと挨拶を交わしていると、見覚えのある姿が視界に入った。

 同年代の令嬢よりもリボンが多めの衣装が良く似合う、小柄で可愛らしい女性――伯爵家のマーガレット・フリッツも、この帆船模型のお披露目会に来ていたようだ。

 社交には目もくれず壁際で菓子を摘んでいた彼女は、見られている事に気付いたらしく、そっと此方に寄って来た。

「久しぶり、マーガレットさん」

「ごきげんよう。本日はお招きありがとうございます」

 可愛らしく礼をした彼女は、帆船模型を見て呟く。

「素敵な舟ですね」

 彼女とは、フェリシティ・クルーガーの学友としての付き合いしかなかった。それでも、『妖精図鑑』を持ち歩く者同士、気が合うのではないかと思っていたが――

「これなら、海の怪物とだって戦えるかしら?」

 気のせいだったようだ。


 マーガレットは見た目に反して、気の強い性格だった。

 王子の婚約者を探していた頃、父が王宮の要職に就いていた彼女も面談し、侮辱を受けて王子に掴みかかろうとした逸話はセドリックも聞いたことがある。『あいつの子どもが欲しいならお前らが産め』と文官たちに当たり散らしたとか。

 以降、マーガレットは男嫌いになったと有名だ。些か気の弱い面のあるフリッツ伯爵夫妻は、愛娘に婚約者を宛がわず好きにさせているらしい。

 学院に在籍していた頃も常にフェリシティの傍に付き、セドリックを含め男子学生とは最低限の会話しかしてこなかった。

 学院を卒業してからは、父の付き添いで王宮に赴くことが何度かあり、伯爵の仕事を手伝っている彼女の姿を見かける事はあった。


「父がうるさくてすまないね。船の話になると止まらないんだ」

「それを事業に還元したのでしょう? 素晴らしいと思いますわ」

 場所を変えようと、庭園に出る。目ざとく見つけた父親が遠くからにやけているのが鬱陶しい。


 侯爵家の一人息子であるが、セドリックには婚約者はいなかった。ややこしい性質を持つ国内の貴族令嬢達だったり、複雑な経歴を持つ共和国の令嬢だったりを、いざというときに受け入れる可能性があったためだが――皆が、それぞれ収まる所に収まったので本格的に相手を見つけなければいけない。

 父からはこまめに「どう? 気になる子いないの?」とは聞かれる。勿論、いなくもない。

 目や髪の輝きが目を惹いたとか、所作が美しかったとか、話が合ったとか――それでも、『とくにはいないかなぁ……』とぼかすのが常だった。

 権力と財力をやや持て余している父なら、どのような令嬢でも婚約者にしてのけるだろう。

 中々子宝に恵まれなかった父が、自分にやや甘いことを自覚しているセドリックとしては、うかつな事を口走ってはいけないと確信していた。


 学院時代の事や互いの家の仕事、最近の貴族たちの動向――友人として、様々な事を話している内に、自然と二人の口調も砕けたものとなっていた。

「……もうすぐね」

「ああ……フェリシティさんの結婚式?」

「そうよ」

 マーガレットの声が小さくなる。

 フェリシティの事を個人的に敬愛していたらしい彼女には、思う所があったのだろう。

「私が男だったらなぁ……」

 そんな風に思っていたとは知らなかったが。


 フェリシティの学友として王立学院に在籍していた頃を振り返ると――良くも悪くも刺激的な学生生活であった。

 王子の側付きよりは遙かにまともな扱いではあったが、よくも悪くも令嬢らしからぬ彼女に振り回され、いらぬ辱めを受けた気もする。

 王子が改心してフェリシティを受け入れるなり、子爵令嬢と結ばれてまともな振る舞いを見せるなりしていれば、よき思い出になったのだろうけど。

 父から真相を聞いた立場としては、なんともやりきれない気持ちがある。


「……あの人と結婚したかったの?」

「だって、毎日楽しそうじゃない」

「退屈は……しないだろうね……」

 彼女の生き生きとした表情には人を引き付けるものがある。しかし――

 セドリック個人としては、彼女を真摯に見つめるマーガレットや、そっと彼女を気遣っていたブレンダ・ヘイズのほうが人間として魅力を感じるのも事実。

「ブレンダさんは大丈夫かな?」

 ――ふと、彼女の事が気になった。

 身分の違いに気後れし、フェリシティに翻弄されていた姿を思い出すと、王太子妃の付き人としてやっていけるのか心配だが。

「案外、うまくやっているみたいよ?」

 マーガレットのあっけらかんとした物言いを見るに、杞憂だったようだ。

「ブレンダもなんか逞しくなっちゃったし……そういえば」

 マーガレットの目つきがやや鋭くなる。

「ブレンダったら、ヘイズ先生の伝手でフェリシティ様の式を見に行くらしいわよ」

 私を差し置いて――という呟きに、セドリックは苦笑した。

「ヘイズ先生は、クルーガー侯爵家と昔から関係があるんだろう? 仕方ないよ」

 フェリシティ達が非公式に挙式を行うことは、セドリックも知っている。誰が参列するのかも、良く知っている。

「きっと、素敵なんだろうなぁ。フェリシティ様のお姿」

 あーあ、と残念そうに空を見上げる彼女の横顔を見ている内に、ふとセドリックは思いついた。

「僕の父はレイモンド先生の推薦人に当たるから、結婚式には立ち会う予定なんだ」

 その言葉に、マーガレットが怪訝な顔で此方を見つめる。

「僕と婚約すれば、身内として見に行けるけど……どう?」

 これほどまで低俗な婚約の申し込みもないな――とは思ったが。彼女と人生を共にするのも悪くないとも思う。

 殴打の一発ぐらいもらうことも覚悟して、相手の返事を待つ。

 彼女は暫し考え込む素振りをすると、此方に手を伸ばし――そっと、頬に触れた。

 見つめ合うこと少しして。

「……そう、ね。悪く……ない、かも、しれないわね」

 恥ずかしくなったのか、手を離してそっぽを向く。

 赤く染まった耳を見ていると、此方まで急に恥ずかしくなって目を逸らした。

 アルジェント侯爵が、わざとらしく手のひらで目を覆う姿が視界に映る。

 フェリシティ・クルーガーの婚姻まで、あと少し。諸々の手続きをどうやって済ますか――そんな事を考えて、この気持ちを紛らわすことしかできなかった。

8/5 誤字修正

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